「「家族」にしがみつく弱きもの。」たかが世界の終わり(2016) だいずさんの映画レビュー(感想・評価)
「家族」にしがみつく弱きもの。
弱いから家族に縋るんじゃないか?
家族なんだから、助けてくれる。
家族なんだから、私の望みを掬い取ってくれる。
そんなのは幻想ですよ。
人が自分の望みなんてかなえてくれないよ。
そんな風に思いました。
でもそれを夢見るから閉塞した毎日がどうにか生きられる。
母と妹と兄はそんな感じの人。
外の世界を求めて家を飛び出たルイを
どこかで憎みながら、望みをかなえる救世主として希う。
なんと愚かなことよ。でも、それが人というものかもしれない。
鳩時計がルイの来訪と退散の比喩なんだと思う。
午後1時に訪れ、午後4時に去る。
去る前に時計から1匹の鳥が飛び出る。
苦しそうにもがきながら飛ぶ鳥は、飛びたいように飛ぶ事ができず、
やがてルイの足元にふらふらと落ち、死にます。
それはまるで母や妹や兄の末路のように思えました。
恐らくルイは二度と戻らず、家族には知らせずに最後を迎える決意をしてしまったのでしょう。
だって、家族はルイから欲しいものを取り出そうとするだけで、
彼に与える事はしないわけですから。
なので、彼は自分を見せることを、あらためてやめたということです。
ルイは殆ど自分から喋りません。
周りの人が喋ることに翻弄され、発言を遮られ、あきらめる。
そして、母も妹も兄も、直接はルイに自分に対してこうして欲しいとはいわない。
言わない代わりに、他の家族をいたわるようルイに強いる。
本当は自分をいたわって欲しいのに。一番。
その辺のずるいというか、回りくどさが、しんどい家庭のそれらしく、うげーと思いながら、万国共通だなとか。思いました。
時々実家や家族の思い出に浸りつつ進みます。
思い出シーンで「恋のマイアヒ」が大音量で流れ、なんつーダサ懐かしい曲・・・。でもドランが使うとなんかおシャンティ・・・とか思いました。
マイアヒの間にちゅっちゅしてた女の子みたいなかわいい男の子が、
兄の言う「お前のピエール」でしょうね。
若い頃はマリファナっぽいのや、白い粉や、悪さしてたのね、ルイ。
お兄ちゃんに肩車してもらっている海辺のシーンなどもあり、幸せだった時もあったのだな、でも、ルイは家族の中でどうにもならない孤独を抱えて大きくなって、出て行ったのじゃないかなと想像しました。
冒頭の歌の歌詞、エンドロールの歌の歌詞。
それぞれ、家族にまつわる悲哀を歌っています。だよねって感じ。
もうね、家族に意味やら絆を求めちゃだめって思います私は。
結果的にあったならばいいけれど、なければならないっていう呪縛が生き辛さになってるんじゃん?もうやめたら?
血縁で嫌が応もなく、つなげられた人と人なんだから、一旦捨てて、互いが欲した時に改めて構築したらどうよ。そのほうが自由じゃん?
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どアップの多用、その中での各人へのフォーカスの移動、ちょっとした目線の移動なんかで登場人物の気持ちが表現されていたと思います。
マリオンコティヤールが平凡でやぼったい兄の妻役でしたが、うまいなあとおもいました。ちょっと切ないけど、ちょっといらっとするラインでした(褒めてます)。
ヴァンサンカッセルはうざくてうざくて嫌いになりそうでした(褒めてます)。
ギャスパーウリエルは久しぶりに見たなー(ロングエンゲージメント以来?)
大人になったなー、相変わらず片えくぼちゃんやー、と思いました。
レアセドゥの妹も、引きこもりチックなマイルドヤンキーニートが、似合っていて(褒めてます)よかったです。
観やすい類の映画ではないです。結構気合が入ります。アクが強いです。が、いいたい事はよく分かるなと思いました。
にしてもグザヴィエドランは、まさに時代の寵児ですね。
Mommyとは比にならないお客さんの入りでした。
シアターも大きい部屋になっていたしね。すごいね。