「息子がいたならば」機動戦士ガンダム THE ORIGIN 激突 ルウム会戦 うそつきかもめさんの映画レビュー(感想・評価)

3.0息子がいたならば

2024年12月4日
PCから投稿
鑑賞方法:CS/BS/ケーブル

中学生の時に夢中になって見た『機動戦士ガンダム』

意味も分からずに、ガルマの戦死や兄妹の再会、戦争に翻弄される少年の目を通して、ホワイトベースの中で繰り広げられる人間ドラマに惹きつけられ、やがてニュータイプの黎明と言う奇跡の瞬間に立ち会いました。

私も齢をとった。。。

見たかったORIGINはこれじゃなかった、たぶん。

コミックの映像化と言う難しいミッションにおける課題は、何と言っても「原作ファンを納得させられるか」に尽きるであろう。ところが、ORIGINが抱える課題はそれだけではなく、「アニメ原作ファンを魅了した安彦版コミックを、映像化する意義」にあり、究極の目的はアムロ少年がホワイトベースのクルーに帰結する映像を実現できるか、にあるだろう。

舞台挨拶でも安彦監督がとうとう口にした「次回作の成功は、その先も製作できる」というコメント。これに感じた何とも言えない感情。

それは感慨でもなく、不安でしかない。
ORIGINを初めて手に取った瞬間に味わった、何とも言えない興奮と、その後10年間にわたり続いた幸せな時間は何物にも代えがたい宝物であった。

その映像化が、いよいよ終決しようとしている。
観客席に座るは、いい年をしたオヤジ集団で、さながらヨン様ブームに集結したオバさん軍団や、乃木坂の握手会に並ぶ男の子さながら、価値観はヒトそれぞれなんだろう。

決定的に、決定的にダメなポイントがある。
攻防の、防があるから、攻が映えるのであって、ORIGINの演出に欠けているのは、その「防」の描写なのだ。

ユウキとファン・リーの悲劇だけでも、映画一本が出来たのに、ダイジェスト並みのおさらい映像に終わってしまった。ちゃんとした演出をするなら、ブリティッシュ作戦を遂行する部隊と、その動きを察知して阻止しようとする勢力、犠牲になった哀れな市民たち、『宇宙のイシュタム』が描いた世界を、ほんの少しでも取り入れて欲しかった。

この作品は、ジオンの強さを一方的に強調して描いてある。連邦にはほとんど触れられていない。逆説的に、ジオンがそれほど強そうに見えないし、つまらない軍事パレードを見させられている気分だ。

もっと言うなら、安彦演出の「古臭さ」も気になる。
絵の美しさ、キャラクターの瑞々しさにおいて、安彦良和は他の追随を許さない。それは今に至るまで変わっていない奇跡的なことで、たぶん世界的にも評価されておかしくない魅力だ。

でも、ドズルが作戦画面をたたき割って感電する描写や、アムロは顔に絆創膏一枚で、他のメンバーは包帯だらけ(なのに学校には来ているという…)、閉店して客がいなくなったバーで、突然熱唱するハモン(のシャンソン風のエレジー)。そしておそらく客席には、タチの姿をした我々(歳だけとってしまった少年たち)が座っているのだ。これらの演出は、もはや見ていられないほど痛々しい。

これでは先細りだ。
どれほど体裁を取り繕って、板野サーカス健在!永遠のアムロ!3倍速い赤い彗星の秘訣!動く安彦メカ!渡辺岳夫のオリジナルスコア!など叫んでみても、客席にはいい歳してガンプラ飾っているようなオヤジしか座っていない。息子がいれば、いっしょに映画館で見ることが出来ただろうか。

いや、たぶん息子は乃木坂の握手会に並んでいるだろう。

うそつきかもめ