FAKEのレビュー・感想・評価
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色々取材を受けてる・・・そこも撮ってる。全編、守さんの奥さんが手...
色々取材を受けてる・・・そこも撮ってる。全編、守さんの奥さんが手話で通訳する。映画を見る限りでは、どこかで耳が聞こえるんじゃないかと疑いも出てくる。
自分にとって酷い仕打ちと思う出来事にも意味がある
人間、やれば出来るじゃないの?
というオチで良かったのかなと思いました。
人生って結局、今まで逃げてきたことを最終的にやらされる時期が必ず訪れますから、ゴーストライターということが問題として取り上げれたことは単なるきっかけに過ぎないんですよね。
人ってどん底を味わうまで、自分では何がダメだったのか自覚できない生き物だと思うんで。
この映画そのものがFAKEだったら身もふたもないですけど、とりあえずいい音楽を作れる人ってことは証明できたんだと思います。
正誤なきストーリー
人が生きた跡がストーリーになるのではなく、ストーリーを人は生きている。そうでなければ、架空のストーリーは生まれない。佐村河内氏は現代のベートーベンという、神山氏は真実を暴く人というストーリーを生きている。ストーリーは当然、脚色されている。ゴーストライター事件、不倫騒ぎ等、本人達より、騒ぐマスコミや視聴者の方が生き方を失っている。
見応えあるけど好きでも嫌いでもない。
なんで最初から1人で作んなかったのかなと思う。 ディレクターズカットで視覚障害のある女の子の場面もありました。 受け取る側はいいかげん週刊誌とかに踊らされちゃうこと自体に疑いを持つぐらいの主体性は持つべき。 新垣見て笑ってる人だって気持ち悪い。
ジャーナリスト 、 ルポルタージュライター 、 ノンフィクション作...
ジャーナリスト 、 ルポルタージュライター 、 ノンフィクション作家、 皆 総じて 取材対象に 肉薄することで 知られざる事実を掴むことを営みとしてるけど、 それらのアウトプットは、 客観的事実じゃないんだよね、ということを再び思い出した 撮り手、書き手の 主観がどうしても反映してしまうから 本作も、森達也さんの 思い 願い 思惑みたいな主観が 出てる。 ラスト前に、 「どうして音楽やらないんですか?! 」と 打診、提案する行為がまさにそれ。 ヤラセとはまでは思わないけど、誘導はしてる。 森達也さん固有の 思惑が介在している証左だし、これをフィルムに収めたいという恣意性が出てると思う やっぱり客観的事実は、単一のドキュメンタリーだけでは 得られない 多種多様な 取材アウトプットをテーブルに並べて俯瞰で見ることが事実を掴む手段だよ!ってことを暗喩しているような作品でした
豆乳入れ過ぎ
日本メディアと外国メディアの差が如実に出ている。片一方は遠巻きから指を指して本人には向き合わず、もう一方は腫れものに直接向きあって合理的な検証を試みる。佐村河内氏は弁明できたか?否である。彼が主張する論法で創作活動が成り立つのか、例えば、新垣氏のような音楽技能がある人を連れてくれば、同じような創作が再現できるのか?そして、創作物への佐村河内氏の貢献がどの程度認められるか。 総括できるか否かはそこである。シンセサイザーを使えるかどうかではない。耳が聴こえてようがそうでなかろうが、この映像の中での彼の行動が全て演技であったとしても、あまり重要ではない。 生き場所を失った人がどう生きるのかという観点で、興味深く見たが、再生したければ先の総括、検証が必要で、そうでなければ、何でもいいから仕事をすべきであるが、彼は全くそうではなく、共感も湧かなかった。
「衝撃のラスト」後の、衝撃
ゴーストライター騒ぎで世間を騒がせた、佐村河内氏に密着したドキュメンタリー映画。見終わった後に残ったのは、佐村河内夫妻の愛情に対する敬意と、「衝撃のラスト」によるモヤモヤ感。この映画が描いた「真実」は、佐村河内氏と新垣氏のどちらが嘘つきか、というレイヤーではない。罪人として石を投げられた或る夫婦、彼女たちのその後の生活という「真実」だったと思う。
ふたりが弱弱しく寄り添う姿は、報道過熱と佐村河内氏を嘲笑して石を投げた我々が生んだものだと思う。その意味において、佐村河内氏に同情してしまうような撮り方をした本作の終わり方は、あのラストをおいて他にないのだろう。
ところで映画館の帰り、ひとっ風呂浴びに近所の銭湯へ行った。番台を抜けると全裸の男が鏡の前に立って、サイドステップを踏みつつ軽快なリズムで「アッポーペン!パイナッポー・ペン!」と歌っていて、こりゃ随分なおfakeだなって思った。
描きたかったのは愛
監督が描きたかったのは二人の愛。 撮影方法に問題はあるものの、佐那河内さんに才能はあると思わせてしまう作品。 見る機会があるなら見て欲しい。 猫が可愛くてね。 猫好きだと萌えちゃう。
FAKEだらけ
町山智浩がラストはヤラセだろと指摘していたけれど、実はラストのみならずいろんなところに怪しげなシーンを混ぜているように思える。
取材を申し込んだが断られたというテロップは?
警官は本物?
取材に来た人たちは本物?
そして、あのいかにもチープな曲は、本当は参照元があるのではないのか?
森達也は佐村河内守という絶好のキャラクターを巧みに使って、佐村河内守という個別の疑惑を一般化しようと試みているように見えてしまう。なんとしたたかな。
結局真偽は…
晴れていない やっぱりどこか疑惑の視線をむけてしまう それは佐村河内さんの独特な空気感とかがそうさせてるのかなとは思う ラストシーン、自分は感動した というか素人だけど、可能性とか彼の道の続きとかが見えた まあでもよくよく考えると悪いことはしてたわけだしなあという感じ 夫婦そろってどこか違和感があったのは拭えなかった 監督も凄いよなあと 完全に向こうサイドについてるように見せていて真実はよくわからない。最後の最後のシーンでもそれが感じられた
軽薄な作品
映画を見終わった後で新垣氏を疑うようになったと言っている人が見られるので一応書いておきますが、この作品はあくまで佐村河内サイドに一方的に都合よく描かれた話です。作品を楽しむためにあえて馬鹿になって楽しむのはアリですが、こんなものに本気で騙されてどうするんですか。真相は新垣氏の著書「音楽という真実」にすべて書かれています。新垣氏はもうツンボごっこには付き合ってくれませんが、ちゃんと佐村河内氏を客観的に評価しているのがわかるはずです。
初めてのドキュメンタリーでしたがテレビ見てるみたいだった
このゴーストライター問題ははじめは興味がなかったが、なぜだか神山氏著のペテン師と天才が評判の様だったので読んだところ、なるほどなるほどこういうことだったのかと感心させられた。
その後、テレビや雑誌で新垣氏がもてはやされていて、なんか興味が薄れていたが、ドキュメンタリー映画ができたとのことで、試写会の評判が良いので鑑賞してみた。
雑誌の取材で外国人記者から、ほんとに音楽を作れるのかというかなり厳しい質問を浴びせられ、答えられなくシーンが印象的だったが、後半、佐村河内氏が何年かぶりにキーボードを購入してそれを自ら弾いて、打ち込みをしながら、曲作りを行っていき、その完成した曲と共にエンドロールとなり、え、もうそんな時間がたったのかとびっくりさせられた。
森監督が最後に佐村河内氏に私に隠していることはないですかという質問をして、それに怯むシーンで終わっている。
結局、雑誌、TV、マスコミ、ライター、作曲家、誰がFAKEなのかを最後に突きつけられ、なにか後味の悪さを引きずって帰らされた気がする。
● ドキュメンタリーとジャーナリズムの違い。
二日酔いで観たからか、頭が回らず難解だった。 どうしても、結局ウソついてたの?どっちなの?と結論を求めてしまう。 最後まで教えてくれんだったけど、自分で考えろってことかな。 嫁さんや親父の声は聞き取れるけど、おそらくは聴覚障害者。 だが森監督がいうように、なんで騒動から3年もの間、作曲しないのかは疑問だった。 過去は過去として、またいい曲作って音楽で見返してほしい。 そして、敗者復活を認める社会であってほしいもんだ。彼がペテン師でなければ。
おもろい
単純にゴシップとして面白い作りになっていた。 結論を出さないところからもエンターテイメントドキュメンタリーであった。賛否は分かれそうな感じだが…楽しめる観賞ではありました。損はないかと思います。そんなに深く考えないでも観れる作りです。
豆乳、ケーキ、音楽
ある人のある対象に対する行動が、端から見たら全く理解不能でその動機が想像できないのであるが、実は本人にとっては一瞬の迷いなく一点の曇りなくストレートにその対象に対する溢れんばかりの愛に従ってとっている自然な行動でしかない、ということに気づいた時にもの凄い感動にとらわれる。最低でも3回もこの映画でそんな瞬間に立ち会うことができる。豆乳、ケーキ、音楽。
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