「日本版としてのローカライゼーションが秀逸だ」22年目の告白 私が殺人犯です Naguyさんの映画レビュー(感想・評価)
日本版としてのローカライゼーションが秀逸だ
"ワーナー映画×藤原竜也"といえば、「デスノート」(2006)、「藁の盾 わらのたて」(2013)、そして本作もワーナー映画である。ある意味で、故・蜷川幸雄監督とともに藤原竜也最大のパトロンになっている。
モノマネ芸人のネタにされるまでもなく、映画ファンにとって"藤原竜也"はひとつのキャラクター芸であり、"そういうもの"として楽しむアートだ。その極みは、「探検隊の栄光」(2015)での自虐的ともいえるコメディで観ることができる。
今回も、"藤原芸"による一連の犯罪者を彷彿とさせる曾根崎役なのだが、このサスペンスはひと味もふた味も違う。オリジナルプロットの秀逸さに加えて、日本版としての脚色が素晴らしい。
韓国映画「殺人の告白」(2012/英題:Confession of Murder)のリメイクなので、原作は小説というよりも、映画を原作としている。その韓国版を知っていても、入江悠監督のローカライゼーションの見事さに感心しきり。
22年前の連続殺人事件の犯人による、"告白本"が出版され、時効が成立している犯人がマスコミとSNSを利用して、時の人となる。
衝撃の真相は、映画を観てもらえばいいが、日本版では事件設定を1995年にしている。これは改正刑事訴訟法(時効の廃止)が衆議院可決した、2010年4月27日から逆算されている。強盗殺人の公訴期限15年を引き算して、1995年となる。その1995年は、"地下鉄サリン事件"や"阪神淡路大震災"のあった年で、この不穏な空気感を伏線のひとつとしている。
また、韓国版では時効成立2年後に告白本が出版される設定だが、日本版では実に7年も真相を寝かしたことになっている。これは作品公開の2017年にしたほうが1995年からの時間経過によるリアリティが増すことと、劇場型犯罪を演出するためのSNSがより大衆化しているので都合がいい。
伊藤英明の存在も大きい。脇役でも主役を喰ってしまうほどの"藤原芸"を、いい意味で打ち消してくれる。本人も"海猿イメージ"を消すのに極端な役柄を選んでいたように思えるが、「3月のライオン」(2017)も本作でもニュートラルでありながら、揺るがない存在感を発揮している。日本映画にとって必要不可欠だと再認識させられる。
(2017/6/10 /TOHOシネマズ日本橋/シネスコ)