シーモアさんと、大人のための人生入門のレビュー・感想・評価
全4件を表示
『お嬢さん、演技を覚えたら、緊張するものなのよ』
『芸術家が目指す崇高な芸術と大衆が喜ぶものとはあまりにもかけ離れている。その落差が激し過ぎて芸術家はノイローゼになる』
半分見て寝てしまった。起きてまた見た。
グレン・グールドさんは確かにバッハではなく、グレン・グールドさんの曲♥分かる分かる。
シーモア・バーンスタインの紹介映画
イーサン・ホークは、よほどシーモア氏と気があったのだろう。ホークがシーモア氏に入れ込み、ドキュメンタリー映画まで作ってしまったのだから。それほど気があったのであろうし、表舞台に出たがらない天才を、少しでも多くの人に知ってもらいたいという思いもあったりしたのかもしれない。しかし、生憎この映画からは、ホークのシーモア愛は感じられるものの、肝心のシーモア氏のドキュメンタリーとしての奥義が伝わりきらない。映画は、シーモア氏がピアノを指導するシーンと、シーモア氏が語る自身のエピソード、またシーモア氏の周辺の人々が語る彼のエピソードと、ホークの主観で構成される。それぞれのシーンがコラージュのようにスクリーンに貼り付けられ、シーモア像が浮かび上がってくる・・・かというとそうではない。
確かにシーモア氏は、実に物語のある人でエピソードにも事欠かないし、本人自体も魅力的でチャーミングな人なので、彼を愛する事は容易いだろう。しかし、この映画を通じてホークが伝えたかった事というのが、ホークのシーモア氏に対する入れ込みに塗れてその真意がぼやけてよくわからないのだ。シーモア氏の素晴らしいピアノテクニックを聴いてほしいのか、しかしそれにしては演奏シーンは少ない(演奏に被せてナレーションが被さったりもするし)。彼の歴史を見せたいのか?それにしては情報が少ない。彼のチャーミングな人となりを知ってほしかったのか、それにしては踏み込みが甘い。原題が「イントロダクション」というように、この映画は本当にシーモア氏の「紹介」に過ぎないのだ。それではドキュメンタリー映画としてはやっぱり物足らない気分にもなる。せめて、彼のピアノ演奏をもっとじっくり聴かせて欲しい。あるいはシーモア氏
の半生をじっくり聞かせてほしい。しかし、いずれも満たされないで終わってしまう。
ホークは役者としての自身のあり方に迷い、舞台恐怖症にさえなった時期にシーモア氏と出会ったと言う。シーモアも舞台恐怖症でピアニストを引退した人物だ。彼との出会いがホークにとってなにかを変える大きなきっかけになったのかもしれない。しかしそれはホークのあくまで私的かつ主観的な出来事にすぎない。作中、ホークがシーモア氏に役者としての悩みを吐露するシーンが出てくるが、それをドキュメンタリー映画で観客と共有する意義とはなんだろう?と考えてしまう。ホークのハリウッド俳優としての個人的な悩みが、観客の共感情とリンクすることは難しいだろうことなのに・・・。シーモア氏のドキュメンタリー映画という割りに、その熱量故に、イーサン・ホーク自身の自我が入り込み過ぎた感が否めなかったかな?という印象が拭えなかった。
シーモアさんは先生です
シーモアさんの生き方、気持ちの持ちようがたっぷり詰まっていて、「こういう先生いたら、人生変わるだろうな。」と思いながらの約1時間半。
シーモアさんがずっと住んでいるアパートのベッドが、たたむとソファーになる。
このソファー欲しい。とても素敵。
目を瞑って映画を観たいと思えるほど心地いい映画だった。
イーサンホークが監督作品だと知り見てみた。
鑑賞した「シネマスィッチ銀座」という映画館がかなり老朽しているなと思った。
「6才のボクが、大人になるまで。」のイーサンホークが監督作品と知り見てみた。
シーモアバーンスタインというピアニストのドキュメンタリー風な作品に仕上がっている。
シーモアの音楽への情熱が十分伝わっている。穏やかなお顔をしている彼。ピアノに接す
るには、姿勢・呼吸法そして鍵盤一つ々々に真摯に気を配っていることに脱帽。「音楽」は
映画においての位置づけは非常に重要である。舞台恐怖症であった俳優イーサン
ホークが映画に必要不可欠な「音楽」を違った一面から描いている。
この作品を見る前に、十分な睡眠してから鑑賞することをお勧めしたい。
全4件を表示