聖杯たちの騎士のレビュー・感想・評価
全23件中、1~20件目を表示
テレンス・マリックが目指したものは?
言うまでもなく、テレンス・マリックは『ツリー・オブ・ライフ』で現代最高の映画監督の一人として賞賛を獲得するに至った。だが、その後に続く『トゥ・ザ・ワンダー』から本作『聖杯たちの騎士』への移り変わりの中では、簡単に文字へ落とし込めるような物語性に執着しない“独自の話法”を求めて広い荒野を彷徨っているようにも思える。もしくはエマニュエル・ルベツキという現代最高の撮影監督による有機的映像の連なりを使って、“心象を綴る”ことのさらなる可能性を突き詰めたいと考えているのだろうか。いずれにしても本作は、クリスチャン・ベイルやケイト・ブランシェット、ナタリー・ポートマンという名優を配しながら、その心象世界へ没入するには深度がやや足らず、観客に自分が今いる位置をすっかり見失わせてしまう場面も多い。数ある彼の劇場作品の中でも最も娯楽性の枠から解き放たれ、映画をもっと幅広く捉えたアートな立ち位置にある一作と言えるのかもしれない。
スター豪華競演も、アンサンブルというよりカタログ的
テレンス・マリック監督と、撮影の名手エマニュエル・ルベツキによる4作目のコラボで、珠玉の映像詩がさらに進化。美しい世界に漂う感覚にゆったりと浸ることができる。
オールスターキャストで豪華な顔合わせながら、クリスチャン・ベールが女優一人一人と順に会っていく基本構成のため、美人女優のカタログのようで、物足りなさも。イモージェン・プーツがキュートで、もっと見ていたかった。
実はマリック監督、本作の撮影と同じ頃にもう一本のオールスターキャスト映画「Weightless」を撮っている(来年3月米公開)。ベール、ブランシェット、ポートマンらキャストの重複があり、ルーニー・マーラ、ヘイリー・ベネットら新進女優の参加も。こちらは音楽業界を舞台に2組の三角関係が描かれるので、アンサンブルの観点ではより楽しめそうだ。「聖杯~」と「Weightless」を両方観ることで新しい発見があるかもしれない。
映像が独特で美しく、最後まで観てしまった…
媚びない。他者を寄せ付けない。
それでも、惹きつけられる瞬間があり、なぜか後を引く。
一応、タロットカードになぞらえ、起承転結の章立てはあるものの、
万人受けする映画ではない。
けれど、はまる人がいるのも納得。自己満映画ギリギリの芸術性。その危うさ・かつ安定さ。そこにはまりそうだ。
自叙伝?
私的な内面との対話。告解を聞くような。禅問答のような。
都会という荒野を、福音を求めてさまようが如くな映画。
キリストが、荒野で、キリストを誘惑する悪魔に出会うが如く、なんてのを連想してしまった。
女の方からしたら、リックこそがファウストかメフィストフェレスかってところだろうが。
キリスト教・聖杯伝説・タロットになじんでいれば、解釈が異なるのだろうか?
写真集にしたいような、愁いを帯びた大自然。無機質な建造物。
この角度でとらえるかという独特なアングル。
なんという海の色、
空の表情の豊かさ、
山脈の美しさ。
羊水に抱かれ、禊をし、
帰るべきヘブンを思うが、夢のまた夢、
自分がどこにいるのか、方法さえわからない。
そして、役者の演技。
ポートレート的映像とは違う。演技が映像の一部になる。この感覚も独特。初めての体験。
ちょっとした表情・体の線で様々なことを(言葉なく)雄弁に語るブランシェットさん。
喚き散らして映像から飛び出してしまったポートマンさんとは違う。
映像に飲み込まれてしまった他の役者とも違う。
格の違いを見たような気になる。
演出上の差なんだと思うけれど。
そして、この映像にこの音楽を合わせるかという感覚。
何かよくわからない、自分自身の心の窓が開いてどこかに繋がりそうな感覚。そう、繋がらない。繋がりそうなだけ。だからもどかしくフラストレーションがたまるのだけれど、そのもどかしさが後を引く。
映像でしか紡げない世界観。
その掛け合いの妙は『2001年宇宙の旅』くらいに意味不明。
だからこそ、解明したくなる?
ただ、物語の緊迫感が全く違う。
『2001年宇宙の旅』は、何か新しいものが始まる予感を感じさせてくれた。けれど、この映画は、映画の雰囲気におぼれそうになる。ラストに何を意味付けするのかによっても、映画への評価が変わってくる。
ていねい・緻密に、自己と向き合いながら、真摯に作った作家性の強い映画。
とはいえ、登場人物や語りに感情移入がし難く…。
語り・音楽は盛り上がりがなく淡々と…。
余程、この監督やこの手の映画が好きでないと…。
難しいよぉ
1人の人の迷いやそれを解決、発見するまでの話しなんだと思う。だが、いろんな人が語ってて、ちょいちょい迷子になってしまった。
難しいな。時間軸とか、関係性が曖昧で、読解力が足らなかったのか…はたまた、それがそういうもんよねって話しだったのか…正解はないのかも。
前作の ツリー・オブ・ライフや トゥー・ザ・ワンダー みたいだね ...
前作の
ツリー・オブ・ライフや
トゥー・ザ・ワンダー
みたいだね
今作も
映像はとても綺麗です‼︎
女優さん達
皆さん
美しかったぁ〜‼︎
この監督さんの作品は
脚本参加だけど
ベアーズキスが好き‼︎
次回作の
ボヤージュ・オブ・タイムも
楽しみ‼︎
聖剣
死と誕生、セックス、誕生と死、水の中で育っても外に出てこない命、神の前での誓いを破る行為、懺悔、自由、神に愛されるという試練、リインカーネーション、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天、危機管理、ハンドパワー。
ごめんなさい僕には理解しきれませんでした。
17
これは、享楽におぼれたセレブが、こんなことしててもつまんないよなあと、つぶやいている話ですか?
さも、聖書にある言葉を抜き出して、人生を達観しているかのような語り。それが不愉快。
禅問答でも仕掛けてくるような、寄り添うふりして突き放しの連続。難解。
「人生のパズルは永遠に解けない。バラバラの断片のままだ。」と、澄ました語りで言う。
幸せの裏側にある、不安や闇を言いたいのか?
だとしても、セレブのイカれたパーティーを見せつけられては、近づこうとする気分にはなれない。
なお、ケイト・ブランシェット目当てで観ようとする方、ケイトはほとんど出てきませんので。
アイデンティティーの話
この映画を観るにあたり、事前の情報から
『普通の映画を観るつもりで観るとヤバいことになりそうだ』
と判断。とはいえ、ケイト・ブランシェット様がご出演あそばされる映画なので観ようと決意し、ネットで調べる程度だけどタロットの知識を予習して、いろいろと分析してやろう、という心構えで観たせいか、なかなか面白く観れました。
アイデンティティー確立の話でした。噂に違わず断片的なイメージの集合体のような映画だったため、解釈に追われ感動はなかったですが、知的な興奮はありました。なので、これはこれでアリだな、という印象です。
見失った真珠とか反復される飛行機や鳥を見上げるシーンは、アイデンティティーを確立できずさまよっているメタファーかなと思いました。序盤の地震も、リックの基盤の不安定さの象徴に思えました。
どうもリックは安心できる家庭で育てなかったらしく、有能ですが責任を負えない臆病な大人になったようです。だから、リックは成功者ですが、快楽に逃げ込むようなハデな生活を送っていて、刹那的な気持ち良さを味わってはいるけど、ぜんぜん満たされない。『本当の俺はこうじゃない』とか思いながらウジウジ。
『月』『女教皇』に出てくるパーティガールズはリックの写し鏡と思われます。
ケイト様演じる元妻には安らぎを見出していたけど、リックは子どもを作り育てることに自信がなくビビって子作りせず破局したと思われます。ケイト様はリックと違い、地に足がついた人だったから、
(リックの女たちの中で、唯一粛々と仕事をこなす人として描かれているように見えた)
ケイト様へのコンプレックスもあったのだろう。リックは『自分は自分だ』という感覚がないので、いろいろと腰が引けたんだろうな。
ナタリー・ポートマンとの出会いはリックにとって大きな転換となったようだ。それを示唆するように、ナタリーの章は喧騒に彩られたそれまでの章と違い、日本庭園など静寂な雰囲気で始まる。ナタリーは既婚者だったけど、リックはナタリーに対しておそらく生まれて初めてガチで愛して向かい合ったんだろうな。
ナタリーの章『死』は今までのリックの死と新たなリックの再生を表し、それを受けて最終章の『自由』でリックはアイデンティティーを確立したと思われます。したがって、子どもも含め新たな家族を築けたのかな、と思いました。
とはいえ、ナタリーの人間性はケイト様に比べてヒントが少なくわかりづらい。リックはなぜナタリーに惚れたか、何を得ていたのかをもうちょい描いて欲しかった。
この章がもう少しキャッチーであれば、この映画はかなりわかりやすくポップになったと思われます。あと、父と兄弟の問題についても、もう少し情報があれば。
それから『塔』の章は結構ナゾ。塔がイメージする傲慢による破滅・失敗もなかったし。リックにさらなる成功を約束し、誘惑するような男が冒頭に出てきて塔っぽいけど、リックは塔の危機を回避したってことなのかな?この章のヒロインのはちょっと毛色が違ったので、彼女との出会いでリックは何かを掴んだ、ったことなのだろうか。
何度か観れば理解可能かもしれませんが、そこまで魅力的な映画かというと…^_^;
タロットでは、聖杯たち(カップ)の騎士は、正位置では情熱を持って未来を切り開く象徴、逆位置では目的を見失い悲観的になる象徴みたいです。
(適当にネットで見た情報。確証ナシ)
逆位置から正位置になってく物語と言えそうです。
それから、売りの一つである映像美ですが、ほとんど美しいと感じませんでした。細切れなので少し酔いました。
どんな大人になりたかった?
2回目の観賞
記憶の混沌の追体験。
浸っているだけで
なんだか心地よいのです。
………………………………………………………………………
2017.1.8 ヒューマントラスト有楽町にて1回目
どんな人間になりたかった?
この台詞にぶちのめされました。
自分は本当に自分を生きてるのか?
おいらは生きられてるとは思いません。
映画観てる間ずっと
不安と虚しさで胸はいっぱい
救いの気持ちでスクリーンに食い入り
果たして…
この世の中は
万物が水の面のように諸行無常
愛すらも、そして我すらも…?
なんと無責任な映画だ…
タルコフスキーやテラヤマがお好きな方
けっこう見応えあると思いますよ。
夢想の中の欲なき世界
廻る地球に私たちはおそらく乗っかている。
廻る地球は我々人類を認識しているのだろうか?
氷は溶け始め
日本だけではないがありとあらゆる所で
地震や津波などなどの災害が起こっている。
これからもありとあらゆる街で間違いなく進化と云う名目のなかでビルが建ち続ける筈。
もしも今日から人間様が一斉に地球に害を与えない動きをしたら地球は止まるだろうか?止まる訳はない
地球を止める事は人間には無理だろうと私は思っている。人間は何故生きているのだろうか?産まれた瞬間から人間は自分自信又は自分に関係のある親族や知人恋人などなど限られた人に愛を注ぐ事に必死になる性質がある。それは私自身もそうなのだか悲しい事にそのような事を思い考えて行くしか人間80年仮に長くとっても人間100年何を考えて生きて行けばいいのかわからない。花は地球には害を与えず鳥や動物魚もたいして地球には害を与えてるとは思えないのだ。人間だけが害なんではなかろうか。とは言っても地球から出ては行けないし地球に優しく生きて行こうと思い考えて行くしかないだろうか。
テレンス・マリックのすることだ。
テレンス・マリックがこういう映画を撮るヤツなのは分かっていた。
むしろそれを知らずに見に来てしまった人が気の毒だ。象徴的で抽象的なイメージ映像とモノローグの羅列。ストーリーなんてほぼ分かりません。
「ツリー・オブ・ライフ」は木と宇宙が象徴的に映し出されていたけど、この「聖杯たちの騎士」は強いてあげるなら「海」と「女」が象徴的かな?美しい女優たちとすれ違っていくクリスチャン・ベール。その姿はとても美しく、映像もとても美しくて雄弁ではあるのだけれど、「ツリー・オブ・ライフ」が精神世界どころか環境ビデオにしか見えなかったのと同じで、この作品もまるで「音のないミュージックビデオ」のようにしか見えなかった。美しい映像と、美しい登場人物たちと、水際の夕陽に、揺蕩うようにして浸ることが出来ればいいのだけれど、そこに意味を求めようとしてしまうと、あまりに雲を掴むようで途端に虚無感が襲う。
でも仕方ない。テレンス・マリックのやることだ。ケイト・ブランシェット見たさに、分かっていて観に来たんだから仕方ない。
全23件中、1~20件目を表示