名前のレビュー・感想・評価
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【”アイデンティティの放棄と追求と再生。”独りぼっちの”男”と”娘”が未来の光を見つけ再生する様を描いたヒューマンドラマ。津田寛治さんは矢張り佳き役者であり、駒井蓮さんも素敵な若き女優です。】
■都会を離れ関東の田舎で暮らす中村正男(津田寛治)は、過去のある出来事で、名前や身分を偽って生きていた。
そんな彼の前に、見知らぬ女子高生葉山笑子(駒井蓮)笑子が現れる、彼の事を”お父さん”と笑顔で呼ぶ。
笑子は正男が周囲に名前を偽っていることを知りつつも、自分が何者なのか、何が目的なのかを明かさないまま正男と過ごすようになる。
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・中村正男が、自分を偽って生きる中、劇中では過去に付き合っていた女(筒井真理子)が現れ、彼の過去がややうかがえるが、それ以上は描かれない。
・観ている側は、故に女子高生葉山笑子の父親が、中村正男ではないかとミスリードされるのである。
■この辺りの描き方が、巧いのである。更に言えば葉山笑子を演じた駒井蓮の、大人びた風情が良いし、邦画の名バイプレイヤーである津田寛治さんが、流石の演技で孤独だった男を演じている。
<ラスト、真実が明らかになる中で、中村正男は晴れ晴れとした顔で、”お前は天国のお父さんと、俺と二人のお父さんに見守られているんだぞ。”と笑子に言い、笑子も又、学校の正門で喧嘩していた友人(松本穂香)が駆け寄ってくる中、別の生徒に”あの人、お父さん?”と笑子を笑顔で見送っていた中村正男の事を聞かれて”ううん、この人は違います。”ときっぱりと答えるのである。
今作は、独りぼっちの”男”と”娘”が未来の光を見つけ再生する様を描いたヒューマンドラマなのである。>
父、娘
序盤から中盤にかけては感情が起伏する展開が多くそこそこ現実味がある内容だったが、終盤にかけては急に演技がクサクなったりセリフ、内容も厨二病クサクなって全然理解出来ずポッカーンってな感じでした。
やっと本当の自分に向き合える
名脇役の津田寛治が主役ということで興味があった作品。
なんとも素朴な田舎町を舞台に、冒頭から不思議な伏線の連続で興味が湧きます。すっとボケた音楽も、どこか舞台を思わせる空気も良い。
また、透明感のある駒井蓮との組み合わせも面白いんですよ。
それは何処か自分が無い二人の、少し奇妙な一夏の生活。
それぞれの物語を前後に散らせた構成も良かった。
辛いだけの自身を捨てて生きてきた二人が、やっと本当の自分に向き合える。
ゆっくりで地味だけど、すごい素敵な作品でした。
どうしてこんな事になったのか…。
テーマはアイデンティティとか自己の存在とか表現に難しい内容。
結局は主人公がなぜ偽りの人生をもつようになったのか、三重生活を送っているのか、が描き切れていない。
そこが重要なのに。
映画の見せ方として、「焦らす」のが非常に好きなのか、全編通してストレスが溜まります。
そしてそのストレスは解消されない最悪な結末に。
他の方も書かれていますが、カメラとか天気とか演技とかもちろん重要ですが、物語を映画という手法で形にする、根本のところ「話が面白くない」ここが残念。
え?ひどい 中年男性目線の、都合よい視点がまじでキモチワルイ 可愛...
え?ひどい
中年男性目線の、都合よい視点がまじでキモチワルイ
可愛い高校生の娘が制服で都合よく現れるとかほんと無理
生まれた子の気持ちを都合よく無視しすぎ
母親の水商売やらざるを得なかった事情を描写しないで見捨てた強引な脚本
下手くそな時系列の処理
いかにも都合よく入ってくる音楽
楽屋とチェーフォフの冒涜としか言えない演劇部に関しての監督の教養の浅さ
重要シーンをワンカットで処理しようとする低予算
画質も悪いし手持ちカメラの下手さ
天気の繋がりがボロボロ
低予算日本映画の悪いところを凝縮してる
本当の自分が分からない。
いくつもの名前をもつ男。名前を使い分けて生きている。嘘で固めた人生。そこに女子高生が現れ本当の自分を考えるきっかけになった。
また女子高生も自分を出すことが出来ずにいた。二人の共通したところが考えさせられる。
舞台劇のようにも思えておもしろさもあり退屈ぜずに観ることができた。最後は自分を見つけることが出来た。みたいな終り方がいい
……追記……2022.11.16
無料配信が終わってしまうと
言うことで再度観賞
本当におもしろい。
津田寛治と駒井蓮の二人の掛け合い
それによって起こる出来事
映画ならではの可笑しさ
だったりします
……★5にしてもいいぐらい
何度でも観られる作品
3.2本当の自分
何だか考えちゃいます。
過去の自分を捨てて新しい自分にって気持ちも共感出きるし、でも殻破って今の自分で良かったってなれる強さを持ちたくもあり、そんなに盛り上る映画では無いですが、何だか前向きな感じが良いです。
津田寛治が主演だが、いつも脇役の俳優だし、役柄も50代の冴えない男...
津田寛治が主演だが、いつも脇役の俳優だし、役柄も50代の冴えない男性が主人公という映画も珍しいなとは感じた。
少女が娘なのかと思いきや、少女の父親は別の人だった。少女も知っていたようだった。
お父さんが欲しかったのかなあ。
名前をいくつも使い分けるなんて、そんなことできるのかしら?
よく理解はできなかったが、最後まで見た。
予告編の質が高くてずっと観たいと思っていて やっと観たが、カメラワ...
予告編の質が高くてずっと観たいと思っていて
やっと観たが、カメラワークや画の構図が
酷かった。安いピンク映画みたいな映画だった。
でもストーリーはめちゃくちゃ好き。
いい映画でした
じんわり来ます。
みんな色んなことを背負って生きてる。
この世の一番の罪は"愛"だ。
愛さえこの世になければ、悲しみも苦しさも感じないかも。
でも、愛があるから生きる意味を知る。
なんてね。
地味ですが、とっても佳い作品です。
人の気持ちを理解するとは
この映画、ちょっと不思議な、ちょっとした事件が展開していく。
1度目見る時は、それを中村正男の視点で観る事になる。
で、十分に楽しめるのだけど、
この映画に限っては
2度目、観なくてはいけない。
2度目観ると良い、ではなく
2度目観なければいけない映画、である。
2度目は自然、葉山笑子の視点で観る事になる。
そうか、人は人の気持ちを
分かったつもりになっているだけ。
驚くほど
何にも分かっていなかったんだ。
と、がくぜんとする。
葉山笑子の気持ちが痛いほど分かる。
それにしても『名前』
あまりにも渋いネーミングだ。
本質を適切に表現しているのだけれど
もし、この名前で観てもらえないことがあるとすれば
ちょっともったいない。
実際にありそうなストーリー
50過ぎのバブル世代を桜華した世代で、同じ様な境遇にあった方なら現在の自分と重ねて見入ってしまう、そんな映画だった。
「貴方は私のお父さん」と言われて泣くシーンは娘を持つ親父には涙もので、後にこの娘の実父は死亡している事を知っていたからこそ泣いていたんだと、この男の優しさに気付かされます。
最後で友人が駆けつけたシーンは、ハッピーエンドで〆る演出が良かったです。
何、本当の自分って?。
正直最初は「???」な展開。
①<中村正男>編
どこかうさんくさくて、捉え所のない中年男。
「なぜ3つも偽名を使うのか?」。「本当の名前は?」。と疑問符だらけ。
そこに「お父さん」と自分を呼ぶ、女子高生・笑子まで現れて。ますます???。
まあ、きっと実のお父さんなんだろうな。と勝手に納得。
②<葉山笑子>編
あれ、今度は女子高生がメインなのね、と驚き。
その話の中に①のいろんな場面が挿入されていくのが。
「もしかして、もしかして?!」と観ている側に、クエスチョンを出していくところが興味深い。
そして①➕②=の答え。
作品を通して、時間軸が交差している展開の幾多の疑問。
「あ、あそこで!」と脳内で小さな場面がフラッシュバックするところ。
わお、そうきたかー。なるほどねとじんわり。
津田さんの最初の「くたびれた中年男」が最後、「おじさんだって、それなりにやってるさ」という表情。
心に染みました。
単館映画的渋い作品でした。
負け組じゃ終わらない
妻に去られ、経営していた会社もつぶれ、実家に戻っていろんな名前を使い分ける生活をおくる主人公(津田寛治)の前に、不思議な女子高生(駒井蓮)が現れる。
二人が本当の名前で呼び合うまでを面白く描いていく。
現実をよく見ることで再度、立ち上がる勇気が湧いてくるかも。
トルコ行進曲よりもオリジナル曲の方が心に沁みる。
wowowで『食べる女』が急きょ放送中止となり、代わりに放映されていた。まるでドラフト会議で外れ一位指名したら、後に大活躍する選手であるかのような拾い物作品だった。
会社を倒産させてしまい、茨城で隠遁生活をする主人公中村正男。この平凡な名前が幸いしたのか、元仕事仲間たちには吉川、愛人には石井、ペットボトル・リサイクル工場のアルバイトでは久保と名乗るほどの偽名好き。お前は多羅尾伴内か!と、過去から逃げるためにその都度嘘をつきとおすには最適なのだろう。そんな津田寛治の演技が冴えわたり、女子高生・葉山笑子を演ずる駒井蓮の演技の方がもっと凄い(特に劇中劇)。
「わたし、あなたの娘です」と突如訪問してくることを想像することがある。子供がいない寂しい男の心境にちょっと共感してしまいますが、現実的には親と子供の両者がともに寂しさを埋める意思がなければ成り立たないのだろう。逆に妻子に逃げられて音信不通だという男の方が世の中には多いと思います(なぜか知り合いに多い)。
そんなある日、不思議な女子高生が現れ、「おじさん、おじさん」と付きまとわれ、嫌な気分もしないので、奇妙な関係のまま平穏な暮らしを送る。中村正男、葉山笑子の両サイドから描く手法によって、その心情が絶妙に伝わってくるのだが、このまま済し崩し的に疑似親子を演じ続けるのかと思えばそうでもない。特に多感な笑子の場合、友達も少なく、幽霊部員だった演劇部に誘われ、真剣に練習に励むのだが、先輩には偽物が演じていると指摘され、正男とのあやうい関係も見透かされた気分になるのだ。
もしや二人とも正体がわかり、わかった上で疑似親子関係を続けることを予想してしまうのですが、これだと、チャップリンの『キッド』になってしまう(ちょっと違いますが)。両者とも気づいた段階でどうすべきか選択を迫られる終盤、そっちか~と思わず作品の真意を知る。正男にしても元妻(筒井真理子)が流産した過去もあったし、笑子の本当の父親が亡くなっていたことも判明するため、肉親が死んだことによって互いの喪失感を埋め合うのも良かったのですが、笑子の将来を考えるとそうもいかない。そして決断を下したのは笑子自身。偽物の自分とはきっぱりと縁を切る選択が未来の明るさを物語っていたように思います。
しかし、ひねくれた目で見てしまうと、ポカーンとなった教師にしても、援助交際かな?などと下衆の勘繰りがあるに違いない。最初に登場し、スナックでも見かけた若い女だって笑子に似ていたし、津田寛治が引きつった笑みを浮かべるとそれっぽく感じてしまうのだ。43歳という年齢ならば、やっぱそうでしょ・・・
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