「説明が無いサイコアートは社会風刺できるのか」ネオン・デーモン 葵須さんの映画レビュー(感想・評価)
説明が無いサイコアートは社会風刺できるのか
最初から現れる不安感を煽るような演出にブラックスワン(2010)的な痛い話かなと少し構えながら見始める。実際、精神的に不安を煽ったり、痛みを与える描写がちりばめられていた。それと同時に、暗闇の中のネオンや光の力強い表現が、その場面に必要だからだけでなく、ジュリーが一段と強くなるシーンを描くためにも使われており、それらを見る中でオンリー・ゴッド(2013)のように映像を絵画的に取るアート的な作品としての印象が心の中でできあがっていく。(視聴後確認すると、オンリー・ゴッドと同監督であるニコラス・ウィンディング・レフンが2016に作った作品であるとわかり納得がいった)物語は具体的な説明が乏しいままに進み、主人公と見られたジェシーの退場するシーンにはそうなるに至る決断の根拠の表現の乏しさもあり、感情移入はできなかった。ジュリーが物語から退場すると最初からほのめかしはあったレズビアンでサイコパスなルビーに主役は交代し、その後は化粧がこすぎる複数の女性の顔に対して誰が誰だが判断できず、『衣装係なルビーがきれいなジュリーを食べてファッション界に返り咲こうとして自殺した』のかなと思ったが、じゃあ最後に残ったのは誰だと思い、理解できていないまま視聴は終了となった。
美しいジュリーの退場後にルビーが彼女の血の入った風呂に入っているようであったり、目を食べている、というような所からは、『血の伯爵夫人』バートリ・エルジェーベトの所業や最近陰謀論として聞く、大富豪や権力者が美や若さへの欲望として若い人間の血を利用するという話を連想する。
見ていて一番綺麗なシーンはジュリーが金色を胸元に塗られているシーン。感情を明瞭に見せない表情が艶めかしくて良い。気になったのは日本で言う辨財天の鱗紋を上下逆にしたようなマークが何らかの意図を持って使われていたが、明確な答えが得られなかったこと。トリニティ、完全とかそういうニュアンスを読んだが、なんだろう。