「迷惑なのに、なぜか憎めないおばあちゃん」ミス・シェパードをお手本に うそつきかもめさんの映画レビュー(感想・評価)
迷惑なのに、なぜか憎めないおばあちゃん
英国の、カムデンタウンでホームレス生活をおくるおばあちゃんが主役の映画なんて、だれが見たいというのかと思う…ところが、ところが、たまたまさわりだけ見ていたら、引きこまれて、とうとう最後まで見てしまった。
全編におばあちゃんが出ずっぱりで、変化に乏しい絵面(えづら)だけど、彼女の、何かを訴えようとする言葉は、ただのセリフじゃなく、常に、誰かの心を動かす。そして、彼女のめんどうを見るハメになった劇作家のモノローグは、「もうひとりの自分」との会話と言う形式を取り、巧妙に心理を表している。ここが、そこらの自叙伝的映画と決定的に違う演出だろう。
もうひとりの自分は、自宅の中に閉じこもり、誰とも交わらないが、さらっとタネ明かしをしてくれる。それも本当にさりげなく。劇作家がひとり語りを続けるという形式でも、こんな見せ方があったのかと、ちょっと感心した。
音楽の使い方も、実に巧妙だ。劇中、回想シーンに使われる、ショパンの協奏曲はクレア・ハモンドというピアニストが演奏しているが、ミス・シェパードが、戯れに、許しを得て、浄化されて、恐る恐る禁忌を解いて、本当に幸せそうにピアノに触れるシーンでは、見事にピアノを奏でる。まるで、本当に弾けるかのように、ピアノをつま弾くマギー・スミス。彼女の演技力の賜物か、それとも本当に弾けるのか。
謎解きで始まるのに、謎解きの要素はほとんどない。最後に、ちらっとそのことに触れるだけ。でも、彼女を突き動かしていた贖罪の意識は、周囲の寛容によってなぜか放置され、それゆえにミニバンの中で暮らし続けるという奇行をやめることないまま、年老いてしまった。不思議で、奇妙な町だ。そういえば、子供のころ、あんな奇妙な老人がひとりやふたり近所にいたような気がする。
実在していたら、とんでもなく迷惑なんだろうなぁ。でも、どうしても憎めない不思議なおばあちゃん。
余談ですが、カープール・カラオケのジェームズ・コーデンと、俳優のドミニク・クーパーの親友コンビがカメオ出演していてちょっとビックリしました。出番は別々でしたが。