「解説(二回目観賞後修正)」ひるね姫 知らないワタシの物語 チンプソンさんの映画レビュー(感想・評価)
解説(二回目観賞後修正)
二回目を観て確認。
ハートランド王国のハートランド城は人口の大半が城の自動車製造に携わるようになっているため、城への道は日々渋滞し、困窮な労働環境が蔓延していた。
ハートランド王の一人娘エンシェンは機械たちに意志を与えることが出来る魔法を扱える。その力を狙ってか、ハートランドは巨大な鬼と呼ばれる怪獣の襲来に悩まされていた。
国王は対鬼用巨大人型兵器エンジンヘッドを開発・使用するが、エンシェンは鬼は魔法でしか倒せないことを知っていた。
映画冒頭に描かれる世界は『エンシェンと魔法のタブレット』という名で、これは主人公のココネの父、モモタローが幼少期のココネに言い聞かせてた話だと中盤で判明する。
この夢が高校生最後の夏休み直前のココネの夢に頻繁に見るようになる。この話の真相をココネはまだ理解しておらず、どこで聞いた話なのかも忘れている。
父モモタローがココネが幼少期に聞かせていた自作のお伽噺。
現実要素も絡むイビツな世界設定の話である理由は、この夢の話がモモタローと死んだ妻、ココネの母のイクミの思い出話に準えているから。
【ハートランド城】
自動車メーカー「志島自動車」
【ハートランド王】
自動車メーカー会長でイクミの父である志島一心
【ピーチ】
町工場勤務のモモタロー(恐らく傘下)
【エンシェン】
一心の一人娘で技術者イクミ
【エンジンヘッド】
新型自動車
【魔法】
イクミ、モモタロー作の自動運転プログラム
【鬼】
会社の競合相手、ノルマや障害といった特定のものではない複合的な、会社にとって障害となるもの
「鬼」の解釈は曖昧なものの、作中、海から現れて自動車を食べ始めたり(外資系企業の勢力)、黒い鳥によりパワーアップしたり(SNSによる不利になる情報の拡散)など、会社にとって不利益となりえるものが鬼で表現されていると言ってもいい。
そして対抗できる魔法が本格採用が待たれる自動運転技術といのも、鬼が象徴しているものが何かわかるようになっている。
(新技術の成功で会社の危機を救えるという暗喩)
しかし魔法を訴えるのはエンシェンのみという話になっている。
これは終盤あたりに描かれるイクミとその父一心との確執によるもの。自動運転技術を推し進め、競合相手からリードを維持したいイクミと、
従来の形でより高品質を狙いたい一心との対立だ。
イクミの孤独な主張がエンシェンの魔法の話ということになっている。
そして夢の話ではピーチは海賊と称されており、エンシェンも途中から海賊の格好をしだす。
これはモモタローとイクミが会社の方針に見切りをつけて離れ、自力での自動運転開発を町工場で細々と続けていった“はぐれ者”となったから。
しかしイクミは事故により亡くなってしまう。
このことも『エンシェンと魔法のタブレット』で反映されている。モモタローは母の些末を娘にお伽噺として伝えていたのだ。
しかし完全な結末は存在しない。なぜならイクミ(エンシェン)は死んでしまうからだ。
ココネは度重なる夢の中でようやく気づく。あの夢は父の思い出であり母の思い出なのだと。父は母の話をしてくれていたんだと。
しかしその時見た夢の話こそ、『エンシェンと魔法のタブレット』の完結部分である。落ちていくエンシェン(イクミ)をピーチが見る以降は存在しない。あるいはモモタローはわざとそれ以降を作らなかった。作れなかったか。
この夢を見たことにより、ここから見る夢の話はモモタローのものでもイクミのものでもない、ココネが主人公の夢の話となる。
一心との邂逅を果たしたココネは、ここで夢に出てくる王が一心のことだと悟る。そこから映像では夢の設定で話が進んでいく。
この理解できない現象はすなわち、ココネの中で夢の話が現実をもとにしていたことの理解を示している。
それまでは父と母の話としか理解していなかったが、ここで答えあわせのように夢と現実の登場人物たちの辻褄を確認し、ココネは覚醒しながら眼前に起きていることを夢の設定として頭の中で出力していく。
なぜココネはそうするのか。それはその前に『エンシェンと魔法のタブレット』の悲しい結末を見たからだ。
あの結末を否定したい気持ち、つまり亡き母であるイクミを思う気持ちと、それを聞かせてくれた父モモタローを思う気持ちを、現実の岡山から東京への旅路の末に叶えたいということと準えてココネは見ているからだ。
しかし途中で悪役により家族の思い出の品タブレットを投げられ、高所からダイブしてしまうココネ。
ここから完全に夢の話として飛躍していく辺り、恐らくココネは気絶してしまったのだろう。
その後始まる鬼との対決は、ココネが主人公の新しい『エンシェンと魔法のタブレット』。
思い出した物語をもとに、会社の障害の象徴である鬼を打倒する話にココネが改変していく。それは志島自動車社長の一心が抱いていた娘への贖罪、オリンピックでの自動運転技術のお披露目という困難の突破だ。
かつてイクミと共に成し得なかったことの再チャレンジとしてココネは夢を再構築する。
そして娘は父を救いにハーツに乗って飛び立つ。
共に志島自動車社訓『心根ひとつで人は空も飛べる』に準えてて翼を生やす。理想が形になったことを表している。
しかし結末は皮肉にも『エンシェンと魔法のタブレット』のようなものに、現実になってしまう。エンシェン役はココネだ。
本社ビル吹き抜け30階からの落下寸前にモモタローが腕を掴む様はまさにあの結末の繰り返しだ。それも今回は遠く父を助けにやって来てくれた娘となって。
今度こそ失いたくない。娘の思いを無駄にしたくない。
この時にモモタローの脳裏に生前イクミに言われた言葉「ココネを守ってね」が聞こえ、直後に“家”に帰るようにしていたハーツが本社ビルに入ってくる。
悲願の自動車運転が施されているハーツ。モモタローとイクミの夢の証。そして序盤に写真であったように、ココネが小さな頃から身近にあったもの。
イクミの意思が乗り移ったのか、ロマンチックにも、ここのハーツは完全にモモタローとイクミの子であるたった一人のお姫様のココネを助けようとしている。
子守り話の中ではエンシェンという姫を守れなかったピーチ。
しかし現実世界はそうはさせまいと、ココネというモモタローとイクミ(ハーツ)にとっての姫を助ける形として、ビル内で落下していく。
除幕式が如く表れたハーツをもって、ここでようやくオリンピックのセレモニー計画をハーツにやらせるという形に決定する。つまり鬼は(現実に)倒されたということも意味している。
ラストでお盆の終わり。精霊馬をきゅうりから茄子へ変えるモモタロー。
あの夢を見始めたのは精霊馬を早めに飾りだしたときから。イクミに早く来いと言わんばかりに。
思い出という夢に抗うことで掴んだ本当の理想の夢。
イクミに対する後悔の念を断ち切り、イクミが夢見た家族の関係を成し遂げた家族の物語。
理解するために考えなければならないが、夢という過去にいくつも題材にされたテーマでありながら、ここまで分かりやすくしたのは素直に褒めたい。
ただ、無駄に長いしテンボも悪いし、演出も弱いため、そこらへんを解消してくれたら傑作になり得たはず。
キャラデザなどは素朴な感じで好きだし、なにより動きまくるから見ていて気持ちがいい故に、惜しい