淵に立つのレビュー・感想・評価
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告白と秘密
深田晃司監督作品。何たる傑作。なぜ今までみてなかったのか。
夫と妻と娘のどこにでもいるような家族。夫と妻の仲が冷え切っているのもよくあることだが、それなりにうまくはやっている。ピアノの旋律のように。しかし夫の昔ながらの友人らしき八坂がきてから一転、美しい旋律にノイズが混じるように、崩れる。その崩れ方がどんどん嫌な方向にいってしまうのがつらい。でも間違いなく傑作だ。
物語の構造が完璧で美しい。
本作は「どのように罪を赦せるか」がひとつのテーマになっている。このようなキリスト教的テーマがあることは、作中の母娘の信仰の描写からも窺える。さらにこのテーマを語る上で、「告白」は重要な要素だろう。そしてその対になる「秘密」の概念を夫妻の対置で語っているのだ。
妻の章江は「告白」の人だ。彼女に対峙する人は告白を余儀なくされる。八坂は章江に自らの過去である殺人を犯して収監されたことを告白するし、八坂の息子の孝司もまた父との関係を告白する。この告白は、八坂の場合、不倫に転じて後に娘への暴力へと発展してしまうし、孝司の場合は、罪のフラッシュバックと関係性の破綻に繋がってしまう。告白は赦しにはならないのだ。
かといって夫に属する「秘密」もまた罪なのだ。夫は八坂との関係を妻に秘密にする。孝治の出自についても秘密にしようとする。しかしその秘密は告白によって、秘密のままではなくなり、誰かを救うことにはならない。
このように「告白」も「秘密」も赦しにはならない。夫と妻が対峙し、本音を語るとき、双方が秘密を告白しようとも離婚という破綻につながってしまうのだから悲壮だ。
八坂に暴力を振るわれ、障害をもって生き延びてしまった娘、という名の皆の原罪。彼らは罪から解放されることなく、背負って生きなければならないのがあまりに悲痛だ。
八坂は物語で二度と現れない。関係なく罰を受けた娘の障害が治ることもされない。夫婦関係も良好にならない。孝司も赦せない。あるのは母娘の投身自殺だけであり、横たわることしかできない。
4人が横たわるとき、かつての家族の写真とリフレインされている。あの写真は家族であることを告白すると共に〈声〉を消され秘密を抱えたイメージだ。
彼らがこれからも家族であるために、それには告白と秘密の調律が必要だろう。そして4人が美しい旋律を奏でることを祈ることしかできない。そこに赦しがなくても。
家族という名の迷宮からの脱出
世界共通かは知らないが、家族というのは仲良く助け合う、愛と慈しみに溢れた状態が理想とされている。自分自身の経験からも、家族は呪われた呪縛のようでもあるが、同時に心が安らいだり支えてくれたりするものだと思ってきた。
が、『淵に立つ』が提示するのは、そんな常識が通用しない家族の姿だ。家族同士が憎み合ったり崩壊したりする話も世の中にゴマンとあるが、そのどれとも似ていない。なぜなら、そもそも家族はこうあるべきという概念が、この映画にはサッパリ感じられないのだ。
家族という形態に向けた不信感のようなものは、深田監督の多くの作品に共通しているが、常識的な倫理観をハナから受け付けないこの映画は、とても「自由」だし刺激的だ。
普通に共感しづらい物語やキャラクターを、みごとに演じてみせた役者陣も素晴らしいし、ちゃんと自分のビジョンを貫き通した深田監督の作家性にも拍手をおくりたい。
対立する概念が混然とよどむ淵に私たちは立っている
説明過多になりがちな日本の商業映画のなかにあって、台詞や表情の控え目なニュアンスで、過去の出来事や人間関係の情報を小出しにする深田晃司監督(脚本も兼ねる)の姿勢が好ましい。観客のリテラシーへの信頼が伝わるからだ。
罪の贖い。過去からの復讐。過ちと罰。宗教観にもかかわる深遠なテーマを、淡々と提示していく。わかりやすい答えを出そうとはしない。宗教だけに限定される話ではなく、“人の業”を考えさせる切実な内容だ。
浅野忠信の浮き世離れした存在感がはまっているのは、近作の「岸辺の旅」などと同様。彼がまとう服の色(白黒から赤へ)の象徴性も、シンプルだが効果的だ。
映像表現の点では、ゆっくりのズームインと音響の繊細な制御が連動した印象的なショットがいくつか。
生と死、加害者と被害者、罪と罰、破滅と再生。一見対立しそうなものたちが混然とよどむ淵に、いまも私たちが立っていることを教えてくれる。
食卓の風景がこの作品の象徴か?
微妙な関係は冒頭の食卓風景のアンバランスで始まる。新聞を見ながら勝手に食べ始めている父親と、祈りをすませて食べ始める母と娘の光景は違和感と緊張感が漂う。家族間の視線は交差しないが、それでいて均衡は保っている。そこに、ある日突然の訪問者が加わり、に均衡が崩れる。ホームドラマの和気あいあいの食事風景と全く違う。家族とか食卓で象徴されるうわべの円満さを否定するような監督の思惑を感じるシーン。後半、テレビカメラで娘の様子をチェックするシーンでは、家族の食卓の崩壊を象徴する。
全編通して、冷徹で緊張感を隠さないカメラワークと、通じる会話や視線の少ない演出。後味が悪いので、みんな息を吹き返してくれと祈りたいエンディングだった。
秘密と告白。意外に簡単に長年の秘密が告白される。墓までもっていかないのかと拍子抜けする自分がいた。
出演者はいずれも適役で名演だった。なかでも筒井さんの前後半の違い、特に後半のだぶついた腰回りだけで年月と苦労が滲み出る演技で、彼女の役者魂を感じた。ふとシャーリーズ・セロンの出演作を思い出した。
三者がそれぞれに立つ罪の「淵」
〈映画のことば〉
8年前に、蛍が事故に遭って、ようやく俺たちは夫婦になれた。
八坂と利雄との間には、殺人事件の主犯・共犯となるべきどんな過去があったのか、本作は明示的には描いていなかったようでですけれども。
そして、蛍が車イス生活を余儀なくされた原因の事故について、八坂がどんな関係に立つのも明らかにされないまま、八坂が鈴岡一家の前から忽然と姿を消してしまいます。
それが、利雄に対する復讐(彼が鈴岡家を訪ねた本懐)を無事に遂げたからなのか、利雄に対する蛍を手にかけてしまったことの罪の自責なのか、蛍を偶然の不幸な事故に遭わせてしまったことの責任感・贖罪の気持ちからなのか。あるいは、単なる第一発見者に過ぎないのかー。
いずれにしても、蛍が遭った(遭わされた?)「事故」は、鈴岡一家の中に、やがて大きく芽を吹くことになる不幸の「落し種」になったことだけは、間違いがなさそうです。
結局のところ、殺人を行い、被害者の遺族には贖罪の手紙を書き続けている八坂にしろ、八坂の犯行時に、(どんな理由からかは本作の描くところではなかったと思いますけれども)お世辞にも軽いとは言えない加功行為で八坂の犯行に与(くみ)したことを秘めて章江との結婚生活を営み、蛍との生活を送ってきた利雄にしろ、人妻でありながら八坂に不倫の感情を抱いた章江にしろ、主要な登場人物のそれぞれが、それぞれに立っていたのは、それぞれの罪の「淵」ったことは、間違いのないことのようです。
そして、少なくとも敏雄、章江について、かつて自分が蒔(ま)いたタネを自分で刈り取る結果になったという点では、巡る因果の重さ、恐ろしさを描いて、余りがあったというべきではないでしょうか。
そう考えてみると、本作は、充分な佳作だったと言えると思います。
(追記)
〈映画のことば〉
おめえは、本当に小せえ野郎だな。
そんなに俺が怖いか。
俺がクソみてえなところで、クソみてえな奴らの相手をしているときに、おめえは女を作って、ガキまで作ってよ、どうなってるんだ。
その立場が、何でおめえで、俺じゃあないんだ?
…って、冗談だよ。冗談。
幼少の蛍に、手際よくオルガンを指導することで章江の信頼を得るなど、まるで染み込むように、静かに鈴岡一家の中に入り込んで行く八坂のその姿―。
八坂は、どこでオルガンの腕を磨いたのでしょうか。
(服役中でないことだけは、間違いがないかとは思います。刑務所は、矯正教育の一環として職業教育をすることはあっても、精神面での安定を目的として、音楽教育などの情操教育をしているということは、ないだろうと思いますので。)
普段は清楚な服装に身を包み、丁寧な言葉づかいで人当たりは悪くはないのですけれども。
しかし、その上着を一枚脱いでしまうと…。
そして、そもそも、八坂が鈴岡一家に現れた理由すら、判然としない。
その得体の知れない八坂の不気味さを、浅野忠信が好演し、なんとも言えない不気味な雰囲気を醸(かも)し出していた一本でもあったと思います。本作は。
いずれにしても「もんのすんごい映画を観ちゃった」ということは、間違いがなかったようです。
贖い
とても宗教的な内容だと思った。食前の祈り、日曜の教会礼拝、など具体的な場面もある。右の頬を自ら打つのも、関係ありそう。右の頬を打たれたら左の頬を差し出せってやつ、聖書の言葉をなんとなく覚えているが、どんな意味だっけ? よくわからないので、ちょっと検索してみた。右頬を打たれるということは、打つ方は左手で打つか、右手の甲で打つわけだが、当時のユダヤでは手の甲で打たれるのは大変な侮辱だったそうだ。そうすると、人前で侮辱されてもやり返さず、左頬を差し出すなんて、今もできることではないが、当時でも考えられないことだろう。前段として、ユダヤの立法で被害を受けた際の報復について、「目には目を、歯には歯を…」があり、これは受けた分と同じだけ返すべき、と過剰な仕返しを戒めているものだ。人はおおよそ、やられたらやり返したくなるもので、恨みや憎しみをそうそう水に流せない。キリストはそれを流せと言うわけだ。そして、自分が実践し、磔刑を黙って受け入れた。映画では自分で頬を打つから、もしかしたら違う意味があるのかもしれないが、憎しみや怒りを相手ではなく、自身に向けている行為に見えた。なので、やはり宗教的な行為に思える。
八坂は刑務所に入ったが、利雄は罪から逃れ、自分の行いについて反省もなく、何も痛みがない。妻の章江に自分が共犯と告白するのも、娘が自分の犠牲になったように言うのも、章江への配慮が欠けている。八坂も冷たいものがあるが、利雄の方がもっとずるくて冷たいんじゃないだろうか。罪を償っていない利雄は、大事なもので贖わなければならない。目には目をもって。ラストシーンの利雄の顔のアップは、奪われる瞬間を表しているのかもしれない。
白いシャツをピシッと着て、丁寧な口調の八坂は、穏やかで聖職者のように見える。オルガンもさらっと演奏できちゃうし、信仰のタイプを猿と猫に例えるところなど、知的でまるで教会の説教を聞いてるみたい。これが地なのか、それとも装っているだけなのか。結局、最後まで真の姿はわからず、蛍の事故に関与しているかも不明である。彼は、利雄に報復したかったのか。章江と蛍を彼から取り上げたかったのか。私は、八坂は人の意向を読み、望まれるように反応する、カメレオンのような人間のように思う。八坂に関わった人が、自分のイメージを彼に投影するだけで、八坂自身は空っぽ、そんな気がする。
浅野忠信、筒井真理子、古舘寛治の演技は素晴らしい。仲野太賀も良かった。そして、誰よりもすごかったのは、動きが制限された中で表現した、8年後の蛍役の真広佳奈ちゃん! その後、俳優の活動をしてないようだけど、彼女の演技をもっと観たい!
BS松竹東急の放送を録画で鑑賞。
蟻地獄に嵌っていく恐怖
紛れもない名作。
"普通"の人たちがそれでも前に進もうとして、自ら不幸に突き進んでいく恐怖。そっちにだけは転んで欲しくないその方向に、物語はどこまでも転び続ける。
進行は淡々としているが無駄がなく、感情描写も端的かつ的確。観ているだけで息が詰まっていく。
視聴後、しばらく茫然自失、動けませんでした。
浅野忠信の演技が……
ある男が刑務所を出所後 友人の家族と同居を始めた。彼は真摯に自分の罪と向き合う誠実な人間と思われたが ふと見せたもう一人の人格……。
この男が主人公の家族と生活を共にし始めたという設定も相まって いやぁ〜〜…怖いのなんの…。
洋画にもよくありがちな設定だけど 浅野忠信の演技と言い 顔といい 正に適役だったと思う。この役を他の人がやると誰が適役かな?と考えたら 極楽とんぼ加藤浩次が雰囲気ピッタリかな…と思ってしまった。古舘寛治も適役でとてもよかった。彼の他の出演作品も追いかけてみたくなった。
因果はめぐる
浅野忠信扮する八坂草太郎は、出所後 知り合いの鉄工所で住み込みで働きながら家族の中に入り込んだ。八坂は、娘のオルガンを教えたり奥さんのプロテスタント信仰に入り込んだして友人家族の信頼感を得ていたが、殺人を犯した事を告白したものの友人の妻と浮気したり急に態度が横柄になり娘に重傷を負わせ八坂は消えた。
因果はめぐると言うか、悪い事は出来ないと言うか不思議な縁があるものだね。余りいい気持ちで観られるものではなかったな。夫婦間の秘密は程度問題だね。
秘密が交差する負の連鎖
はじまりから不気味さマックスで
物語が進むにつれて得体の知れなさ
が増していく。
浅野忠信のすごみとストーリーの
重さがマッチしてよい。
事実を知ったときののみこめない
感情がリアリティがある。
秘密にしているからこじれていく。
時すでに遅し。
どこで間違ったのだろう。
かといって秘密を明かしたら
解決するものでもない。
なら知らないほうが幸せか。
長さにビビりながら見てみた本気のしるし劇場版が、 地方局の深夜ドラ...
長さにビビりながら見てみた本気のしるし劇場版が、
地方局の深夜ドラマ発という事情もあってか低予算が見える絵作りながらそれを忘れさせる傑作で、
全く興味がなかったふか深田監督の本作も試しに見てみた。
結果、さすが海外でも評価されているだけのことはあり、説明を省いたスジの流れに引き込まれた。
確かに現実社会で出くわす物事や相手のリアクションがこちらの想像と異なっていて面喰らうことや、
結局何が原因で何が起きたのかわからないことも、珍しいことでは無い。
(映画やドラマだと伏線回収がもてはやされるし、自分も大好物なんですがね)
役者も浅野忠信も筒井真理子(後半、ワザと体型崩した?)はもちろん全員が適切な存在感。
結論として、深田監督の作品を追いかけてみることになりました。
起こる出来事は結構きつい内容なのに、 どこかこじんまりとしていて...
起こる出来事は結構きつい内容なのに、
どこかこじんまりとしていて地味な映画。
シーンのひとつひとつもまさに頭と尻尾はくれてやるぐらいの感じで、
もっと後から入ってもよかったのでは?と思える冒頭部分に、
もうこの辺で切って次に行ってもいいのでは?と思える結部分が多用されている。
もちろん故意の手法ではあるのだろうけれど、
どうにもこの映画においてはもっと長く精神を傷めろみたいな悪意のようにしか感じない。
何も感じない人からすれば、ただの間延びした感じにイライラするだけだろう。
ストーリー的には何があったかは綿密には語られないが、
おおよそこういう事なんだろうというのが中盤ぐらいで大体解ってしまうし、
だからこそまだ何かあるのかなと思っていたら何もなく終わっていった。
語られない物事を綿密に描写する必要はないと思うが、
もうひとつやふたつ何か絡まった事情があれば良かったかもしれない。
結局一人の人物の自業自得が全てなので、あまり感情移入も出来なかった。
筒井真理子さん
全体的に暗い、静か、怖い。
邦画が好きで色々観ているけれど、また救いのない映画を観てしまった。
どう考えてもハッピーエンドにはならなかった。
筒井真理子さんの変わりよう、事件前の色っぽい姿から、介護疲れを全面に出したおばさん体型。女優さんって凄い。太っても憂いのある顔立ち、雰囲気が素敵。
それぞれに俳優さんが他に代わりの人はいないんじゃないかと思えました。
古館さんは地元ローカルCMでは随分前から有名な方です。
たいがくんがまだ初々しい感じ。かわいい。
『ゆれる』にも近いような気もします。
余韻か、結末からの逃避か
余韻か、結末からの逃避か。
前者なら高評価だろうが、私は後者と見た。
タイプキャストを微妙に避ける役者の好演(太賀と筒井が儲け役)と痛切な物語だからこそ、作り手にはその勇気を求める。
年テン中位。
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