エンドレス・ポエトリーのレビュー・感想・評価
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ホドロフスキーの感性が磨かれ始める青年期
晩年になって二度目の全盛期を迎えているかのような活躍のホドロフスキーだが、「リアリティのダンス」に続く自伝映画第二弾。今回は家族がサンティアゴに移ってからの青年期の出来事を詩的な映像美で描いている。
世界的な詩人との出会いや、アーティストたちとの共同生活を経てホドロフスキーの感性が磨かれていく時期なだけに前作よりもさらに感覚的というか、理屈ではない組み立て方をしている作品だ。クリストファー・ドイルの撮影も素晴らしい。ホドロフスキーとは相性がいいと思える。
詩人であり恋仲になるステラ・ディアスを母親役のパメラ・フローレスが兼任しているのは興味深い。青年時代のホドロフスキーは彼女に母親の影を見たから愛したということだろうか。
次回作はパリ編になるようなので、それも今から楽しみだ。
全編が詩
娘に連れて行かれた「リアリティのダンス」でカルチャーショックを受け
すぐさまファンに♡
その時の感動が蘇る続編である…
全てが美しく、全てが詩で、夢心地の幸福感
このGWおうち時間は、毎日1本ホドロフスキーを鑑賞しているが
イマジネーションをごろごろとひっくり返してくれる非日常を味わう日々
徹底的に自由であることをホドロフスキーから鞭打たれるスパルタ
良かった
チリが舞台の映画は今まで見たことなかったかも。いくつかある主人公のキスシーンがとても印象的だったのと、バーでおカマ掘られそうになった後のやりとりや、タロット占いのシーンの少年&オバちゃんなど、とても笑った。監督は八十何歳とのことで、初期の作品のようにバーンとハッタリかましてくる衝撃性は当然ながら少ない。でも枯れたからこその柔らかい感じが、楽しいし好ましい。万国共通の若者事情を描いた真っ当な青春譚として、うちの子にも見せたい、と感じてしまった。18禁映画だから実際には無理だが。
生の詩的再上演(remettre en scene)
主人公の生の詩的再上演。そして現実へ帰っていく。人生は無であり、何の意味もない。なぜ行きているのか。いや、無意味なものをただ生きるだけだ。なぜ。なぜに答えるのは理由であり、理由ではない。論理的、合理的理由ではなく、ある美的なものに支えられた理由。生は素晴らしい、ということを詩的に再演し続けること。THIS IS POETICAL LIFE. だとしたら私たちは詩的なものなしには行きていくことができない。エンドレスポエトリーとは、人間ということばを持つ動物には終わりがないということである。
蝶になりたいのかなぁ〜
元町の映画館・は他の映画館より鑑賞する際やや気を引き締め観てしまう。空気感が締まってる。そして本日はまさにマジ、鑑賞者全員首すら動かない勿論咳もしない。どんだけ集中してんねん。そんな事を思いながら観てました。確かになんか凄いような気もするのだか最初の頃の作品を観たドキドキがやや薄く思えてしまう。私の浅はかな見方ではこれが限界なんだろうと自分自身少し悲しくなってしまうが新しさは感じない。ただただ撮りたい作りたい残したいんだなぁ〜と
思ってしまった。まぁ次の作品も観に行きますけど。(笑)そして結構楽しみなのは間違いないっす。
是非是非鑑賞後の感想聞かせてください。
詩的な表現や話の展開についていけなくなっていた所もありましたが、一...
詩的な表現や話の展開についていけなくなっていた所もありましたが、一貫して生きる事や自由へのエネルギーに溢れていて観ていてゾクゾクしました。
毒々しい映像の美しさも良かったです。
寝不足で観たせいか寝てしまった!
前作の『リアリティのダンス』も観ているし、ホドロスキーの作品は好きなのだが、寝不足で観てしまったせいか結構寝てしまった。
気付くと寝ていて起きてはまた寝てを繰り返した。
それでも相変わらずの独特のホドロフスキーらしさは感じられた。
前作同様小人を多数登場させて演技上必要とあれば蹴ったりするなど身体的暴力を加えることも躊躇しない。確か小人女性の裸もあっただろうか?
いずれにしろ真の意味でホドロフスキーは小人の人々を平等に扱っている。
既存の宗教には属していない狭義の無神論者であるホドロフスキーだが、本来の出自であるロシア系ユダヤ人のためか、劇中で主人公にナチス憎しの発言をさせている。いささか唐突に思えてあまり本作に馴染まない気がした。
筆者が観たホドロフスキー監督作品は短編の『すげかえられた首』『ファンドとリス』、長編では『エル・トポ』『ホーリー・マウンテン』、そして前作の『リアリティのダンス』になる。
またホドロフスキー監督作品ではないがホドロフスキーへのインタビューを中心に構成されたドキュメンタリー作品である『ホドロフスキーのDUNE』も観ている。
観ていないのは『サンタ・サングレ/聖なる血』と『ホドフスキーの虹泥棒』の2作品になる。
全てを観ているわけではないが、時にホドロフスキー作品の過剰な演技や残酷さは冷静になると笑ってしまう。
『エル・トポ』では、主人公が愚にもつかないような卑怯な手を使って敵に勝ってイェーってなっていたと思ったら、急に反省し出して最後は人のために死ぬ。
文章にすると壮大だったりするのだが、実写で生身の人間が演じるとちょっと滑稽さが出てしまう感が拭えなく、実際筆者は鑑賞中に何度も笑ってしまった。
このアンバランスさが独特で面白く、他の作品でお目にかかれないのでたしかに唯一無二である!
ホドロフスキーの作品には神話性がつきものである。
ホドロフスキーはBD(バンドデシネ)と呼ばれるフランス語圏の漫画の原作も多く担当している。
私見だが、彼の過剰な演出を伴う神話性が見事にはまるのはBDの方だと思っている。
日本で刊行されているホドロフスキー原作のBDは全てに目を通している。
一番有名なのはフランスを代表する漫画家のメビウスが作画を担当した『アンカル』だが、『ビフォア・アンカル』や『ファイナル・アンカル』と前日潭、後日潭もあるし、スピンオフ作品となる『メタ・バロンの一族』や『カスタカ』、『テクノ・プリースト』もある。
これらの作品は全てSF作品であり、過激で過剰、神聖さを伴う現実には無理のある物語が全ページがカラーで芸術性の高いBDには実によく映える。
また『エル・トポ』と同じように西部劇である『バウンサー』や『フアン・ソロ』、自身の詩人の側面をメビウスと組んで映像化したような『天使の爪』や『猫の目』もある。
当初は『フアン・ソロ』を映画化する予定だったらしいが、資金調達に行き詰まり、『リアリティのダンス』の続編である本作を制作することになったのだという。
個人的には『フアン・ソロ』を観てみたかった。
ホドロフスキー本人は自伝的なこのシリーズを第5部まで続ける構想もあるようだが、第3部ぐらいまででいいような気がする。
日本では有名漫画家であっても名前の知られていない漫画家であっても歳を重ねるとこぞって自伝作品を描きたがる傾向が目に付く。
漫画家に限らず小説家も多いし、今に限らず昔から枚挙にいとまがない。
そもそも芸術家は自己顕示欲の強い露悪趣味の塊なので、それは洋の東西を問わないというところだろうか。
御歳88歳のホドロフスキーに残された人生は後わずかだ。
自伝もいいが、無理を言うなら本当は彼の手になるSF作品が観たい。
ただインタビューを読む限り、商業主義と批判するほど重度のアンチ・ハリウッドなので、まさにSF作品全盛時代のハリウッドと同じことはしたがらないのかもしれない。
またBDで示されているように案外他の監督がホドロフスキーのSF作品を映画化した方が作品としては面白くなるかもしれない。
ホドロフスキーの死後彼原作のBDが映画化される可能性は高い。
しかし換骨奪胎されて全く別物になってしまう可能性も高い。
なかなか難しいところである。
いずれは本作もBlu-rayなどで見返すつもりだが、寝てしまったため今のところ印象はおぼろげである。
もう人生すべて愛している88歳
人生は仮想現実だ。この最重要事実を、独自の生命体と化し好き勝手に暴れる、主人公の感情が生み出した世界が教えてくれる。めくるめく毒々しさ。どのシーンとっても本当にくだらないのに、ひとつひとつが問題を解く鍵となってつながっている。人間のバカバカしさ。自分の人生を振り返り、そのバカバカしさをこそ愛していると伝わる。
エンドレス・ポエトリー
2017年116本目の劇場鑑賞。
前作「リアリティのダンス」に続いて自身の思春期・青年時代をマジック・リアリズムのタッチで描いた自伝的ファンタジック・ドラマ。
前作「リアリティのダンス」から3年、
舞台はサンティアゴへ。
本作は前作のエンディングから始まります。
酔っぱらいが刺されてお腹から腸が出るし、
万引き客(男)に容赦なく暴行を行い、
万引き客(女)は大衆の前で全裸にされる。
冒頭から過激な描写が描かれてます。
ホドロフスキー監督は好きな映画監督として、
イタリアの巨匠フェデリコ・フェリーニの名を挙げていまが、
小人やピエロや巨乳の女性が登場する点だけでなく、
主人公がボヘミアンな人々と交流しながら、
セックスや芸術や情熱や破壊というものに触れていく過程が、
フェリーニ色の強いものになっています。
R18+で観たのですが、
R15+もあるらしく違いはち〇こにボカシがあるかないかとか。
これからの方はぜひR18+でご覧ください。
前作と本作はアレハンドロ・ホドロフスキーの自伝的な物語ですが、
あと3本作りたいそうです。
しかし監督もすでに87歳。
元気に最後まで撮り終えて欲しいです。
「性と詩」に明け暮れ「生と死」を超越せんとするホドロフスキーの生命賛歌
ホドロフスキーは最高だ!「性と詩」に明け暮れ「生と死」を超越して「魂の自由」を追求する若きアレハンドロの青春を美しく可笑しくドギツく描いた生命賛歌!今何よりもアヴァンギャルドな88歳ホドロフスキーの新たな傑作!この作品に出資できたことは俺の誇り!
何よりアレハンドロと父の別れが感動的。気の無い握手だけで別れてしまった過去をやり直す—「父よ私はあなたを許す」—アレハンドロと父は抱き合う。心の傷を芸術に昇華して映画の中で人生をリテイクして自らと父の魂を救済する。これがサイコマジック!
前作『リアリティのダンス』から続くホドロフスキー魂の自叙伝は5部作の構想らしいけど次のパリ編も絶対観たい!ホドロフスキーとシュールレアリズムの邂逅が描かれるらしく仮題は『エッセンシャル・トリップ』!一体どんだけドラッギーな傑作になるのかわからない!
ホドロフスキー死なないでくれ
いつまでも、ホドロスキーの入魂作品を!
リアリティーのダンスの続編にあってか、続けることなのかキレ味あり。どこかココロをえぐられるやような?監督の魂が盛り込まれていた。統一されている荒廃な背景は独自で良い。自国チリの文化ってこんなんか?という気持ちがよぎる。
ユニークで・・ユーモアな・・・ホドロフスキーと
オペラ母さんも健在と思いきや赤髪クレイジーと一人二役には気付かなかった!?
前作同様な世界観に笑える滑稽なシーンに笑って良いのやら解らなくなるホドロフスキーの頭の中に彼が歩んだ人生を描いた実話に良い意味でポカーンとさせられる。
映像に引き込まれる色彩感覚に魅力溢れる人物像と難しい事は考えずに魅了されるホドロフスキー・ワールドに若干フザけているような演出描写に奇想天外な展開と深いモノが漂う夢中にさせられる何か!?
ホドロフスキーの人物像を辿ると本作も「リアリティのダンス」も大袈裟な脚色の無い100%リアルなノンフィクションと信じて世界観に没頭してしまう。
前作を観ていなくても楽しめるし本作を観てから前作を観ても良いと思う。
「詩」とは何なのか
評判よさげだったのと、予告で見た「その存在は、完全なる光」というキャッチに惹かれて映画館へ。ネット予約の時点でほぼ満席、実際も満席でビックリ。
まず、最高にかっこよく印象的なオープニングに惹き込まれた。そして、本当に文字通りの意味の、無修正とボカシなし。日本の映画館でここまで流せるのか(そういう映画ではないのに、という意味で)…と個人的にはかなり衝撃体験。特に、血のくだりは生々しさが本当エグい。でも、これがホドロフスキーの伝えたい「生きる」ということなんだろうな、と。途中ちょっと単調だったけど、ラストがめちゃくちゃ感動的で、ホドロフスキーはこれが言いたくてこの映画を作ったのかなと思ったほど。キャスティング知った上で観てるとすごく面白いメタ的な構造。
『リアリティのダンス』を見てたらもっと楽しめたんだろうな。私には難解な部分もあったけど、映像や役者の勢いと自由、葛藤がとてもよかった。何よりたくさん考えたし、ホドロフスキーという人物を知ることができたことが価値。
一番思ったのは「詩人」という絶対的な存在の持つ力。詩の定義、詩人の定義ってすごく曖昧だと思うけど、時代によっては(今も?)特にヨーロッパ諸国で、もんのすごく尊敬される職業。なぜホドロフスキーは「詩人」だったのか、なぜ「詩」という表現だったのか。それもとても興味深かった。
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