「星が死に存在しなくなった後も、その姿を見続ける。」ある天文学者の恋文 shimoさんの映画レビュー(感想・評価)
星が死に存在しなくなった後も、その姿を見続ける。
映画「ある天文学者の恋文」(ジュゼッペ・トルナトーレ 監督)から。
どうしても、有名な天文学者とその教え子との恋愛に目がいってしまい、
不倫関係に嫌悪感を示す人も多いが、だからこそ、
この作品を通して、監督が伝えたかったことを探りたくなった。
ヒントは、主人公の彼女が書き上げた論文のタイトル。
「客星から超新星へ:死せる星との対話」
「客星」とは「常には見えず、彗星や新星など一時的に現れる星」
それは「星の不滅性」について触れている。
今現在、私たちが見上げている星の光も、
実はもう何年も、いや何億年前に死んでいる星の光かもしれない。
天文学者は、それヒントに、愛する彼女に対して
人間の世界でもどれくらい生きていると思わせることが出来るか、を
実行していたに違いない。
ちょっと長いが、彼女の論文の一部を何度も巻き戻しメモしたので、
書き記しておきたい。
「別の状況で間違いを恐れずに言うなら、天体物理学の歴史において、
宇宙に対する知識は「死ぬる星」の研究によって得られた。
星の最後に起きる大参事は、超新星爆発であれ、重力崩壊であれ、
極超新星であっても同様だが、それらによって理解できるのは、
星の不滅性というものは、想像を超えて遥かに不可解であるということだ。
数千億もの恒星の地球からの距離と、光の速度との関係によって、
星が死に存在しなくなった後も、その姿を見続ける。
それこそがまさに、星の悲惨な最後であると言える。
その姿が見えるのは、数世紀、数か月、または数秒間。
それは数十億年前に起きた、死の顕れ(あらわれ)なのである。
科学者の研究とは、もはや存在しないものとの対話である」
死んで、彼女の想い出に残るだけではなく、できることなら
いつまでも一緒に時を過ごしたい、と願う気持ちが伝わってきた。
星好きの私にとっては、ちょっぴり切ない映画だったなぁ。