アスファルトのレビュー・感想・評価
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【ボロッチィ団地に住む3人の男女が出会った3人の男女との関係性の変遷をユーモアと切なさを塗して描いた群像劇。アキ・カウリスマキ監督もしくはエリア・フレイマン監督風味が感じられる作品です。】
ー 冒頭、ボロッチィ団地の頻繁に止まるエレベーターの改修について、住民同士で話し合うシーンから物語は始まる。
2Fに住む、髭ずらの冴えない太った男だけが反対するが、多数決で改修が決まる。-
<Caution! 内容に思いっきり、触れています。>
1.髭ずらの冴えない太った男が、健康器具を漕ぎ過ぎて両足を怪我して病院へ入院。そして、車椅子での移動を余儀なくされる。
彼は、病院内で自販機から食べ物を買おうとするも、一個だけ引っ掛かって出て来ない。(クスクス。)
更に、彼は家に戻った際に、エレベーターに乗らないと部屋に帰れないため、コッソリとエレベーターを使うが、ある日閉じこめられる・・。(クスクス。)
そして、彼は夜勤の女性看護師と出会い、彼女の写真を撮りたいと申し出る。
ー 恥ずかし気な彼女は、その申し出を受け入れるのである。孤独だった二人の恋の予感である。-
2.落ち目の女優(ナント!イザベル・ユペール)が母と住む少年の向かいの家に越してくる。女優は少年の友人に扉を開けて貰ったりするうちに、部屋を行き来するようになる。
そして、二人はその女優が売れていた頃の白黒映画を観るのである。
少年の言葉。”この映画、良いね。”
落ち目の女優は且つて自身が出ていた舞台に再応募するが、監督に会っても貰えない。
少年は、”90歳の老婆の役が良いよ”。”と言ってプロモーションビデオを撮ってあげるのである。女優が、少年が映すカメラに語りかける台詞が、いつも一人の少年の心に響くのである。
3.団地の屋上にはNASAのカプセルが不時着し(クスクス。)、中から飛行士が困惑した表情で出てくる。
飛行士は、団地に住む、年老いたアラブ系の女性の世話になる。
NASAからは”事情があるから二日待て!。お前の代わりの人間を着陸させてから迎えに行く”と言う訳の分からない連絡が。
飛行士は、優しい老婆をフランス語と英語で珍妙な会話をするが、何故か通じる。
老婆には留置場に息子が居るのだが、それ故に老婆は飛行士に優しい。
老婆お得意のクスクスを二人で食べるシーンが良い。
<今作は、ボロッチィ団地に住む3人の男女が、3人の男女と不思議な出会いをしつつ、関係性を築いていく様を、ペーソスな笑いと切なさとシュールさをブレンドさせつつ描いた作品である。
アキ・カウリスマキ監督もしくはエリア・フレイマン監督風味が感じられる作品であり、とても印象的な作品である。
劇中、屡聞こえる鳴き声の様な音は、ボロッチイ団地が発する音ではないかな、と思った作品でもある。>
郊外(バンリュー)団地の今
郊外の荒びれた公団住宅の住人たち、冴えない中年男は看護師の気を惹こうと必死、同じ階の隣人の老女優と快活な青年は世代ギャップを越えられるか、迷子の宇宙飛行士と健気に世話するアラブ系移民の老婦人の3つの偶然の出会いの物語を描いている。
劇中でピカソ団地と言っていたがタワーが無かったので別の団地でしょう、1960年代に移民用に多くの団地が作られたが1980年代以降、失業率が増加し非行化が進む移民2、3世の少年達によって犯罪が増加、団地はフランス社会から貧困で危険な地域だと見られるようになった。映画『憎しみ』(1995年)はそんな青年たちの暴動を描き社会問題にもなった。それに比べれば本作の団地は老朽化が進んだせいか穏やかに思える。
貧しく恵まれなくとも健気に生きる人たちのヒューマンコメディと言ったところなのだろうが、ルームサイクルの漕ぎ過ぎで入院とか、NASAの宇宙船のカプセルが屋上に不時着とか突飛すぎるでしょう、もっともフランス人はアメリカ人を虚仮にするのが大好きのようだから受けるプロットなのでしょう。いい年をして平気で嘘をつき、気を惹こうとする様は痛々しい。かっての栄光を忘れられない老女優というのもよくある話、いずれも取り立てて映画にするまでもないフィクション感が強く登場人物にも思い入れが出来かね、正直退屈な映画でした。
ありえなそうでありえそうで
無機質なアスファルトのかたまりの中でも、人は生きていて、交じり合う。そこに、「NASA」という非日常的なアクセントが突拍子もなく切り込んでくるので、ダラダラしない。
引っ越してきたお隣の女優でも、夜勤の休憩中に偶然はちあった侵入者でも、いつもの日常をがらりと変える出会いは、どこにでもある。
そう思えば、空からNASAの宇宙飛行士が落ちてくる…なんてことも、100%、ないとも言い切れない気がしてくる。
ありえなそうと、ありえそうのバランスが絶妙。
宇宙飛行士とアラビア系おばちゃんが、言葉の壁を超えてだんだんと通じ合っていく過程、じんわり幸せな気持ちにさせてくれる。宇宙飛行士の目がだんだん、柔らかくなっていくのがよくわかる。
しかしおばちゃんおしゃべりだな〜w
イザベル・ユペールは大女優の風格全く消し去り、落ちぶれ女優を完璧に演じていてさすがな貫禄…貫禄、すら見せてないけどw
相手役の若者もよかった、若いけど深みと影のある、出しゃばらないのに存在感のある演技。今後が楽しみです。
若いがガキっぽさは無く、少し老いても女性らしさは無くならない、この2人を見ていると、歳の差40歳とかのカップルも全然不思議ではないなあ。
最後の最後、音の主は結局、そんなもんだった、てオチも良い意味で肩透かし、そう、そんなもんなんだよ(誰かちゃんと閉めて!)
暗闇の向こうから差すのは、希望。
お金を出してフランス映画を見るのは
生まれて初めて。
予告を見て、なんだかスルーできなかった。
結果、
やっぱり難しい(^^;;
でも、フランス映画の中では
わかりやすい感じなのかな?
とにかく淡々と進む。
舞台が同じショートショートの小説を
ちょっとずつ、同時に読んでいくような感じ。
車椅子の男性が
病院の自動販売機で
人目をはばかって
スナックを買っているシーン。
コインを投入して
さあ落ちてこい、、、
と、途中で引っかかる。
劇場ではクスクス笑い声が漏れていたが
なぜか、心が滲んだ。
最近、ふとした事で
イライラしたり落ち込んだり。
そんな自分だったから
人間の絶望なんで
他人から見たら滑稽なのかもしれない。
アラブのオバァちゃんが
よかった^_^
息子を思う気持ちは
万国共通なんです。
夜空に瞬く星は
暗闇の向こうには
希望があるということ。
宇宙飛行士の一言が
心に差し込んできた。
全編通して聞こえてくる。
軋むような、
悲鳴のような音。
ラストで正体は明かされるけれど
何を意味してるのだろう?
望外の喜びをもたらす映画
フランスの団地。かの国では「バンリュー」と、マイナスイメージを伴った言葉で呼ばれる都市郊外の集合住宅が物語の舞台。
殺風景で荒み切った背景ばかりの映画である。そこに登場する人々の生活もまた生彩を欠いている。
だが、彼らの生活に暖かさや彩りが生まれる瞬間を、画面の色彩設計ではっきりと映像にしている。
例えば登場人物の衣服の色を背景の補色を選択したり、バレリア・ブルーニ・テデスキ演じる看護師がピンクのカーディガンを脱ぐと素敵なワンピースを着ていたりという、色彩の演出が、単調な背景に倦むことから観客を遠ざける。
宇宙飛行士とアラブ系女性、人生下り坂の女優と少年、エレベーターをこそこそと利用する車いすの男と看護師。彼らのそれぞれのエピソードがブラック・ユーモアを少しずつ重ねていく。決してその人物たちに感情移入をしようとはしない前半は、むしろ彼らを皮肉たっぷりに冷たく見つめている。
意地悪な視線に変化が起きるのは、各々が相手の為に何かをするところからである。宇宙飛行士が、台所の水漏れを修理しようとする。少年が、演出家に見せるための女優の演技をビデオに撮る。車いすの男が、看護師に見せて欲しいと頼まれた世界中の写真を、自宅の窓から見える空とTVの中の風景をポラロイドで撮影する。
その全ての試みは実を結ぶことがなかったり、当事者以外には意味のない行為だったりする。特に、車いすの「偽写真家」がフィルムの入っていないオモチャみたいな古いカメラで、看護師に向かってシャッターを切り続けるシーンは虚しさの極みである。
ところが、彼らの空しい試みを見るときに観客はこの映画との幸福な出会いをもっとも強く感じる。小ばかにしていたはずの存在の中に愛おしさを感じる、その自らの視線の変化に戸惑う喜びを。
冷たいアスファルトが、じんわりと熱を帯びる幸福
3種類の小さな出会いの物語だ。本来出会うはずのない者同士が、些細なきっかけで出会う。そしてほんのわずか人生に変化を齎して去っていく。そんなさりげない街角のメルヘン。
寒々しい打ちっぱなしの集合住宅(映画では「団地」と訳していたかな?)に住む、決して裕福には見えない人々の暮らしの中に、ある日突然「他人」が介入してくる。それは、夜勤のナースだったり、今ではすっかり忘れ去られた女優だったり、宇宙から落ちてきた(笑)アメリカ人だったりする。それぞれ、出会うはずのない者同士なのだけれど、なぜか通じ合うところがあり、お互いの人生にささやかな影響を及ぼし合いながらひとときの時間を共有する。その温かさが、冷たいイメージの「アスファルト」の団地にじわじわと熱を与え、気が付くとほっこりと心温まっていることに気が付く。これは現代の街を舞台にしたファンタジーかもしれない。現実はこううまくはいかないかもしれない。けれども、映画を観ている間、その魔法を信じられたのは幸福な体験だった。
映画館でも、時折クスクスっと笑いがこぼれ、温かい時間だった。特に、アラブ系のおばあちゃんとアメリカ人宇宙飛行士の、成立しているようで成立しない会話の微笑ましさには何度も笑いがこぼれた。夜勤のナースについた嘘をきっかけに生きる活力を見出す男も健気で愛おしかったし、年の離れた女優と学生の交流も年齢や立場を超えた関係性に見入った。フランス映画がいつもいつも気難しくて気だるい映画ばかり撮っているわけではないと、改めてフランス映画を愛したくなる作品だった。
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