エンドレス・ポエトリーのレビュー・感想・評価
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命ある限り好き放題にやってください!
主に父親の話だった「リアリティのダンス」の続きであり、前作からのキャストが続投していてオペラ歌唱で喋る母親もそのまま出てくる。ただ、オデッセイアのような流浪の日々から帰還した父親は、前作の成長をリセットしたかのごとく脇役に回り、大きな役割を果たすのはようやくラスト寸前。なので本作は「リアリティのダンス」の続編といより、ホドロフスキー本人が自分の若い頃を再創造した別個の青春ファンタジーと捉えた。
想い出が自分自身のものだからなのかはわからないが、ハチャメチャさは「リアリティのダンス」の方が上。しかし時代を踏まえた青春物としてはこちらの方がストレートに伝わってくる。それでも一番心を揺さぶられたのはラストの父親との和解だったりしたのだが。
自らの人生をイマジネーション豊かに語り直すこのシリーズ(と言い切ってしまうが)、老ホドロフスキーには心ゆくまで好き放題に続けていただきたい。あと何本観られるのかな。
ホドロフスキーの感性が磨かれ始める青年期
晩年になって二度目の全盛期を迎えているかのような活躍のホドロフスキーだが、「リアリティのダンス」に続く自伝映画第二弾。今回は家族がサンティアゴに移ってからの青年期の出来事を詩的な映像美で描いている。
世界的な詩人との出会いや、アーティストたちとの共同生活を経てホドロフスキーの感性が磨かれていく時期なだけに前作よりもさらに感覚的というか、理屈ではない組み立て方をしている作品だ。クリストファー・ドイルの撮影も素晴らしい。ホドロフスキーとは相性がいいと思える。
詩人であり恋仲になるステラ・ディアスを母親役のパメラ・フローレスが兼任しているのは興味深い。青年時代のホドロフスキーは彼女に母親の影を見たから愛したということだろうか。
次回作はパリ編になるようなので、それも今から楽しみだ。
全編が詩
娘に連れて行かれた「リアリティのダンス」でカルチャーショックを受け
すぐさまファンに♡
その時の感動が蘇る続編である…
全てが美しく、全てが詩で、夢心地の幸福感
このGWおうち時間は、毎日1本ホドロフスキーを鑑賞しているが
イマジネーションをごろごろとひっくり返してくれる非日常を味わう日々
徹底的に自由であることをホドロフスキーから鞭打たれるスパルタ
ポエータ
アレハンドロホドロフスキーの自伝的作品で、作家性の強い、特殊な演出の作品である。監督の過去作も未見なので今作品の評価を語るのは難しい。かなり尖った前衛的内容故、その是非に関しては無意味である。それこそ監督に盲目的に支持しているファンならば、手放しで喜ぶことだろう。逆ならば、多分関心も示さない。でも、ニュートラルで鑑賞した場合、その圧倒的なギミックに心を奪われるのではないだろうか?これ程アイデアが溢れる作品を、是非日本映画も参考にして欲しいと願う。バジェットが少ない映画の一つの答えだと強く感じた作品であった。
良かった
チリが舞台の映画は今まで見たことなかったかも。いくつかある主人公のキスシーンがとても印象的だったのと、バーでおカマ掘られそうになった後のやりとりや、タロット占いのシーンの少年&オバちゃんなど、とても笑った。監督は八十何歳とのことで、初期の作品のようにバーンとハッタリかましてくる衝撃性は当然ながら少ない。でも枯れたからこその柔らかい感じが、楽しいし好ましい。万国共通の若者事情を描いた真っ当な青春譚として、うちの子にも見せたい、と感じてしまった。18禁映画だから実際には無理だが。
生の詩的再上演(remettre en scene)
主人公の生の詩的再上演。そして現実へ帰っていく。人生は無であり、何の意味もない。なぜ行きているのか。いや、無意味なものをただ生きるだけだ。なぜ。なぜに答えるのは理由であり、理由ではない。論理的、合理的理由ではなく、ある美的なものに支えられた理由。生は素晴らしい、ということを詩的に再演し続けること。THIS IS POETICAL LIFE. だとしたら私たちは詩的なものなしには行きていくことができない。エンドレスポエトリーとは、人間ということばを持つ動物には終わりがないということである。
蝶になりたいのかなぁ〜
元町の映画館・は他の映画館より鑑賞する際やや気を引き締め観てしまう。空気感が締まってる。そして本日はまさにマジ、鑑賞者全員首すら動かない勿論咳もしない。どんだけ集中してんねん。そんな事を思いながら観てました。確かになんか凄いような気もするのだか最初の頃の作品を観たドキドキがやや薄く思えてしまう。私の浅はかな見方ではこれが限界なんだろうと自分自身少し悲しくなってしまうが新しさは感じない。ただただ撮りたい作りたい残したいんだなぁ〜と
思ってしまった。まぁ次の作品も観に行きますけど。(笑)そして結構楽しみなのは間違いないっす。
是非是非鑑賞後の感想聞かせてください。
詩的な表現や話の展開についていけなくなっていた所もありましたが、一...
詩的な表現や話の展開についていけなくなっていた所もありましたが、一貫して生きる事や自由へのエネルギーに溢れていて観ていてゾクゾクしました。
毒々しい映像の美しさも良かったです。
寝不足で観たせいか寝てしまった!
前作の『リアリティのダンス』も観ているし、ホドロスキーの作品は好きなのだが、寝不足で観てしまったせいか結構寝てしまった。
気付くと寝ていて起きてはまた寝てを繰り返した。
それでも相変わらずの独特のホドロフスキーらしさは感じられた。
前作同様小人を多数登場させて演技上必要とあれば蹴ったりするなど身体的暴力を加えることも躊躇しない。確か小人女性の裸もあっただろうか?
いずれにしろ真の意味でホドロフスキーは小人の人々を平等に扱っている。
既存の宗教には属していない狭義の無神論者であるホドロフスキーだが、本来の出自であるロシア系ユダヤ人のためか、劇中で主人公にナチス憎しの発言をさせている。いささか唐突に思えてあまり本作に馴染まない気がした。
筆者が観たホドロフスキー監督作品は短編の『すげかえられた首』『ファンドとリス』、長編では『エル・トポ』『ホーリー・マウンテン』、そして前作の『リアリティのダンス』になる。
またホドロフスキー監督作品ではないがホドロフスキーへのインタビューを中心に構成されたドキュメンタリー作品である『ホドロフスキーのDUNE』も観ている。
観ていないのは『サンタ・サングレ/聖なる血』と『ホドフスキーの虹泥棒』の2作品になる。
全てを観ているわけではないが、時にホドロフスキー作品の過剰な演技や残酷さは冷静になると笑ってしまう。
『エル・トポ』では、主人公が愚にもつかないような卑怯な手を使って敵に勝ってイェーってなっていたと思ったら、急に反省し出して最後は人のために死ぬ。
文章にすると壮大だったりするのだが、実写で生身の人間が演じるとちょっと滑稽さが出てしまう感が拭えなく、実際筆者は鑑賞中に何度も笑ってしまった。
このアンバランスさが独特で面白く、他の作品でお目にかかれないのでたしかに唯一無二である!
ホドロフスキーの作品には神話性がつきものである。
ホドロフスキーはBD(バンドデシネ)と呼ばれるフランス語圏の漫画の原作も多く担当している。
私見だが、彼の過剰な演出を伴う神話性が見事にはまるのはBDの方だと思っている。
日本で刊行されているホドロフスキー原作のBDは全てに目を通している。
一番有名なのはフランスを代表する漫画家のメビウスが作画を担当した『アンカル』だが、『ビフォア・アンカル』や『ファイナル・アンカル』と前日潭、後日潭もあるし、スピンオフ作品となる『メタ・バロンの一族』や『カスタカ』、『テクノ・プリースト』もある。
これらの作品は全てSF作品であり、過激で過剰、神聖さを伴う現実には無理のある物語が全ページがカラーで芸術性の高いBDには実によく映える。
また『エル・トポ』と同じように西部劇である『バウンサー』や『フアン・ソロ』、自身の詩人の側面をメビウスと組んで映像化したような『天使の爪』や『猫の目』もある。
当初は『フアン・ソロ』を映画化する予定だったらしいが、資金調達に行き詰まり、『リアリティのダンス』の続編である本作を制作することになったのだという。
個人的には『フアン・ソロ』を観てみたかった。
ホドロフスキー本人は自伝的なこのシリーズを第5部まで続ける構想もあるようだが、第3部ぐらいまででいいような気がする。
日本では有名漫画家であっても名前の知られていない漫画家であっても歳を重ねるとこぞって自伝作品を描きたがる傾向が目に付く。
漫画家に限らず小説家も多いし、今に限らず昔から枚挙にいとまがない。
そもそも芸術家は自己顕示欲の強い露悪趣味の塊なので、それは洋の東西を問わないというところだろうか。
御歳88歳のホドロフスキーに残された人生は後わずかだ。
自伝もいいが、無理を言うなら本当は彼の手になるSF作品が観たい。
ただインタビューを読む限り、商業主義と批判するほど重度のアンチ・ハリウッドなので、まさにSF作品全盛時代のハリウッドと同じことはしたがらないのかもしれない。
またBDで示されているように案外他の監督がホドロフスキーのSF作品を映画化した方が作品としては面白くなるかもしれない。
ホドロフスキーの死後彼原作のBDが映画化される可能性は高い。
しかし換骨奪胎されて全く別物になってしまう可能性も高い。
なかなか難しいところである。
いずれは本作もBlu-rayなどで見返すつもりだが、寝てしまったため今のところ印象はおぼろげである。
もう人生すべて愛している88歳
人生は仮想現実だ。この最重要事実を、独自の生命体と化し好き勝手に暴れる、主人公の感情が生み出した世界が教えてくれる。めくるめく毒々しさ。どのシーンとっても本当にくだらないのに、ひとつひとつが問題を解く鍵となってつながっている。人間のバカバカしさ。自分の人生を振り返り、そのバカバカしさをこそ愛していると伝わる。
自分を生きるための闘いの物語
この映画は、蝿として育てられたアレハンドロが自分の人生を取り戻し、ついに蝶として羽ばたくまでの、苛烈な闘いを描いた戦記モノであり、精神のロードムービーであると感じました。
「自分を生きる」と言うととても簡単そうですが、並大抵の闘いでは自分を生きる実感を得れないのかもしれません。特に、アレハンドロのように親に抑圧され、親の一部のように育てられてしまった子どもの闘いは凄まじいものがあると思います。
そしてこの映画は、マジックリアリズムという手法で、その闘いの凄まじさを余すことなく伝えることに成功しています。
ここで描かれているのは目に見えるような現実の世界ではなく、イメージの世界ですが、これはメタファーではなく、心的現実です。舞台装置とか見えていて虚構を演出していますが、これは表面的な現実ではなく、深層的な現実を描いているサインなのでは、と感じました。マジックリアリズムとはよく言ったもので、もうひとつの現実なんですよね。無意識と直結している天才ホドロフスキーが見えている現実世界。なので、すべてがリアルに感じました。濃厚な血が通っているから、虚さがまるでないのです。ファッションじゃねーんだ、遊びじゃねーんだよ!ってホドロフスキーの叫びが随時木霊しております。
詩という武器を手に、独立戦争に挑んだアレハンドロ。本作では、詩=パンクの印象を受けました。詩とは行為だ、なんてセリフもありますし。
あんな凶悪な父親及び支配的な一族の制空権から逃れるには、爆裂的なエネルギーでメチャクチャに暴れ回って反抗する必要があったのでしょう。ちょっとしたレジスタンスではすぐに鎮圧されてしまう。だからステラみたいなリビドーの権化みたいな女性を必要としたのだと思います。
また、闘いには前線基地と仲間が不可欠。イカれた(イカした)アート仲間の集うサロンや親友の詩人エンリケとの出会いがアレハンドロをさらに一歩前に進ませていますね。
そして繰り返し登場する、「脱ぎ捨てる」イメージ。アレハンドロが脱皮するたびに、より強靭な自分に成長していくようです。また、服を脱ぎ捨て裸になることには、束縛を破り、素の自分(自分を生きている自分)になっていく意味も含まれているように感じました。
なので、ボカシを拒絶しての上映に成功したのは本当に快挙でした。おかげで作品の本質を潰さずにすんだと思います。
しかし、成長しても拭いされない虚しさ。アレハンドロの人生の意味についての葛藤はかなり長く続きます。自分を生きれていないと、確実に虚無で苦しみますからね。
だが、それをついに打ち破る生と死のカーニバルの場面。鏡の中の自分=影との対決のシーンは、自分を生きる上での最終決戦です。そしてついにその闘いに勝利し、自分を獲得する。クライマックスのシーンは、赤と黒の祝祭の凄まじくも美しいイメージと、翼を広げた聖者のようなアレハンドロ。非常に深く感動し、忘れ得ぬシーンとなりました。
そして最後に描かれる大いなる赦し。あれだけ憎み、己を蝿にした張本人である父親を赦す。ホドロフスキーが真に描きたかったのはこれでしょう。
赦しは人類の中で最強の行為のひとつです。ここに至ることができれば、テーマとなっている心的な問題を乗り越えた、と言えるでしょう。ホドロフスキーは自身の作品をサイコマジックと呼び、セラピーと位置付けていますが、このセラピーは大成功ですね。赦される側である父親の表情がとても好きです。なんという安息。赦しは赦される側も解放されていくのだな、と実感しました。
本当に凄まじい作品でした。大傑作と言っても過言ではないと思います。
エンドレス・ポエトリー
2017年116本目の劇場鑑賞。
前作「リアリティのダンス」に続いて自身の思春期・青年時代をマジック・リアリズムのタッチで描いた自伝的ファンタジック・ドラマ。
前作「リアリティのダンス」から3年、
舞台はサンティアゴへ。
本作は前作のエンディングから始まります。
酔っぱらいが刺されてお腹から腸が出るし、
万引き客(男)に容赦なく暴行を行い、
万引き客(女)は大衆の前で全裸にされる。
冒頭から過激な描写が描かれてます。
ホドロフスキー監督は好きな映画監督として、
イタリアの巨匠フェデリコ・フェリーニの名を挙げていまが、
小人やピエロや巨乳の女性が登場する点だけでなく、
主人公がボヘミアンな人々と交流しながら、
セックスや芸術や情熱や破壊というものに触れていく過程が、
フェリーニ色の強いものになっています。
R18+で観たのですが、
R15+もあるらしく違いはち〇こにボカシがあるかないかとか。
これからの方はぜひR18+でご覧ください。
前作と本作はアレハンドロ・ホドロフスキーの自伝的な物語ですが、
あと3本作りたいそうです。
しかし監督もすでに87歳。
元気に最後まで撮り終えて欲しいです。
「性と詩」に明け暮れ「生と死」を超越せんとするホドロフスキーの生命賛歌
ホドロフスキーは最高だ!「性と詩」に明け暮れ「生と死」を超越して「魂の自由」を追求する若きアレハンドロの青春を美しく可笑しくドギツく描いた生命賛歌!今何よりもアヴァンギャルドな88歳ホドロフスキーの新たな傑作!この作品に出資できたことは俺の誇り!
何よりアレハンドロと父の別れが感動的。気の無い握手だけで別れてしまった過去をやり直す—「父よ私はあなたを許す」—アレハンドロと父は抱き合う。心の傷を芸術に昇華して映画の中で人生をリテイクして自らと父の魂を救済する。これがサイコマジック!
前作『リアリティのダンス』から続くホドロフスキー魂の自叙伝は5部作の構想らしいけど次のパリ編も絶対観たい!ホドロフスキーとシュールレアリズムの邂逅が描かれるらしく仮題は『エッセンシャル・トリップ』!一体どんだけドラッギーな傑作になるのかわからない!
ホドロフスキー死なないでくれ
いつまでも、ホドロスキーの入魂作品を!
リアリティーのダンスの続編にあってか、続けることなのかキレ味あり。どこかココロをえぐられるやような?監督の魂が盛り込まれていた。統一されている荒廃な背景は独自で良い。自国チリの文化ってこんなんか?という気持ちがよぎる。
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