「消えない罪悪感と秘密、そして親の害」追憶 ぐるめ部長さんの映画レビュー(感想・評価)
消えない罪悪感と秘密、そして親の害
「お前は忘れろ」「忘れていいんだよ」
と、周囲のヒト達から口々に言われる主人公。
「お前に責任はない」という許しの言葉でもあるし、
「前を向いて歩け」という思いやりの言葉でもある。
でも、主人公にとっては、「お前には関係ない」という、
強い疎外感を与えられると同時に、償いの機会を奪う言葉でもある。
消えない罪悪感と秘密を背負ったまま歩む人生は、
砂上の楼閣に住むような刹那的な、
安心して他人を立ち入らせるコトが出来ないような、
そんなふうなモノになるのだろうか。
主人公は、妻とは別居。
親身になってくれる上司にも打ち解けられない。
終始一貫、険しい顔をしている。
偶然再会した幼友達に対しても、最初は避けようとする。
で、その幼友達が殺されて・・・
今度は打って変わって、容疑者でもある別の幼友達に関わろうとする。
まるで、償いができるチャンスだとばかりに。
自らの刑事と言う立場も顧みず。
そして、最終的には、いちばん許してほしいヒトに許され、
その胸に顔をうずめるとき、その顔はそれまでとは対照的に穏やかだ。
この映画は、富山の美しい自然を映しているが、
色彩は良く言えば穏やか、悪く言えば地味。
最近の派手で精巧なCGを多用する映画に慣れていると、
色味の乏しい、暗い、代わりに、粒子がクッキリと明瞭過ぎて、
ザラリとした画質であるかのような、映像に思えてしまう。
しかし、2人だけ、鮮明な「色」をまとうキーマンがいる。
忘れないコトでヒトを守っている人物と、
事故で記憶を失ってもなお覚えているコトでヒトを許す人物。
前者は、鮮やかなオレンジの上着の容疑者でもある幼友達。
後者は、鮮やかなブルーのショールの女性。
女性はかつて、主人公達の罪をかぶり、殺人犯として投獄された。
まるで、この2人との再会が、主人公を色彩のある世界に連れ戻す、
その象徴の、夕日の色と海の色のよう。
岡田准一の好演も手伝って、たいへん感動的なクライマックス。
ただ、チョットだけ惜しい。
それは、幼友達が幼友達を強請ったのではないか、
強請られた幼友達が幼友達を殺したのではないか。
こう疑った自分に対する自責の念が全く描かれていない。
刑事の習い性だからでスルー出来なくはないけど、
描かれていたらもっと、作品としての厚みが増したかな、と思う。
また、映画の本筋とはあまり関係ないのですが。
子供を捨てる親、について。
オトコが出来ると、まだ子供の主人公を置いて、
家を出て行ってしまっていた母親。
お金が無くなると、主人公に無心する母親。
主人公はその母親と縁を切っていない。
無心されれば、お金を渡している。
嫌味を言いながらも。
まったく虫のいい母親だ。
オマケに、オトコと逃げた頃の若さも美しさも、
もはや無い。
依存の対象がオトコから子供に移行しただけ。
そのだらしなさは老醜と言っても良いと思う。
主人公にとっては、忘れろと言われた秘密と同じく、
心と人生の枷・重荷。
しかも、死ぬ気もないのに薬を飲んで自殺未遂。
そして謝る、ごめんね~、ごめんね~、と。
謝って許してもらおうとする。
己が捨てた息子には頼るまい、という気概は全くない。
謝るのも、ひたすら自分の心の平安のため、
息子への依存を続けるため。
だから、謝りつつも迷惑を掛け続ける。
ああ、それなのに。
そんなコトは十分分かっているはずなのに。
主人公は許してしまうのだ。
親からの愛情に飢えていたぶん、親から離れられないのだ。
こんな親でも。
ところで、最近、「赤ちゃんポスト」に預けられた子供達の、
実の親を知る権利をどうするか、
というコトが議論になっているらしい。
産んでくれたヒトに会いたい、という気持ちは理解できるけど。
例えば、感動の再会を果たしたとしても。
実の親が、子育ての苦労はせずして、果実だけ摘み取ろう、
というタイプの人間ではない、という保証はドコにもない。
子供達はまだ若いから、自分達が中年以降になったとき、
老親がいないコトが、ある種の幸せかもしれない、
とは考えが及ばない。
もし、捨てた親と捨てられた子供をつなぐとしたら、
実の親がいなくても、ちゃんと育ってきた子供達を、
「親の害」から守る仕組みが必要だと思う。
悲しい映画ですが、好きです。
長澤ひとみの「寂しいから迷惑をかけるのよ」と語るシーンがいいですね、
寂しさに堪えられない母を持った子の地獄。それを救ってくれたのが安藤サクラ、
その安藤を守ろうとした少年。その想いも寂しさの裏返し。
孤独の因果は止まることがない。負の循環を断ち切ろうとする小栗旬。
木村文乃が希望のシンボルになっているのが救いですね。
「誰かが覚えていたらいいんだから」とは記憶することではなく、断ち切ることを意味していらのではないでしょうか?
セリフで語る映画多い時代に俳優の演技で語らせようとした映画だった気がします。
主要7人が、レジェンドの期待に応えようと熱演した味わいのある映画だったのではないかと思います。
寂しい人(岡田准一)は寂しい人(長澤ひとみ)を作ってしまうのも納得です。
ラストシーンは再生を暗示している気がします。
おっしゃる通り、友を疑ったことへの悔いも反省もない点が、残念ですね。
素敵なコメントありがとうございます。ますますこの映画が好きになりました。