ローマ法王になる日までのレビュー・感想・評価
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偉大な法王でさえ苦しんだ会社組織と、戦争時の注意
●カトリックや、世界リーダーの頂点であるローマ法王でさえ
自分で洗濯板で洗濯し、洗濯ものを干す。
組織の上司に逆らうと、殺される。
お金のない田舎に、神がいると感じる。
バチカンへ観光しただけでは、決してわからない内部事情もわかった。
●戦争のリアル
女は、ほっとして「しばらく大人しく」の忠告を聞かず、友人に会いに行く
その処刑の方法が
注意しないとわからない程、静かだが、非常に無慈悲。
日本もすでに戦争に巻き込まれている。
敵対国から、少しづつ日本人を装ったスパイが生活に入り込んでいるとも聞いたが、我々にはわからない。
新聞やニュースは結構、その社に都合の良い書き方に事実を曲げられる。
TVやネットの情報は、信じて「怒ったり・安心したり」するが
そのまま信じないで自分で調査し
「情報操作のマインドコントロール」されないよう気を付けないといけない。
また難癖つけて戦争を起こされないように、心を清らかに保つ方法は。
今、今後をどう生きるべきか、指針となった。
静かだが、素晴らしい映画! だと思いました。
中学生以上に、お奨めしたい。
現法王様
私はどちらかというと宗教家というものに良いイメージはないです。
カトリックの学校に通っていたにも関わらずキリスト教には疑問ばかりです。
この映画は題名の通りローマ法王のお話です。
でも、主人公がなんだか人間的で、この間観たハクソーリッジの主人公よりも、身近に感じられるようなそんな人柄でした。
信仰が身近にある人たちが、神を裏切り、信じ、救われる人もいれば、残念ながら救ってもらえない人もいる。神の力は万能ではないけれど、信じ、祈ることで救われる。
アルゼンチンであんな厳しい悲しい時代があつたのね。と、勉強になりました。
しんみり良い映画でした。
心から祈る
一信徒から法王へ、南米からローマへ、というベルゴリオの半生を描いた作品である。アルゼンチン管区長・神学院長として「汚い戦争」と呼ばれる非道との対峙・苦悩が多くを占める。
その中で印象に残るのは、「心から祈る」ということを真に「理解」するシーンである。日本への伝道は心から祈れていないベルゴリオには無理だ、と序盤で諭された意味がここで明らかとなる。「結び目」と表現される自分自身の苦悩をすべて、全く聖母マリアに委ね救いを求める行為こそが「心からの祈り」ということなのだろう。念仏を唱え阿弥陀仏の本願にすがるという浄土真宗の教義に類似しており、親近感がある。そのことをドイツの留学先で知り合ったベネズエラの女性に教えられ、「目からうろこ」の例えのごとくベルゴリオが開眼する様子に涙が出そうなぐらい感銘を受けた。また、下宿の女主人らしい人とドイツ語で2、3言葉を交わした後に母語のスペイン語で心情を吐露するシーンも美しい。おそらくスペイン語を解しない女主人は応答することはないが、慈愛に満ちた表情で受け止めているのである。
もう一つ印象に残るのは「命令だから」。神学院への急襲を指揮する将校。強引な再開発を推し進める副市長。異口同音に、「上からの命令だから」と言い訳めいたセリフを発し、「神父さん、あなたもそうでしょう?」とベルゴリオに問いかける。このことは主題ではないのかもしれないが、繰り返していることからは作品のメッセージの一つだと思える。容赦なく打ちすえ、拷問にかけ、挙句はゴミのように人間を飛行機から投げ捨てるのは血に飢えた異常な人間ではなく、どこにでもいる普通の人なのだ。それが「命令だから」「仕事だから」と平然と実行できてしまうのは恐ろしくも人間の業の一つなのではないか。権力は必ず腐敗し、独裁・独善を指向するものなのだからこそ、それを防ぐような不断の努力が必要なのではないか。二度目の「命令だから」を一時的かもしれないが跳ね返し、弾圧する側がヘルメットを次々に脱いでミサに聞き入るシーンは希望と安堵を感じた。
そしてベルゴリオは法王へ。ラストシーンはカトリック教会が千年にわたり育んできた様式美を堪能できる。
好奇心や知識欲をかきたてられる、教皇の人となりを知る初めての映画
タイトルを直訳すると、"フランチェスコと呼んで、教皇"。
現役(第266代)のローマ教皇(法王)であるフランシスコの激動の半生を描いたイタリア映画である。ローマ教皇というと、"雲の上の人"というイメージ。その活動や発言はいかにも厳かで、プライベートはベールに包まれている。
教皇の私的な素顔や経歴に迫った実話モノというのはあまりなく、これは珍しい。しかし教皇は出世や選挙によって、すべてのカトリック教会の頂点に就任するわけだから、世襲制の王族などとは違い、元々は一般人である。
そして、これが映画として成立するほど、ダイナミックな実話モノなのである。コンクラーヴェで教皇に選ばれたフランシスコが過去を振り返る形で、映画は進行していく。
フランシスコの本名は、ホルヘ・マリオ・ベルゴリオ。史上初めて新大陸(南北アメリカ)出身者として教皇に就任した人物である。今年81歳になるフランシスコ教皇は、イタリア移民の子供としてアルゼンチンのブエノスアイレスに出生。イエズス会に入会して神に仕えることを決心したのは20歳のときなので、恋もすれば、愛する恋人もいたのである(カトリックでは禁止)。
その後、30代で母国アルゼンチンは軍事独裁政権の時代を迎える。庶民が苦しみ、多くの人々が監禁・誘拐・行方不明になる恐怖政治の下で、仲間の司祭を銃殺されたり、友人も失う。教会の管区長としての立場からカトリック教会の体面を守らなければならない中、レジスタンスを人道的に救う方法を模索したり、貧しい人々の苦しみを背負いながら布教活動を続ける。
時には権力と闘い、その心は、いつも最も貧困に苦しむ人々とあり、周囲の支持によって自然と出世していく。枢機卿としてアルゼンチンからローマに旅立つときには、多くの地元民に惜しまれた。
フランシスコはカトリック教会の厳しい戒律に対しても、柔軟に改革をしていこうとするスタイルを持つ。破門がルールの"離婚"からの"再婚"を認めたり、片親の子供の洗礼式を執り行ったり、ロックな教皇と言われる所以である。
日本はほとんどがキリスト教徒でもないし、ましてやカトリック信者は江戸時代よりも減っている。カトリックのルールなんて知らない日本人が観ても、人間として悩む、神父の心に同情するし、フランシスコの、"人となり"を、共感をもって知ることができる。
なによりも好奇心や知識欲をかきたてられる映画になっている。オススメ。
(2017/6/6 /ヒューマントラストシネマ有楽町 /シネスコ /字幕:ダニエル・オロスコ+山田香苗)
右手で握り締めるロザリオ
主人公が神父を志す頃、アルゼンチンの政治は不安定となり、軍事独裁政権の支配下に。反政府主義者に対する弾圧で、司祭達や教会を頼る民間人も捕われ拷問や死刑の対象になります。教会の上司は事なかれ主義なのか、軍の権力になびく始末。なるべく上手く危険を回避し、出来るだけ多くの人命を救おうとする主人公の計らいには、教会という大組織内での中間管理職ならではの辛さを感じました。
行方不明者は行方が分からないのだから救いようがないと発言するアルゼンチンの大統領。軍は邪魔な民間人を拘束して軍用機から海に捨てていく。恐怖や驚きを通り越して、開いた口が塞がりませんでした。
必要とあらば政治家/軍人に脅迫まがいの言葉をかけ、シスターと喧嘩し、実母の小言は聞き流すという、現教皇を等身大の人間として描いていて好感を持ちました。
政治と宗教の互いの介入、ミサで現実の一体何が変わるのか。祈りは怒りと憎しみに溢れた心を鎮めてくれるのだと思いました。
社会的弱者の居場所を確保するべく、地道に現実的に活動してきたお方だということが良く分かりました。
"闘う法王様"の原点
批判的でもなく、美化することもなく、ひとりの神父のひたむきな姿を等身大で描いている。綿密な取材に基づきつつも、けっしてドキュメンタリーではなく、バランスのよい作品に仕上がっている。アルゼンチンの軍事政権による市民への残虐非道な仕打ちには目をそむけたくなくるが、これは事実であることを真摯に受け止めたい。
バチカン改革をはじめとして、宗教の枠を越えた他宗教との対話を進める現法王の精神の根底にあるものを垣間見たように思う。
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