「心から祈る」ローマ法王になる日まで Gonzoさんの映画レビュー(感想・評価)
心から祈る
一信徒から法王へ、南米からローマへ、というベルゴリオの半生を描いた作品である。アルゼンチン管区長・神学院長として「汚い戦争」と呼ばれる非道との対峙・苦悩が多くを占める。
その中で印象に残るのは、「心から祈る」ということを真に「理解」するシーンである。日本への伝道は心から祈れていないベルゴリオには無理だ、と序盤で諭された意味がここで明らかとなる。「結び目」と表現される自分自身の苦悩をすべて、全く聖母マリアに委ね救いを求める行為こそが「心からの祈り」ということなのだろう。念仏を唱え阿弥陀仏の本願にすがるという浄土真宗の教義に類似しており、親近感がある。そのことをドイツの留学先で知り合ったベネズエラの女性に教えられ、「目からうろこ」の例えのごとくベルゴリオが開眼する様子に涙が出そうなぐらい感銘を受けた。また、下宿の女主人らしい人とドイツ語で2、3言葉を交わした後に母語のスペイン語で心情を吐露するシーンも美しい。おそらくスペイン語を解しない女主人は応答することはないが、慈愛に満ちた表情で受け止めているのである。
もう一つ印象に残るのは「命令だから」。神学院への急襲を指揮する将校。強引な再開発を推し進める副市長。異口同音に、「上からの命令だから」と言い訳めいたセリフを発し、「神父さん、あなたもそうでしょう?」とベルゴリオに問いかける。このことは主題ではないのかもしれないが、繰り返していることからは作品のメッセージの一つだと思える。容赦なく打ちすえ、拷問にかけ、挙句はゴミのように人間を飛行機から投げ捨てるのは血に飢えた異常な人間ではなく、どこにでもいる普通の人なのだ。それが「命令だから」「仕事だから」と平然と実行できてしまうのは恐ろしくも人間の業の一つなのではないか。権力は必ず腐敗し、独裁・独善を指向するものなのだからこそ、それを防ぐような不断の努力が必要なのではないか。二度目の「命令だから」を一時的かもしれないが跳ね返し、弾圧する側がヘルメットを次々に脱いでミサに聞き入るシーンは希望と安堵を感じた。
そしてベルゴリオは法王へ。ラストシーンはカトリック教会が千年にわたり育んできた様式美を堪能できる。