「過剰な欠落」ネオン・デーモン 小二郎さんの映画レビュー(感想・評価)
過剰な欠落
レフン監督らしい過剰な色と光に溢れていたが。映画を見終わったあと強く印象に残るのは、過剰な色と光が止んだ後の、暗闇であり、欠落であり、満たされない焦燥だ。
光が暗闇を際立たせ、暗闇が光を引き立てる。欲望が焦燥を招き、焦燥が欲望を呼ぶように。
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本作のヒロインは乙女(処女)であるが。だからこそ。
男がウォーキングを見ながらゴクっと唾を呑み込んでも、若者が月光に晒された乙女にピクっと反応しても、カメラマンが頬を撫で回しても、キアヌがナイフを喉に突き刺しても、処女の欲望は満たされない(満たされていれば最早処女では無くなっている筈だ)。
満たされないもの。それが乙女だ。
美への渇望が抑えきれずに女どもが乙女を喰らったとしても、決して満たされることはない。
ジリジリとしたヒンヤリとした焦燥と欠落が迫ってくる映画だった。
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女優やモデルの舞台裏みたいな噺が大好き。例えば『ショーガール』みたいな。
本作、ストーリーは全然違うが、「かっこいいなあ」よりも寧ろ「バッカだなあ」と思ってしまうシーンが多々あって、そんなところも『ショーガール』っぽくて、大変楽しい映画だった。
『ショーガール(バーホーベン)』のような…と書いたが、本作に対する映画評には国内外問わず、「〇〇の様な」という惹句が並んでいる。
『アディクション(フェラーラ)』のような〜。『マルホランド・ドライブ(リンチ)』のような〜。『つめたく冷えた月(この映画大好き!)』のような〜。『シャイニング』、『キャリー』、『サスペリア』、『ズーランダー(笑)』、「チープな園子温のような」…エトセトラエトセトラ、いろんな疑似作が並んでいる。
何かに似た映画で懐かしい感じすらあるが。
この映画には、バーホーベンのような下世話さも、フェラーラのような面倒くささも、リンチのような求心力もない。似て非なるもどかしさ。どこか満たされない焦燥と欠落が漂っている。
「欠落」を責めたい訳ではない。いや、欠落こそがこの映画の魅力のような気もしてくる。
本作観て取り敢えず、今年リリースされるバーホーベン新作(エル)とリンチ新シリーズ(ツインピークス)が、もの凄く観たくなった。なんかそういう「飢え」みたいのを呼ぶ映画だと思った。