「人生で何が大切?」ラサへの歩き方 祈りの2400km Socialjusticeさんの映画レビュー(感想・評価)
人生で何が大切?
サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路はカトリックの巡礼の道で有名で、信者でなくてもスペイン、フランスに跨がるこの道をハイキングしたいという人を聞く。エミリオエステベス監督の『The Way』という映画では息子のためにこの道を歩くマーチンシーンにこころを打たれる。
この映画『ラサへの歩き方』は『巡礼』という特別な言葉より、『生きる道』とか『人生』を感じさせる。赤ん坊が生まれ、老人が死んでゆく。だれも、自然の輪廻に逆らわなく静かに見つめていて、自然と一体になっている。
この映画はこれで二度目だが、『生』と『死』に凝縮された人生がここに現れている。
この監督の映画は1999年製作の『心の湯』とこれしか観たことがないが、人生の醍醐味に辛苦を上手に取り入れて、『これが人生』と私たちに気づかせている。うまく説明できないが、この映画で巡礼は『人生』を表し、また、この人々の人生においての五体投地の巡礼路はこの人々の人生の一部だと思う。
それに、人生の歩き方の巡礼のなかで、全身を地面にぶつけて祈るという力強いチベット仏教の巡礼の仕方は他の国にあるだろうか? Mangkangに戻るのには遠いしラサまでは先すぎるという場所で車が壊れたシーンがある。荷台を押して、それをひとまず、先においておいて、また、歩いて戻り、五体投地をする。 それに、道路に水が溜まっていても、ぬかるみであっても、五体投地を中断しない。スキップすることなしに、延々と一年以上続けていく。これはラサまでだったが、老人がなくなった後、葬儀を済ませ、それからまた続けていく。忍耐力、チームワークなどより、信仰の力は恐ろしいなと思った。
好きなシーンは現代文化と巡礼との対比: 例えば、ドラックがビューンビューン飛んでいくところで、五体投地をしながら巡礼者が歩むシーンとか、老人や賢者の話を頷きながら聞く若者の家族や子供。ましてや、五体投地の仕方を詳しく説明し、うるさそうな老人だなあと思わせておいて、老人は自分の家に巡礼の人々を招待しもてなしをする。 トラクターが事故に遭ったとき、相手側のバンの運転手はトラクターを起こすのも手伝わないし、簡単に有無を言わせず示談する。ラサに入ったときも、観光客と五体投地の巡礼客との対比。それに加えて、雪山と多様な色の旗(?)と岩肌のコントラストが綺麗だった。
最後に、感激したシーンは、トラクターが壊れてしまい、荷車を押すシーンがある。上り坂にさしかかり、一番困難な坂道を押し上げるときに出る『歌』。辛い時に、皆で歌う一体感、それを克服するシーン。