劇場公開日 2016年8月27日

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「『この世界の片隅に』」リトル・ボーイ 小さなボクと戦争 うそつきかもめさんの映画レビュー(感想・評価)

3.0『この世界の片隅に』

2024年6月24日
PCから投稿
鑑賞方法:CS/BS/ケーブル

始まりは、おとぎ話チックで、どこかのどかな成長物語を思わせる展開です。

そもそも、少年が生まれつき発育の悪いハンデの持ち主で、「リトル・ボーイ」と言ってからかわれることから物語が始まっているので、どうしたってその逆転を期待するじゃないですか。

なんとなく全体の色調もクレヨン画みたいに強めの発色で、記念撮影のシーンなんかモノクロで残っている写真に比べ、みんな鮮やかな発色の服をまとっているというコントラストが意識的に対比されます。その時うつむいてしまう主人公の男の子の行動も含め、まるで歴史上の事実であるかのような錯覚におちいります。この演出は実に巧妙に仕掛けられたトリックで、この全体写真のシーンがあると無いとでは、まったく違ったテイストの映画になったことでしょう。

コミック・ブックの魔術師にあこがれて、子供心に念力で奇跡を起こそうと考えるあたりは、この子が成長して、すごい人物になるんだろうな。という成長物語を想像していました。

物語が展開しだすのは、小さな町に日系人の男が越してきたあたりから。あからさまな差別どころか、直接に銃口を向けられて「この町を出ていけ」まで言われる扱いです。少年は神父の言いつけを守ってこの男と親交を深めていきますが、極めて冷静なこの日系人の行動に比べて、町の人の態度はやがて暴力にまで発展していきます。よくこんな状況で生きていけるなと、感心し、同情してしまいました。

歴史上の出来事にのっとり、物語は進むので、とうとう原爆が投下され、「リトル・ボーイ」というあだ名にちなんで、町の人から奇跡の男の子みたいに扱われるのにはあきれましたけど、まあ、ていねいに伏線を回収しているなと思いました。

この映画が優れているのは、それぞれの視点から物事を考えられるように、どちらかのサイドに考えが偏っていないこと。とくに、日系人のシニカルな態度は、ストレートに悲しみや喜びを表現する少年と対比して、戦争のもたらす悲劇的な側面を浮かび上がらせています。特に、日本人にとって、原爆が当時のアメリカ人たちにどう評価されたのかを知るにはいいきっかけかも知れません。

もちろん、物語の核心はそこではなく、親子、家族、友人、コミュニティが、戦争を通じて変化していく様子を上手に描き、少年の視点を通じて語られたことです。同じ時期に日本のアニメーション映画で『この世界の片隅に』が製作されたのは運命的な偶然ですね。

2作品とも、小さな町の生活を通じて、戦争で変わっていく街を描き、何かを失い、何かを手に入れる映画です。そして、間接的に原爆がかかわっています。日本側から見た『この世界の片隅に』アメリカ側から描いた『リトル・ボーイ』。面白い対比になっていると思いました。

うそつきかもめ