「想像を膨らませ答えを出す、観客側が」たかが世界の終わり(2016) 万年 東一さんの映画レビュー(感想・評価)
想像を膨らませ答えを出す、観客側が
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間違っていなければ「トム・アット・ザ・ファーム」と本作「たかが世界の終わり」には原作があって映画の内容は二つともセリフでの説明が無く観客側が考え導き出すと言うか不親切に進む共通点がある。
主人公ルイは何故に家を飛び出し長い間、音信不通でいたのか?
家族に対してどんな気持ちでいるのか?
結局は何も言わないで終わる感情の意味は?
妹シュザンヌの幼き頃を知らずにシュザンヌも兄をよく知らない。
長男アントワーヌの感情剥き出しの態度はどうしてなんだろう。
終始、意味深な表情のカトリーヌの想いは?
母親の息子を愛する気持ちも案外アッサリしている。
「わたしはロランス」に「Mommy/マミー」の音楽と映像に特徴のあった演出は今回は控え目に家族の会話に表情や態度を焦点にカサヴェテス映画の雰囲気も!?
グザヴィエらしくオープニングの曲と中盤のマイアヒにエンディングの曲は上がる。
ルイの頬にある傷跡もある回想シーンに活かされているしアントワーヌの拳の傷も彼の性格と意味合いが。
母とは仲良しと語るシュザンヌの映像はずぶ濡れの中での口論が映し出される。
観ている側、それぞれが考えて想像し感じなければならない一つのオチや答えがある訳では無い映画。
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