みかんの丘のレビュー・感想・評価
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言葉で語らずにじみ出す感傷
老人イヴォは自分の家で敵対する兵士を一人ずつ介抱することになった。兵士が互いに互いを赦すようになっていく話かと容易に想像できるだろう。まあその通り。
しかし本作が多くの商業的な作品とは違って味わい深いのは、完璧なほど甘ったるい美談にしていないところだ。
傷付いた二人の兵士が守るのは命の恩人であるイヴォとの「家の中では殺し合わない」という約束だけだ。どこまでいっても赦すという言葉は聞けない。
赦すとまではいかず、しかし殺さない、この微妙なところに落ち着いていく感じがいい。
イヴォはただ、殺すのはよくない、殺し合いはやめろとだけいう。愛し合えだとか理解し合えだとか過剰なことは求めない。そこがいい。
作品のメッセージでもある、同じ人間なのだから争うなしか言わない。
「同じ人間」を象徴するエピソードとして2つの出来事がある。
一つは、ジョージア人であるニカが言葉を話せないフリをしてチェチェン人の一行をやり過ごす場面。
もう一つは、チェチェン人であるアハメドが同じチェチェン人の一行にジョージア人だと疑いをかけられ撃ち合いになる場面。
チェチェン人もジョージア人も、なんならエストニア人も、同じに見えるというわけだ。信仰が違う以外の違いなんてないんだ。
ニカが銃弾に倒れたとき酷く悲しかった。
仲間を殺されたアハメドの心理を深く理解することは難しいかもしれないけれど、自分の感じた悲しさはアハメドの悲しさだと思った。
仲間の仇を赦すことは難しくとも、死んでしまえば悲しい。ごく単純なことだ。死んだら悲しい。
相手が同じ人間だと理解するだけで争いは回避できる。そんなシンプルなメッセージが文学的ににじみ出る本作はとてもいい映画だ。
『ラスト・オブ・アス』を彷彿
美しい自然と厳しい現実、憎しみあう人間、魂に問う人間哲学…
ゾンビは出てこないし、内容も違うけど、哀愁ある音楽といい、
ゲーム『ラスト・オブ・アス』ぽかった。
ゲームの方が、この映画に影響を受けてるのでは?
エストニアとジョージアの合作で、そこも観ようと思ったポイントでした。
俳優さんの演技が素晴らしいです。
特に、主役の方。
もっと知られるべき、名作。
イヴォが全く動じなかった理由
全部を観終わって、やっと理解できました。どんなことが起こっても、表情一つ変えず、イヴォがまったく動じなかった理由が。
おそらくは、戦争で息子を失ってしまい、もうそれ以上の悲劇はないと、イヴォ自身が悟っていたからだと思います。
終始、彼が無表情であったことも、そう考えれば容易に合点がいきます。
戦争の悲惨さ、無情さ、恐ろしさを表現して余りあると思います。
【民族間の憎しみの連鎖を越えて・・。人間は何故、戦争をするのか・・。今作は、さまざまな文化や宗教の衝突により、世界が危機的な状況に置かれている中で人間らしさを保つことの大切さを描いた作品である。】
■アブハジア自治共和国でみかん栽培をするエストニア人の集落。
ジョージアとアブハジア間に紛争が勃発し、多くの人は帰国するが、イヴォとマルゴスは残っていた。
ある日、彼らは戦闘で傷ついた敵同士の二人の敵同士のチェチェン人の傭兵アハメドとジョージア人のニカを自宅で介抱することになる。
◆感想
・アハメドとニカを助けたイヴォの毅然とした態度が、印象的である。重傷を負ったニカを殺そうとするアハメドに対し、”私の家の中では殺すな”と言い、アハメドもそれに従う。
・ニカが回復してから、初めて4人で食卓を囲むシーン。ニカとアハメドは憎しみの態度を取るが、イヴォに一喝された後、夜に屋外で食事を摂る。
ー この頃から、ニカとアハメドの関係性が変わって来る。-
・ある日、アブハジア軍がやって来て、仲間であるはずのアハメドに、”チェチェン語で話せ”と絡む。
ー 人種として、混血しているため見た目では敵か味方か分からない。そしてアハメドに銃を向けたアブハジア軍に対し、屋内に居たニカが銃撃し、マルゴスと、ニカが犠牲になってしまう。-
<ラスト、生き残ったアハメドは、イヴォに礼を言い、ニカが修理していたカセットテープを車のデッキに入れ、走り去る。
今作は、さまざまな文化や宗教の衝突、世界が危機的な状況の中で人間らしさを保つことの大切さを描いた作品である。>
ジョージアとアブハジアの争いを知らなかった
とうもろこしの島と全く同じテーマだ。
こちらもあり得ないが、共感が持てる。
日本の様な島国の民では、こう言った戦争を理解している様で、全く分からない。どちらが、侵略者なのか?全く分からない。歴史を見れば、分かると言うが、その歴史も信用出来ない。
戦争は反対だが、銃を向けられれば、戦わなければ、生活を脅かされる。さぁ、どうしたものか?少なくとも、自分以外の他人の為に戦うべきでは無いと言う事だ。たとえ、その他人が家族であろうと。
しかし、人間は戦争を止める事が出来そうも無いようだ。人類が光速を超える技術は持てないと、ホーキング博士はおっしゃったと聞く。何故なら、その前に戦争で人類は滅亡すると言う。そんな!と僕はおどろかない。光速超えるよりも、みかんの丘の方が大事だものね。
誰もが見るべき傑作(残酷なシーンはあるが)。
初っ端から悲しく哀愁を誘うBGMで物語は始まる。ジョージア(グルジア)のアブハジア自治共和国の小さな集落にエストニア人の初老のイヴォ(中心人物)、マルゴスはみかん畑で働きながら住んでいた。ジョージアとアブハジアは紛争中。そこにアブハジア側のチェチェン兵アハメドとジョージア兵のニカがケガをして倒れていた所をイヴォが拾って看病する中で物語は進む。
戦争による悲哀へカタルシスを感じる中で物語に没入できた。イヴォを始めとする三人の主要人物を見る中で、戦争の中でも敵同士であってさえ徳性を放つ事ができる、人間の可能性を信じてみたくなる作品だった。人は死んでその人生を無意味とする事は無いし、戦争の非情さは無くなりはせず、その中で小さな命の灯火が人から人に温もりを伝え、消えては生まれて行くのだろう。
世界の片隅で起こってきたであろう事実
日本にいると民族対立とは縁遠くなり、あまり意識はしないがこのような入り乱れた正に紛争地帯と呼ぶような場所がまだまだ世界にはあるのだろう。
映画にして届けてくれたことに、監督に感謝したい。
それはそれとして、結末で出てきた兵士は何人でどの勢力なのだろう?
少しついていけなかった。
複雑な社会情勢と人間の普遍性
アブハジア自治共和国と聞いてすぐに分かる人も少ないだろう。
おまけに、そこに住むエストニア人のイヴォが助けた2人の兵士の1人はジョージア人で、もう1人はアブハジアの同志を助けに傭兵として参加したチェチェン人ときている。
そんな複雑な情勢が一切わからなくても観ている側には内容が伝わる。
皆がイヴォのようであればと強く思った。
黄色いカセットテープ
エンディングの歌がやけに沁みる
説明がないのにすごくわかる映画
本当にこの辺の国のこと何も知らない
難しすぎて聞いてもわかんない
チェチェン人とグルジア人を匿うエストニア人という構図
けどこの映画の内容はよくわかるから不思議
匿う老人イヴォはみかん箱を作る
そしてその材で棺桶を作る…弔う
複雑な民族紛争は地球からなくならない
3人の命を救ったイヴォ爺さんに乾杯
アブハジア紛争化、みかん農家のマルガスとみかんの木箱作りのイヴォは、周りの多くが戦争の激化によって帰国するなか、この土地に残っていた。
そんなある日、マルガスの家の前でちょっとした戦闘が起き、イヴォとマルガスはチェチェン兵のアハメドと敵対するジョージア兵のニカを介抱する。
はじめは殺意を持って、どちらかが今にも殺しかねない緊迫した様子だったのだが…
静かな映画だからこそ、銃声や爆発音などの戦争音が際立っていて、みかん畑の広がるゆったりと自然豊かなこの地に、戦争がやってきているという緊迫感がよく伝わってきました。
島国に住んでいる自分には正直、人種や宗教による人々の殺し合いに発展するまでの対立は分からないけれど、文化としての違いはあれ、人としては皆何も“違わない”。
はじめは国のために、友の仇、と強い殺意を持って接していたものの、徐々に心を通わせていく様子は、おおよその展開が分かったとしても心に響くものがありました。
そもそも殺しは良くないし、人の死が絡んでくるところでポジティブになってはいけないかもしれないけれど、最後の共闘シーンは敵だとか味方だとか関係なく戦っていて、嬉しかった。その分悲しかった。
戦場では攻撃対象としてしか見ていないけれど、話してみると相手も自分と同じ、人間としての仲間だと分かる。
自分の殺意って、なんてちっぽけなものだったんだろうって思うはず。
これは戦争だけでなく、相手を理解するということでは日々の生活にも当てはまる。
永遠の別れと希望のある別れ。
なんとも悲しいラストでしたが、あの4人が天国で再開できることを願って。
みかんの丘には夢半ば亡くなっていった者の魂が埋まっている。
そんな彼らの魂のこもったみかん。
この映画にとって、平和の象徴はハトじゃなくてみかんですな。
映画人の良心
91年のソ連崩壊後に激化したアブハジアのジョージアからの分離独立紛争の最中、アブハジアの山村に暮らす二人のエストニア人、みかん農家のマルゴスと大工のイヴォ。主人公がエストニア人なのは合作映画だからでしょうか、コーカサス地方はヨーロッパとアジアを結ぶ要所でもあり肥沃な土地に恵まれていたのでソ連時代に入植したのでしょう。
二人に命を救われるのがアブハジア軍の傭兵、チェチェン人のアーメドとジョージア軍の兵士ニカです。怪我人を救うのに人種は関係ないと人の道を説くイヴォですがどちらにも組しないエストニア人の設定だしアーメドも傭兵だから聞き入れやすいというところもあったのでしょう。
民族紛争は敵対する本流同志だと説得で解決できるほど容易な問題ではありません、アーメドの帰ったチェチェンでも紛争が起きるのは皮肉ですね。人類の歴史は戦争の歴史でもあります、そのおぞましさ、虚しさを映画で描いても、非力であることは分かっていても訴え続ける高潔な映画人の努力には頭が下がります。
敵対するアーメドとニカですが次第にイヴォに感化されてゆく過程や悲しい結末、ニカのお気に入りだったテープを聴くアーメドのエンディングなど強いメッセージ性とは裏腹にしんみりと心に響く演出は秀逸でした。
静か
山中に暮らす木箱作りの老人とみかん畑を持つ老人二人の元に、戦争の知らせがやってくる。
二人の老人が暮らす地は戦争に巻き込まれるが、外で生き残った若者二人を家に運んで手当をする。その二人は敵同士で、お互いがお互いの仲間を殺していた。
目覚めた兵士は当然お互い殺意を持って、家を出れば殺すという一触即発のやり取りをする。
しかし、傷を癒やす日々を送る内、互いが人間に見えてくる。食事をし、自分のことを話し、相手にも自分と同じような生活があり、別の信条を持つが、血の通った人間だということが見えてくる。
描写はけして過剰にドラマチックではなく、静かでただ日常が描かれている。
これで一口に戦争については語れないし、「同じだよ」と語った老人のような考えに至るには時間が必要で、簡単にこうなれ、これが理想だとは言えない。
けれど、一個人の自分の家である故郷、土地への面倒な愛着と、戦争に引きずり出され、お互い面識もないのに強制的に殺し合いが始められてしまう戦争への虚しさは十分に感じることが出来た。
本物の秀作 監督を尊敬する
アブハジア自治共和国のなかでチェチェン兵、ジョージア兵が心優しい老人の
家にかくまわれる。ストーブの前で暖をとり、お茶をのみ、朝のパンを出されて
束の間の人間らしいひと時。
この映画を見て、セルビア人、アルバニア人、マケドニア人が命がけで一緒に演奏活動をする
コソヴォ・フィルハーモニーを思い出した。
誰にも見て欲しいな、と、これほど強く思った映画は久し振りかも。
日本が、例えば近隣諸国との歴史も踏まえてこういう映画を作れるかな?
非を認めないものには作れない映画だろうな・・。
「何が違う?」 優しい彼のその言葉に深く考えさせられました。 そう、人種が違うだけ、同じ人間なんだよな・・。
こう、いつも思えたら・・。
地味で登場人物も少なく台詞の少ない作品であるから、こちらが察しなが...
地味で登場人物も少なく台詞の少ない作品であるから、こちらが察しながら鑑賞する映画だった。表情や目の動きなどから、ひとりひとりの心情が伝わってくる。泣かせる場面があるわけでもないけれど温かさが伝わってくる。自分が温かさを欲しているのか涙が出た。
おじいさんを中心としたヒューマンドラマ
みかんの丘そのままの舞台で個々にとって理不尽な戦争の縮図を描いたような作品。
敵同士を同居させることでテーマに沿った会話を成立させているわけだが、無理矢理ではあるし現実感はあまりない。しかしそこをずっと引っかかって見ているとダメな映画。設定として受け取る必要はある。
で、これ見て戦争を語れるかと言ったら背景が不足している感じもあるので、へんこつおじいさんを中心としたヒューマンドラマとして見るくらいの気楽さでよいのかも。もちろん作中の人道主義的な主張は理解するけど、それをことごとく粉砕してきた(いる)のが戦争の本質。。
地味だけど傑作、地味だから傑作!
1990年頃のアブハジア紛争を背景にした映画。
アブハジア共和国は、ジョージアからの独立を求めてチェチェンなどから傭兵を集めて戦っていた。ロシアは、旧ソ連から脱退したジョージアとは敵対しており、アブハジアの独立に加担していた。
映画は終始、とつとつと同じテンポで進行していく。戦争を題材にした映画だが、派手なシーンや残虐なシーンは無く、視覚的なインパクトは無く、ポツリポツリと語られる言葉や登場人物の心の動きから反戦の訴えを静かに紡ぐ。それは、寂し気な音楽や、緑の深い曇りがちな風景とも相まって、深く心に染み入ってくる。
主要な登場人物は男4人だけ。空間的範囲はイヴォの家とマルゴスのミカン畑の、半径数百メートルの範囲のみ。それで、これだけ深い作品が描けのかと驚き関心した。
最後に、題名にも出てくる“みかん”について考えたい。
みかんはイヴォの友人のマルゴスが育てているもので、マルゴスは「売れば金になるが、金のためじゃない。放っておいてダメにしたくないんだ」と言い収穫を続け、紛争に巻き込まれそうなこの土地から離れられないでいる。イヴォも多くを語ろうとしないが、「この場所が大好きだし、大嫌いだ」と言い、“理由”を抱えこの土地から離れようとしない。
映画では「民族」「歴史」「領土」「戦友の死」「恨み」から解放される兵士の姿も描きつつ、同時に「何かに執着してしまう人間の性(サガ)」も複線的に描いているような気がする。しかも、概念に捕らわれていた者が開放され、開放を促していた者が捕らわれていた。民族紛争解決の難しさを考えさせられる。
彼らに違いはない
ジョージアとアブハジア間の紛争下、とどまった2人のエストニア人が敵同士の兵士を自宅で介抱する。
初めはお互い敵意を表すが、次第に打ち解けていく。ハッピーエンドとは言えないけど、どことなく希望のある終わり方だった。
戦争の不条理さ、戦っているのは同じ人間同士なにも違わないというメッセージがしっかりと伝わった。
全30件中、1~20件目を表示