「砂埃のないヴィヴィッドな西部劇」スロウ・ウエスト 津次郎さんの映画レビュー(感想・評価)
砂埃のないヴィヴィッドな西部劇
簡単に死ぬのが西部の無情をあらわすのに貢献するとはいえ、やたら死ぬので、指名手配の意義が怪しい。いったい誰が訴え出て、誰に管理されているのだろうか。無法なのは解るが、狩人に狩人がいるなら同心円状に拡がるばかりで西部は無人である。映画にbrutallyを織り込みたいのは解るが、やや行き過ぎを感じた。
少年と青年の狭間のような男が、けっこう抜けた理由で横断しようとしている。そこはコミカルでもあって、生死のわからない旅路には見えない。かれが、西部の強欲とエゴイズムと命の軽さに晒されることによって、楽観が叩きのめされる。同時に観る者の安寧も失せる。
プロフェッショナルとアマチュアのコンビだが、互いが互いを利用しており、道中、多少変化するが友情とまではいかない。それは乾きすぎだと思う。乾いているのは構わないが、死にすぎるうえに、乾きもあるとなれば、ぱさぱさしてくる。
ただ、それらが妙に小綺麗な見映えで救われる。昔、中野翠だったと思うが、西部劇を見ていると、早く帰ってシャワー浴びたくなる──とか言っていたのを覚えているが、その埃っぽさを感じない西部劇である。なぜか解らないが、妙に小綺麗なのである。小綺麗というか、──妙にカラフル、強コントラストだった。
その空気感はニュージーランド撮影に因るものかも知れない。西部劇で生木のような新築を見たのは初めてである。木製の型からバターだか生地だか解らない旨そうな黄色がはみ出る描写を見たのも初めてである。インディアンとてマオリ族に見える。きりりとした眉のローズにもアメリカの気配がない。長編初監督らしいが迷いも見えない。暴力性が色彩と本末転倒な結末で楽しくなる、リバイバルでも習作でもない、新しい西部劇が、確かに感じられた。