ローマ法王になる日までのレビュー・感想・評価
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日本の明治維新でいえば桂小五郎的な
(角川シネマ「追悼上映」にて)
ひとりの人間にできることには、限りがある。
1976年に始まるアルゼンチン軍事政権の苛烈な独裁の中、
それにただ従うのも、
政府と軍の暴力に暴力で立ち向かうのも、
良心が許さない。
だが人間が踏みにじられる状況は、
自分が許さない。
かといって、
犬死にしてはなんにもならない。
そういう苛烈な10年で多くの友人を殺され、
それでも潰されてはならぬ、
そして1人でも救いたい、
そんなホルヘーーのちの教皇フランシスコの
歯ぎしりが伝わった。
だから彼は、
坂本龍馬や高杉晋作のごとく討ち死にするのではなく、
生き延びてたたかうことを選んだ。
桂小五郎のように。
軍事政権崩壊後、責務から解放されたドイツでの
マリアが「結び目をほどく」話は、
涙なしでは見られなかった。
そこにおそらくホルヘの、
こう言ってしまうとカトリックの人からは叱られるかもしれないけど、
信仰というより良心の
原点があり、
映画の冒頭近くで偉そうな司教だかなんだかが偉そうに
「君の祈りは心からのものじゃない」
とか言ったけど、
「結び目」の話を聞かされてはじめてホルヘは、
「心からの祈り」を悟ったんだろう。
だから教皇フランシスコは、
宗教を超えた良心として存在し得た。
ひとりの人間にできることには、限りがあるけれど、
それを追求し続けるのが、良心。
そういうことを、
見事に描いた名作でありました。
バチカン嫌いだったのにフランチェスコ追っかけになってしまった・・・
邦題は原題と比べてピリッとしてないと思っていたが、内容を正確に表わすタイトルだった。アルゼンチン時代がメイン。シーンとしては短いがベルゴリオにとってドイツのアウクスブルクでの久々の「休暇」時代(1985年)ーここでベルゴリオにとって重要となる邂逅も描かれる。サッカー好き、みんなと食事をするのが好き、タンゴを踊る、恋人がいた、大学では化学の勉強(エステルさんと今では天国でお話しているかな)など、より詳しく知ることができた。
アルゼンチンの独裁恐怖政治の頃のベルゴリオについては映画「2人のローマ教皇」でも回想場面として出てくるが、本作ではそれが中心でより詳細に描かれている。イエズス会の特徴、独裁政権下での教会の対応、枢機卿の対応は一枚岩ではないこともわかった。どんな場所にいてもどんな危機的な状況でも、どこでもいつでもすぐにミサを行うベルゴリオに涙が出た。
アルゼンチン時代のベルゴリオ役は顔はあまり本人に似ていないけれど、声、優しい話し方、行動力はフランチェスコそのもので、若い頃から50代まで自然に演じていた。バチカンにいるベルゴリオ役は声も話し方も少しきつくて話すスピードも速かった。でもConclaveでパパが決まってバルコニーに登場したフランチェスコは実物本物‼️で結構感動してしまった。かの有名な最初の言葉:微笑みながら「親愛なる姉妹兄弟のみなさん、こんばんは」❗️「地球の果てから・・・」などユーモアがあって慈愛に満ちてそれでも普通のおじさまのようだった。
ルケッティ監督の作品のテーマ幅は本当に広い‼️コメディ、夫婦問題、女好きでミソジニーで劣等感いっぱいの男の話、そしてフランチェスコと盛りだくさん。全部見ている訳ではないがそれぞれが面白い!
観てはやめ、観てはやめ
ローマ法王って結局のところ何を基準に多くの支持を得るにいたり、選ばれるのだろう。結局、これ観てもわからなかった。
政治みたいに派閥があるの?それとも、布教活動や指導力を総合評価でもされてるの?あと、神父はみんななりたいものなの?なるとオイシイの?
こんなこといってる時点で、これ観る資格ないわな。全然入っていけないので、観てはやめ、観てはやめ、を繰り返した。
しかしながら、マリア様の結び目くだり涙するシーンは美しい。
タイトルなし
現ローマ法王フランシスコ (ホルヘ・マリオ・ベルゴリオ)
激動の半生が描かれた映画
時代背景と共に彼の人となりを観た
.
アルゼンチン軍事政権下での弾圧
刃向かうものは力でおさえ
行方不明者は数知れず
ゴミでも投棄するかのようにヒトを空から
…命を奪う
.
平和を祈り人々に寄り添う
彼は良心に従い行動する
.
聖母に祈るシーンには涙が流れ出てくる
.
一神教であるキリスト教
そして地上においてキリストの代理を務めるローマ法王は
なかなか理解しにくい存在
でも映画を観ると少し…
ほんの少し…わかった気がする
.
数日前のCNN News
法王は同性愛者と対話し
『神があなたをこのようにつくり、このままのあなたを愛している』
『あなたも自分自身を愛しなさい』
と語ったと😌.
.
ドラマ
『ピウス13世美しき異端児』
ジュード・ロウ演じる型破りな教皇も
素敵で興味深く観ました
結び目を解く
闇の深部に降りる人
結び目を解く。
アルゼンチン怖い。シンプルだがこの一言に尽きる。軍事政権がここまで、法律やモラルをあってないようなものまで貶めてしまうとは。自分達に都合の悪いものは容赦なく迫害・殺害する。
海に淡々と人が打ち捨てられて行くシーン、音楽もなく静かな波の音が聴こえて本当に怖かった。
ただ反抗するだけでは命を奪われて終わってしまう。社会を見て、周りを見て臨機応変に人々を守るよう行動してゆく主人公が素晴らしかった。スペイン語で祈りを聴きながら、結び目を解く話を聞きながら涙するシーンにはじんわりきた!
ただ老人になる時の切り替わり?がイキナリのように感じたのと、若かりし頃とあまりに別人のような顔立ちになっているために本当に別人かと…。
法王様は人間なんだよね
「心から祈る」だけで物足りない感じ。
ラスト4本の仕上げということで、今日の1本目は見ようと思って見逃していたけど、名画座で上映されていると知った『#ローマ法王になる日まで』。
現教皇フランシスコの半生を描いたものだけれど、期待外れな作品でした。
アルゼンチンの現代史の知識がないと、独裁政権と、圧政に抗する民衆や武装組織と教会組織という関係は、表層的には想像できるものの、それぞれのつながりは示唆的にしか示されないので、理解がしっかり追いつく前にどんどんストーリーが進んでしまう印象。ざっくり言うと眠くなりやすい。
そして、民衆に寄り添うベルゴリオ神父(のちこ教皇フランシスコ)もスーパーマンではなく、民衆は弾圧されたり、暗殺されていく。この無力で人間的で、そしてそれゆえに苦悩を持つことになるさまを描き出そうとした意図があるのだろうけど、それにしてもあまりに残念な感じ。
そのため、「行動者」ではなく「心から祈る」(序盤のシーンと、後段にそれぞれ出てくる)人として描かれていて、結局はある程度うまく日和見していいキャリアパスに乗った人というように窺えて、それはそれで職業人としてひとつのモデルではあるけど、物足りない。
2017年 通算50本目(目標まで3本)
感想:★★☆☆☆
アルゼンチンの知識不足を痛感
偉大な法王でさえ苦しんだ会社組織と、戦争時の注意
●カトリックや、世界リーダーの頂点であるローマ法王でさえ
自分で洗濯板で洗濯し、洗濯ものを干す。
組織の上司に逆らうと、殺される。
お金のない田舎に、神がいると感じる。
バチカンへ観光しただけでは、決してわからない内部事情もわかった。
●戦争のリアル
女は、ほっとして「しばらく大人しく」の忠告を聞かず、友人に会いに行く
その処刑の方法が
注意しないとわからない程、静かだが、非常に無慈悲。
日本もすでに戦争に巻き込まれている。
敵対国から、少しづつ日本人を装ったスパイが生活に入り込んでいるとも聞いたが、我々にはわからない。
新聞やニュースは結構、その社に都合の良い書き方に事実を曲げられる。
TVやネットの情報は、信じて「怒ったり・安心したり」するが
そのまま信じないで自分で調査し
「情報操作のマインドコントロール」されないよう気を付けないといけない。
また難癖つけて戦争を起こされないように、心を清らかに保つ方法は。
今、今後をどう生きるべきか、指針となった。
静かだが、素晴らしい映画! だと思いました。
中学生以上に、お奨めしたい。
中庸
権威を讃える不自由な精神
キリスト教は自由と平等と寛容を説き、欲望を超越することで魂の平安を得ようという宗教である。教え自体は仏教とあまり変わらない。違う点は布教の姿勢だ。仏教は布教よりも修行を重んじるのに対し、キリスト教は布教を熱心に行なう。イスラム教も布教には熱心だ。
それは教義の違いに由来する。仏教は菩提薩埵が修行を通じて涅槃を極めたのに習い、般若波羅密多を唱えて恐怖を克服する修行を行なって悟りに達することが目的とされる。しかしキリスト教では、聖書に「汝の敵を愛し、迫害する者のために祈れ」とある通り、寛容の精神を説く。できれば多くの人々に、互いに寛容になってほしいのだ。そのためには不寛容で頑なな人々を啓蒙し、教え導く必要がある。
ところが、宗教活動が社会的になると、布教や伝播という目的のために人を組織する必要が生じる。そして組織は権威と服従の構造を生む。
宗教のはじまりはすべて個人の活動だった。経典などはなく、口伝で広まった。歌を歌っていたという説もある。誰かが後世に残そうとして聖書や経典を書き残してから、宗教には文化の色が付きはじめた。同好の士が集まって活動を盛り上げようとすれば、おのずから組織が形成され、権威と服従の構造が生まれていく。複数の組織が形成されると、複数の権威が生まれる。すると今度は権威同士の争いとなる。
原始キリスト教、原始仏教の教えはどこへやら、自分たちの正当性をひたすら主張する俗物たちの舞台となってしまうのだ。
つまり宗教は、聖書や経典が作り出され、組織化されたことで、本来の個人的な救済から遠く離れ、儀式と偶像崇拝に堕してしまったのだ。形骸化して権威同士の争いとなり、紛争を防ぐどころか、逆に戦争の主因ともなった。代々のローマ教皇がいかに政治的であったかは、高校の世界史の授業でも教えている。
権威が成立する原因は人間の弱さにある。権威は組織から生まれ、組織は神ではなく人間が作り出したものであるにもかかわらず、人は自由の重味に耐え切れず、権威の前にひれ伏してしまうのだ。
本作は独裁政権のアルゼンチンを生き延びてきた非暴力の神父の生涯を感動的に描いている。しかしそこかしこに、キリスト教の権威が見える。管区長の権威、枢機卿の権威、そしてローマ法王の権威。
「今から枢機卿がミサを行うから、ありがたく聞きなさい」
そんな風なシーンがある。そこにイエスがいたら、どのように反応するだろうか。仰々しい着物を着て、多くの飾りや讃美歌の合唱などの舞台装置を備えた上でのミサ。襤褸をまとって裸足で歩くイエスには、それが自分の教えを受け継いだ者たちに見えるだろうか。
この映画が作られた精神的な背景には、権威に対する屈服がある。誰も自分たちが屈服していると思っていないところが恐ろしい。コンクラーベがAKBの総選挙と構造的には同じであることに、誰も気づかない。
現法王様
私はどちらかというと宗教家というものに良いイメージはないです。
カトリックの学校に通っていたにも関わらずキリスト教には疑問ばかりです。
この映画は題名の通りローマ法王のお話です。
でも、主人公がなんだか人間的で、この間観たハクソーリッジの主人公よりも、身近に感じられるようなそんな人柄でした。
信仰が身近にある人たちが、神を裏切り、信じ、救われる人もいれば、残念ながら救ってもらえない人もいる。神の力は万能ではないけれど、信じ、祈ることで救われる。
アルゼンチンであんな厳しい悲しい時代があつたのね。と、勉強になりました。
しんみり良い映画でした。
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