母の残像のレビュー・感想・評価
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言うまでもなくこの女教師は懲戒免職である。重大な利益供与!
フォトジャーナリズムがフェイクであると主張する者もいる。これだけ、映像を加工するデジタル技術が発達しているので、仕方ない事だと思う。
そして、何よりもフォトジャーナリズムで戦争は終わらないって事だと思う。従って『戦場に“名カメラマン”がいる』と言う考えや『戦場写真の芸術性』を疑うものもいる。
そして、戦場カメラマンに反戦意識があるのか無いのか疑われているケースもある。
つまり、戦場を否定しなければいけない立場の者も結局は戦場を食い物にして生活をすることに『贖罪』を込めているのだと思う。また、一方で先進諸国は企業と言う形で、武器を売っている。まぁ、そうを言いたいのだと思うが、それなら、素直にそう言えばよいだけである。
相変わらず『地獄の黙示録』ベトナム時代と変わらない。あの頃にも『エセ反戦主義者』はいた。その中で、真剣に写真を通じして、反ベトナム戦争を訴える写真家も沢山いた。しかし『ベトコンの味方するな』とか罵られ理解はして貰える者は少なかった。あれから、60年経っているが相変わらずである。だから、戦争の解釈を改めて貰いたい。先ずは。戦争を終わらせる事が最優先だと気づくべきだ。
人類みな兄弟。手っ取り早く相関関係持つな!と感じる。薄気味悪い映画である。
もう一つの配信サイトだったら、実は相関関係のもつれからの殺人なんて話になるのかなぁ?まぁ、どうでも良いが。
つかめない
見終わった後に何かハッキリとしたものがわからない。私の経験不足からだが、つかめない、ふわふわと何かを感じるがわからない。
戦場写真家で評価されている母。
車の事故で亡くなる。
写真のデータを整理する家族。
彼女は、世界を飛び回る人たちには帰る場所がない人が多いという。でも自分には家族がいると。帰る港がある的な話。
途中、空港で旦那さんに見送りに来てもらってて、新聞見ながら話しているシーンで、新聞に彼女の写真があり、旦那さんがすごいよ と。
でも、他の席の男性が新聞のその記事を読まずに飛ばしてるのを見るシーンがある。
仕事は評価され、家族も誇りに思ってくれてて協力的な旦那さんもいる。
でも、やりがいと誇りから家族との時間を犠牲にしてでもしていた仕事に、記事を読まなかった男性と同じように、そこまでの意義を感じなくなってるのかなと思った。そして今は前ほどの情熱がない。
最近の彼女は落ち込んでいたようだ。
彼女は家族に愛されてるのを知っていたし、自分も家族を愛していた。
家に帰ってきて役割がなく、存在意義を考えてしまい居場所に感じられないのかな。
平和な家族との日常に居場所がないような。
旦那さんと息子二人のショックを受けてる感じをみれば、家族にはとても重要な存在だった。役割がないと感じていても、彼女が感じている以上に彼女の存在は大きい。
ペットじゃないから、いるだけでいいよでは納得しなかったと思うけど、とても大きな存在だと実感できてたら…。家族を悲しませないようにこの場所で何か見つけて欲しかったと思った。
戦場の写真は以前はセンセーショナルなものを撮ってたが、戦場により傷ついた人々、爪痕を取るようになった。つまり戦場が通った後。
この映画もいなくなった後の話。
彼女がいなくなった後。
今この映画を彼女が見たら、残された家族が悲しんでいて傷ついてるのを見たら、ここにいる存在意義を感じられたと思う。
美化せずリアルなのかもしれないが、大人の関係が複数出てくる。母も父も長男も。
性的な快楽は一時的にストレスから解放されるのかもしれないけど、どの関係も現実だったら嫌なこと。
次男も好きな子との夜の散歩でショックが和らいでる。
見終わったあと、こういう映画って言えなくてわかってない気がする。
それぞれの亡き人の残像
戦争写真家のイザベルが事故か自殺かわからない死を遂げる。
夫、2人の息子、仕事仲間の不倫相手の持つ残像によってイザベルの存在が浮き彫りにされていく。
イザベルが事故にあうシーンの映像が秀逸。
不倫相手がイザベルの仕事への思いや家族への思いを代弁していた。
大きな事件が起こる訳ではない。日常生活は小さなさざ波のような出来事の積み重ねだ。
存在感とは
みんな母が大好きなのに、母には伝わらなかった。その事すらみんな分からなかった。
ホントに近くの必要な人には、常に本音は伝えなきゃいけない。普段から常にそうしていれば間違いないけど、なかなか難しいですよ。
母の存在、家族の存在、確認作業は大事。
ジョナが母の写真を整理する中で、反射して写る誰かに最初はよく分からないが、後から見ると納得。
それにしても、
トリアー一家はこんな映画ばかり。
S好きな母イザベル・ユペールに間違いなし。
ラース好きな私です。この作品正直知らなかったです。なかなかの豪華キャストでしたので見ることに
イザベル・ユペールはやはり美しい。本当にこんなに美しい母がいたら、それだけで何か事件を起こしてしまいそうな気がする。最近の子供たちはわからないが私の頃の思春期の男子などは性の目覚め身近な女性は
母でありながらも女性と見てしまう瞬間があるように思う。頭の中がそのことで悶々としてる時期に付かず離れずの距離の美しい母は逆に記憶を燃え上がらせるのではないだろうか?そんなことを考えると母のすべてではないにしても、真実の母が少しでも見えたことのほうが残された者達にとっては救いだったように思える。弟のデビン・ドルイドも女性に対して人に対しておおらかに優しくなれるんではないでしょうか?
許すことは、もしかしたら周りには凄くかっこ悪く見えるかも知れないけど、許す気持ち許す心がなければ
ささくれ立った争いが増えるだけなように思うが本来人間は争いが好きなのも本能的に備えてるのも間違いないと思う。現代においてもスポーツや芸能、芸術、それこそゲームなどの様々な分野での切磋琢磨争いがなければ、もっと泥々な血が流れふえてることは間違いない。そしてそんな事を踏まえてイザベルのことを考えると理解することは難しすぎる嫌無理な話その世界を知らない我々には想像も無理な話。そう思うと辛くせつなくなる。旦那も息子二人もどれだけ、妻、母のことを知ってたのかと思ってしまいそうだが、知らない事は知らないでいいんではないか地球は一つでも
世界は無数にあり狭い世界観では太刀打ち出来ない話もあるのだと思う。人は争いが好きなんだから、この世から全く争いが無くなる日は本当に来るのだろうかとつくづく思う。
母、妻では定義しきれない、その人。
ジェシーアイゼンバーグ、イザベルユペール目当てで鑑賞。
物語の意図したところを掴みきれた感はないが、部分的に腑に落ちたという印象。
イザベルユペールは既に死んだ世界で、
夫、長男、次男が死んだ母の面影をそれぞれに追う物語。
その母の人物像は、三者三様で、そのどれもが本当なんだと思う。
でも一方でその三人の描く母よりも、更に外側に(母自身は)自分というものを定義していたのではないか。
どんなに愛しても1人の人は、他人を全て知りえない。三人揃っても、1人の人を定義しきれない。
少なくともユペール演じるこの母は。
こういう意図ですよね?たぶん。
現代の時間軸で、母亡き後の三人の迷想が別軸で描かれていた。
夫(父)は、次男のふさぎ込みようにあたふたし、同僚教員とまくら友達となり、妻の元同僚に、過去の妻との不倫を問う。
長男は、子供が産まれる。なのに、元カノとやっちゃう。母の回顧展にナーバスになり(その理由があんまりピンと来なかった)、
弟と話したりする。若干母を弱い人として考えている様子があった。
次男は、まず父がうざい様子。担任と父ができていることもいやっぽい。同級生のセクシー系女子に、痛いけど面白い、
自己紹介文を渡そうと必死。でも酔っ払ったセクシー系女子の粗相にドン引きして失恋?する。
その中に死んだ母(妻)についての回想が差し挟まれる。
夫にとっては、家庭を顧みず、危険な地域での自分の使命(仕事)に邁進し、仕事仲間と永く不倫をしていた妻。
長男にとっては、夫・息子との間に距離を感じていた様子を思い出すと悲しくなっちゃう母。
次男にとっては、多分誰よりも大好きで自分を照らす太陽的存在だった母。
3人の母評は異なるから、母の回顧展、母の死因についても捉え方が違う。
多分事実として、母は自殺っぽい。
で、母は幸せと愛を精一杯、夫と息子に表現したけれど、それでは満たされないものがあったような、
三人の誰かの回想ではない母が混じっていた。
そこが作品の厚みなんだろうと思うけど、ちょっとそのせいで読み取りにくく、難しくなったように思う。
や、難しくって当然なんだろうとも思うけど。
イザベルユペールの女神感はハンパなかった。なんて神々しいんだと最近頓に思う。
ある家族の歪んだ秘密と青春グラヴィティ
戦場写真家の母親が亡くなって3年が経ち、長男は子どもを持つ若き父親になり、まだ子供だった次男も多感なティーンエイジャーになった。しかし、母の死の真相や、また母の不在というものが、3年が経った今でも家族の中で戦場よりも大きく静かな爆発を見せようとしている。原題は“Louder Than Bombs”。
ただこの映画、分類するならば、「普通の人々」や「アメリカン・ビューティー」のような、歯車の狂った家族の物語ではないだろうか?母の秘密だけでなく、父親にも長男にも次男にもそれぞれ秘密のようなものがあり、ヤスリのように擦れてざらざらと痛んでいく様子を「家族」という視点で見つめている感じ。強ち遠くない世界観のような。
ただ、前半で思わせぶりに物語の中心にいた長男ジェシー・アイゼンバーグが中盤からすっかり影が薄くなり、その代り次男の青春グラヴィティのような物語が一気に顔を出してくるアンバランスさ。しかもその次男のストーリーの色付きの良さが父親のストーリーも長男のストーリーも、さらには母親の秘密をも超えた存在感を出すので、それならいっそ、次男を主人公にしたカミング・オブ・エイジの物語で良かったんじゃないのか?と思えてくるほど。
家族の歪みと、それぞれの心の中で交錯する亡き母への思いと、亡くなってからようやく知る個人のこと、という物語としては、全体的に少し弱いような気がした。母親の存在って確かに大きいけれど、母親の不在っていうのも、確かに大きな不在であり、不在という存在感があるというのはよく分かるけれども。
不在を演じても存在感を出せるイザベル・ユペールはさすが!という感じで、またユペールとアイゼンバーグが鏡越しに並ぶシーンで、国籍も違う二人がちゃんと親子に見えたのも良かった。しかし一番の魅力を発揮していたのは次男を演じたデヴィン・ドルイドが抜群に良かった。映画を完全に自分のものにしていた。
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