ローマ法王になる日までのレビュー・感想・評価
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うーむ…難しいかな。
根本的に、なぜ法王が神の道に目覚めたのか、がわからなかったんだけど…。 感じたことは、軍政権下の恐怖政治と法王の信念の強さと交渉人のうまさか。 結び目を解く、ということが心にしみるけど信者ではないのでイマイチぴんとこなかった…。
ペトロ
結びを解きて心を結ぶ。 個性的では無いが、カメラワークのセンスが良い。 投下シーンはぞくりとした。 音響も派手さは無いが、実直な印象。 クライマックスでの鼓動音は良い表現に思う。 ただ史実をなぞるに留まり、その苦悩や葛藤に薄皮がある様に見えた。 また隣人愛を唱えつつ、善悪を区別する事に矛盾を感じた。 ともあれ、寄り添う心の所作には拍手しか無い。
゙結び目"が解かれる日は来るの?
「神は裁かない。ただ勝者を祝福するのみ。」昔読んだマンガのセリフです。にもかかわらず、いつも何かに、裁かれている気がするのは、何故ですかね。 人は大儀さえあれば、人を殺すことさえ躊躇いません。というか、麻痺しちゃうんですね。ただ、それを映像化されると、気が滅入ります。どんな大罪犯したところで、実は、反省しないのが、人が絶滅しない秘訣なのかも知れません。 仲間を助けられなかった苦い思い出。そんな、罪負い人の自覚のあるフランシスコおじさんが、伝道師の第一人者に選らばれたことは、僥倖なのでしょう。「…あなた方の中で、1度も罪を犯したことのない者が、この罪人に、石を投げなさい。」ってことですかね。 思うに、世界中にフランシスコおじさんは、いるのでしょう。きっと今も、世界中の苦しみを、分かち合っていることでしょう。そんな、名も無きフランシスコおじさんに、思い馳せることで、"結び目"が解かれる日が、来るのやも知れません。取り急ぎ映画館にいる、フランシスコおじさんに、会いに行きましょう。
心から祈る
一信徒から法王へ、南米からローマへ、というベルゴリオの半生を描いた作品である。アルゼンチン管区長・神学院長として「汚い戦争」と呼ばれる非道との対峙・苦悩が多くを占める。
その中で印象に残るのは、「心から祈る」ということを真に「理解」するシーンである。日本への伝道は心から祈れていないベルゴリオには無理だ、と序盤で諭された意味がここで明らかとなる。「結び目」と表現される自分自身の苦悩をすべて、全く聖母マリアに委ね救いを求める行為こそが「心からの祈り」ということなのだろう。念仏を唱え阿弥陀仏の本願にすがるという浄土真宗の教義に類似しており、親近感がある。そのことをドイツの留学先で知り合ったベネズエラの女性に教えられ、「目からうろこ」の例えのごとくベルゴリオが開眼する様子に涙が出そうなぐらい感銘を受けた。また、下宿の女主人らしい人とドイツ語で2、3言葉を交わした後に母語のスペイン語で心情を吐露するシーンも美しい。おそらくスペイン語を解しない女主人は応答することはないが、慈愛に満ちた表情で受け止めているのである。
もう一つ印象に残るのは「命令だから」。神学院への急襲を指揮する将校。強引な再開発を推し進める副市長。異口同音に、「上からの命令だから」と言い訳めいたセリフを発し、「神父さん、あなたもそうでしょう?」とベルゴリオに問いかける。このことは主題ではないのかもしれないが、繰り返していることからは作品のメッセージの一つだと思える。容赦なく打ちすえ、拷問にかけ、挙句はゴミのように人間を飛行機から投げ捨てるのは血に飢えた異常な人間ではなく、どこにでもいる普通の人なのだ。それが「命令だから」「仕事だから」と平然と実行できてしまうのは恐ろしくも人間の業の一つなのではないか。権力は必ず腐敗し、独裁・独善を指向するものなのだからこそ、それを防ぐような不断の努力が必要なのではないか。二度目の「命令だから」を一時的かもしれないが跳ね返し、弾圧する側がヘルメットを次々に脱いでミサに聞き入るシーンは希望と安堵を感じた。
そしてベルゴリオは法王へ。ラストシーンはカトリック教会が千年にわたり育んできた様式美を堪能できる。
激動の法王の人生
2013年に就任した、第266代ローマ法王フランシスコの半生を描いた作品。 クリスチャンではないので、それほどローマ法王に関心があるわけでは無いのですが、史上初めて南米出身のローマ法王の半生と言う事で、興味を持ってみました。 なるほどね。1960年代、70年代の軍事政権による圧政の時代をアルゼンチンで過ごしていたんですね。でも、あんまり言うと(書くと)、宗教論争になってしまうのですが、一点、指摘しておきたいなと思う事が。こう言うと、ちょっとあれなんですが、ナチ政権勃興の時も教会は何もしなかったし、このアルゼンチンの軍政の時も何もしなかったんですね。見方によっては、むしろ圧政者側に立っているようにも見えました。教会も権力機関なんですね。 だからと言って、法王フランシスコが民衆を救わないでいたと言う事ではありません。むしろ彼は、ドイツへの神学を学ぶための留学後、権力から遠ざかるように、地方での教会活動を行っていましたからね。 法王フランシスコの活動は、ホルヘ・ベルゴリオとして、アルゼンチンで活動していた頃に、その真髄がある事がよくわかりました。
《結び目を解くマリア》
映画【ローマ法王になる日まで】 予期せずハードな内容で、衝撃的で、涙が止まらなかった。 宗教的な聖人伝でもない。 監督もプロデューサーも無神論者だそう。 今年観た映画の中で私的に一番の映画。 現ローマ法王 フランシスコの実話。 1960年70年代 アルゼンチン軍事独裁政治の極悪非道な弾圧に衝撃を受けた。 そんな中でもひと筋の光を求め行動する勇気。 ドイツの教会で出会った一信徒の懐かしいスペイン語の祈りからの 《結び目を解くマリア》のシーンが私的に一番印象に残ってる。 この映画の全てがここに。 苦しみからの解放 無力さ 涙。。 常に弱者に寄り添う神父で有りながらも お母さんからの小言をスルーする普通の親子のシーンを見ながら 神父様がそうなんだから私の息子も私の言葉に寄り添わないのは 当たり前なんだな、、息子には息子の私にはわからない世界感があることも改めて分かった。 いつでも帰れば温かい食事で迎え入れてくれる家があり変わらない親の愛が有ればそれで良いのだと。 お母さんの柔らかい光の中でのシーンも印象的だった。 片手に握りしめるロザリオもまた印象的なシーン。 きっと近い将来日本に来てくれるだろうと願う。
結び目を解くマリア様
アルゼンチンの独裁政権下でこんな酷いことがあったことを、恥ずかしながら映画を観るまで知りませんでした。予備知識がなかったのでかなりの衝撃を受けました。そして、教皇フランシスコが何故アルゼンチンから選ばれたのか、何故あんなにも力強い導き手であるのか、考えるきっかけになりました。作中にも登場し教皇フランシスコが拠りどころにした結び目を解くマリア様に私も一緒にに祈ります。
好奇心や知識欲をかきたてられる、教皇の人となりを知る初めての映画
タイトルを直訳すると、"フランチェスコと呼んで、教皇"。
現役(第266代)のローマ教皇(法王)であるフランシスコの激動の半生を描いたイタリア映画である。ローマ教皇というと、"雲の上の人"というイメージ。その活動や発言はいかにも厳かで、プライベートはベールに包まれている。
教皇の私的な素顔や経歴に迫った実話モノというのはあまりなく、これは珍しい。しかし教皇は出世や選挙によって、すべてのカトリック教会の頂点に就任するわけだから、世襲制の王族などとは違い、元々は一般人である。
そして、これが映画として成立するほど、ダイナミックな実話モノなのである。コンクラーヴェで教皇に選ばれたフランシスコが過去を振り返る形で、映画は進行していく。
フランシスコの本名は、ホルヘ・マリオ・ベルゴリオ。史上初めて新大陸(南北アメリカ)出身者として教皇に就任した人物である。今年81歳になるフランシスコ教皇は、イタリア移民の子供としてアルゼンチンのブエノスアイレスに出生。イエズス会に入会して神に仕えることを決心したのは20歳のときなので、恋もすれば、愛する恋人もいたのである(カトリックでは禁止)。
その後、30代で母国アルゼンチンは軍事独裁政権の時代を迎える。庶民が苦しみ、多くの人々が監禁・誘拐・行方不明になる恐怖政治の下で、仲間の司祭を銃殺されたり、友人も失う。教会の管区長としての立場からカトリック教会の体面を守らなければならない中、レジスタンスを人道的に救う方法を模索したり、貧しい人々の苦しみを背負いながら布教活動を続ける。
時には権力と闘い、その心は、いつも最も貧困に苦しむ人々とあり、周囲の支持によって自然と出世していく。枢機卿としてアルゼンチンからローマに旅立つときには、多くの地元民に惜しまれた。
フランシスコはカトリック教会の厳しい戒律に対しても、柔軟に改革をしていこうとするスタイルを持つ。破門がルールの"離婚"からの"再婚"を認めたり、片親の子供の洗礼式を執り行ったり、ロックな教皇と言われる所以である。
日本はほとんどがキリスト教徒でもないし、ましてやカトリック信者は江戸時代よりも減っている。カトリックのルールなんて知らない日本人が観ても、人間として悩む、神父の心に同情するし、フランシスコの、"人となり"を、共感をもって知ることができる。
なによりも好奇心や知識欲をかきたてられる映画になっている。オススメ。
(2017/6/6 /ヒューマントラストシネマ有楽町 /シネスコ /字幕:ダニエル・オロスコ+山田香苗)
右手で握り締めるロザリオ
主人公が神父を志す頃、アルゼンチンの政治は不安定となり、軍事独裁政権の支配下に。反政府主義者に対する弾圧で、司祭達や教会を頼る民間人も捕われ拷問や死刑の対象になります。教会の上司は事なかれ主義なのか、軍の権力になびく始末。なるべく上手く危険を回避し、出来るだけ多くの人命を救おうとする主人公の計らいには、教会という大組織内での中間管理職ならではの辛さを感じました。
行方不明者は行方が分からないのだから救いようがないと発言するアルゼンチンの大統領。軍は邪魔な民間人を拘束して軍用機から海に捨てていく。恐怖や驚きを通り越して、開いた口が塞がりませんでした。
必要とあらば政治家/軍人に脅迫まがいの言葉をかけ、シスターと喧嘩し、実母の小言は聞き流すという、現教皇を等身大の人間として描いていて好感を持ちました。
政治と宗教の互いの介入、ミサで現実の一体何が変わるのか。祈りは怒りと憎しみに溢れた心を鎮めてくれるのだと思いました。
社会的弱者の居場所を確保するべく、地道に現実的に活動してきたお方だということが良く分かりました。
奥深い作品
難しく感情移入しづらい宗教映画なのかなと見始めましたが、全然違いました。 主人公の法王を演じられてた役者さんの演技にただただ魅入ってしまいました。目力が凄くて吸い込まれてしまい、もらい泣きしました。 パンフレットを購入したりチラシをよく読むとさらに映画の内容が深く入ってきてとても良かったです。
半生の重みに泣きました
いつもにこやかな法王様の半生がこんなにも過酷で激動だったことを初めて知りました。 想像を絶する暴力と政治と混乱の中、教会の教えを胸に苦悩し葛藤し続けていたからこその、今のお優しい笑顔があるのかと思い、顔に体に刻まれたしわに半生の重み、年輪を感じ胸が痛みました。 「結び目をほどく」シーンはただただ涙でした。 信じ続けることが難しい時代に、人も聖職者も、信仰のある事の救い、尊さを感じました。
神は貧しい人たちの中にいる
「神は貧しい人たちの中にいる」という信念の元、スラム街や貧しい人たちが集まる場所を歩き続け、教えを説き続けた神父 確かに、その姿はとても立派で、宗教家がみな、この神父のようだったら世界ももっと平和になるだろうと思った しかし、そんな彼がローマ法王になったということは、神父の中でも稀有な存在なんだろうなと思う 個人的には、コンクラーベにとても興味があったので、コンクラーベのシーンをもっと詳しく観たかった
"闘う法王様"の原点
批判的でもなく、美化することもなく、ひとりの神父のひたむきな姿を等身大で描いている。綿密な取材に基づきつつも、けっしてドキュメンタリーではなく、バランスのよい作品に仕上がっている。アルゼンチンの軍事政権による市民への残虐非道な仕打ちには目をそむけたくなくるが、これは事実であることを真摯に受け止めたい。
バチカン改革をはじめとして、宗教の枠を越えた他宗教との対話を進める現法王の精神の根底にあるものを垣間見たように思う。
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