美しい星のレビュー・感想・評価
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原作読んで無いから、後で読んでみようと思う。
三島由紀夫の原作の話しは読んだ事も観たこともなくて初めて。
人間を滅亡させて地球を守る派と、人間を信じて共存させて地球を守る派の議論の所は見応えあったなぁ。自分はもちろん地球人で、地球と共存したい派だけど、本当に地球の為を考えると人間は滅びないとダメだろうなぁ。と今まで幾度と無く考えたテーマだ。それを他の星の人から俯瞰して見たって言う話しで、面白かった。
うん、どちらを選択するにしても地球は美しいよ。ラストでそう思って切なくなった。
原作とは大幅に変更点はあったみたいだけど、大まかな話しの軸は変わらないみたい。先に原作読んでから観れば良かったかなぁ、と思った。
太陽系連合とは「楯◯会」なのだろうか?
「気象予報士」は「気象庁の見解」に従わなければならない。
つまり、「下駄を飛ばして、裏と表で天気を予報」は駄目だと言う事。つまり、地球温暖化を気象庁が言うからにはそれに従わなければ駄目なのだ。
さて、このストーリーは温暖化現象を認める形でストーリーが展開してる。
しかし、原作は核爆弾の話だったと記憶する。それをCo2の削減につなげだ所は明らかな演出家の手抜きとも言える脚本だと思う。
原作は明らかに傑作だと思うが、この映画はグローバルとしてのストーリー展開ではない。日本だけのお話になっている。だから、「美しい日本国」になり、まさにこの映画のテーマになる。従って、映画は原作の半分の価値は、あるのかもしれない。
SFというよりは…
地球の危機に際しての宇宙人たちの思惑についてのSFストーリーと、まとまりに欠けた家族が各々のイベント後に再び集結するという家族のストーリーが、ダブルミーニング的に重ね合わされたお話…と解釈しました。
映画内で唐突に出てくる「太陽系連合」とは、(水金地火だけだけど)要は家族のことで、SFというよりは古典的な家族の物語という要素が強いと思われます。
現在進行形の温暖化の問題ももちろん重大事ではありますが、行われる議論はそれほど目新しいものでもなくやや今更感がある。
個人的には、中盤までのシュールなイメージのまま突っ走って欲しかった気もします。
演劇作品の映画化か何かかなと思ったら、三島由紀夫原作なんですね。
SFと思いきやそうでもないのか いややっぱり…
レンタル110 意外と長くて4回くらいに分けたかなぁ
コメディのコーナーにあって前から気になっていた
ファーザーとのカップリングだ
三島由紀夫の小説の映画化だと
時代設定は現代に置き換えられている
どの程度原作に忠実なのかは分からないが
ストーリーは骨太でしっかりしていた
SFと思いきやそうでもないのか
いややっぱり…と味わい深い
ラストは賛否が分かれそうだがオラは好きだ
いろんな解釈ができそうだ
怪しいミュージシャンはどこかで見た顔だと思ったら
また若葉竜也だった でクセ者
橋本愛とのエピソードや顛末は
思春期にありがちな思い込みと
それにつけこむゲスな人種が上手に表現されている
中嶋朋子とマルチの関係の描写もしかり
佐々木蔵之介の役どころが何を示すのかは
いまひとつ理解できなかったが違和感はなかった
桐島部活とか紙の月の監督だな
最近だと羊の木を観ている
あと腑抜けどもというのもあった
原作モノが得意なのかもしれない
オラは自分を本好きだと思っているが
三島は一冊も読んでいなかった
この映画のおかげで読んでみようかとの思いに至り
B○○K○FFで購入した
こちらは110円にはなっていなかった
無謀な映画化
三島由紀夫の執筆動機には相次ぐ核実験、第三次大戦での人類滅亡の恐怖があったようです、視点を宇宙の高みに移して人類の原罪、あるべき地球の未来を問う、いかにも論壇好みの哲学的で深遠なテーマですが、映画では主人公を気象予報士とし、環境問題・地球温暖化の危機との対峙に変えています。
謎の異星人黒木(佐々木蔵之介)はオリンポスの神気取り、高いところから見るのではなく高いところからものを言う、火星人の父(リリー・フランキー)はまるでゴア副大統領、水星人の息子(亀梨和也)は前世代・先進国責任論、これは会議での途上国の常套句、各人の主張も論点も型どおり。娘(橋本愛)の金星人は聖母マリアもどき、母(中嶋朋子)は地球人(原作では木星人)らしい、ファミリーを代表して「太陽系連合」とは飛躍だろう。
メン・イン・ブラックのエイリアンなら多少は笑えますが東洋的な幽体合体では分かりにくいし特別な能力があるような無いような曖昧さ。円盤を呼ぶくだりはテレビのオカルト番組で観たまま、そもそもSFの必要性も醍醐味も端から想定外に思えます。
水の星・地球、その美しい水をマルチ商法に使うとは何事だと言ってみても針小棒大とんちんかん、円盤の迎えが福島なのは福島を持ち出したいだけでしょう。
勿論「不都合な真実」は真摯に向き合うべき重要なテーマ、噛み砕いた演出で関心を高めようとする意図は買いますがそもそも太陽系惑星で知的生命は地球だけというのは今や小学生でも知っているご時世ですからもっともらしい嘘はつけませんし原作との板挟み、そこで暗黙の了解、謂わば学芸会で動物のお面をかぶってセリフをいうような状況では舞台を現代に移しての映画化自体が陳腐化、無謀だったのかもしれませんね。あくまでも主観ですのでご容赦ください。
異星人
地球環境問題など、単なる付け足しで主題ではない。
崩壊寸前の家族は、それぞれが独りよがりの相容れない価値観に従って行動しており、まさに異星人の集まりだから、自分の価値観に引き入れようとしても無理。異星人と認め合うことで初めて互いを認め合えるのだから。
主人公の末期ガンがきっかけで、家族が初めてひとつにまとまり、全員で主人公の心のよりどころであるUFOに会いに行く。最後のシーンは本物の宇宙船と言うよりも「魂」の容れ物だろう。そこから地上を見下ろして家族が寄り添っている様子を映すラストシーンは、「美しい星」のテーマが環境問題などではなく、人と人、或いは家族の繋がりだと教えてくれている気がする。
ポスターデザインは大事やで
三島由紀夫アーンド吉田大八
となると食い付かないわけもないわけですが、さすがに劇場には足を運ばなかったにしろ。
(しかし、あのポスターセンス無さすぎだろ。萎えるよ)
とか言っても正直三島由紀夫の文体が苦手でほとんど読んだことがない。「仮面の告白」くらいかな、あと「金閣寺」は途中であきちった。
堅苦しい表現が受け付けなくて
何を血迷って?こんなSF書いたのか知らないが当然読んでません。
考えるまでもなくかなりオリジナル要素が入ってるんでしょうが、原作はともかくこの映画は…
端的に言えば中途半端かなあ。何がしたいのかもわからない
コメディとしてもいまいち崩壊していく家族を描いたとしてもいまいち。
なんかこうピンとこない。何かを皮肉ってるとか、暗示してるとかいうのもいまいち伝わって来ません。
というか中盤で飽きてしまった、何ヵ所か声出して笑えたけど全体的に退屈。
それに佐々木蔵之介の黒木いう人は結局なんなんだ?
リリー・フランキーの演技が素晴らしかったかな。なんかもう完全に役者になってきたなあ、この人
(声優はダメだと思ったけど他で書いたけど)
あんなお天気おじさん困るだろ(笑)
完全に危ないおじさんになってて、周りはあの状態でも精神科連れてかないんだ?ってなる。
家族全員宇宙人かと思ったら妻は地球人(笑)
父親は特に特殊能力もなく、息子も見た目が良いだけ、娘は風を起こしてたが処女懐胎をぶち上げる電波状態。
宇宙人であると言う言い分はさておいても、家族のドラマにしては長いし、宇宙連合にしては噛み合わないので、「なんだこれ?」と言う気持ちが残る。
リリー・フランキーのあの決めポーズは笑うから止めてほしい(笑)
自分を駆り立てるものがなんであれ、突き進む
タイトルは吉田大八監督作を5作鑑賞したうえで、共通しているなと感じたテーマを言葉にしてみました。
今作も、共通のテーマが描かれています。
桐島部活やめるってよ、においては、非モテオタク趣味として嘲笑されようが自分を夢中にしてくれるゾンビ映画の世界へ突き進みます。
前作紙の月では法を犯そうとも、横領する事をきっかけにあらゆるしがらみを超越していく自分自身を最後まで肯定し、突き進む。
今作において過去作同様登場人物達を駆り立てたのは、ズバリ虚構だと思います。胡散臭い水を有り難がるのも、虚構ですし、クズ男の投げかける台詞も虚構。太陽系連合も虚構かもしれない。
家族達は全員、クライマックス以前で自分達が一度は陶酔した虚構に裏切られ、残酷極まりない現実を突きつけられます。
虚構は人の尊厳を傷つけたり(娘)、他を排斥する独善的な思考に向かったり(息子)金儲けの為に騙す手段(母)になったりします。
しかし、それでも、最後には虚構かもしれないと思いつつも家族全員で父親の虚構に付き合った…その結果リリーフランキーは窓から見える虚構まみれの世界に、もう一度美しさを見出します。それが美しい星なのだと思いました。
どこまでが本当なのか
映画を見ているこちら側とは別の、
映画の中の世界でのリアルというものがある。
ファンタジー作品で
魔法が使えるのがその映画の中でのリアル。
スーパーマンが空を飛べるのがリアル。
これらは、
その映画の中だけのリアルなので、
見ているこちら側が、
自分のリアルと比べるのはナンセンス。
「そんなのあり得ないよ」
の一言で終わってしまうから。
自分が○○星人だ、と言い出す登場人物達。
セリフにもあるように
見た目が変わったり、
超能力が使えるようになったりしない。
本当に星人であるという証拠はない。
「君と僕は金星人」と言っていた男は
金星人ではなかった、かのように物語は進む。
あの曲を作ったのは別の女性だったから。
でも、UFO呼べたかのようなシーンもある。
娘が大学で
例のポーズで突風をおこすシーンがあるので、
男は違うけど彼女は金星人なのか。
そうだとしたら妊娠は?
水星人だと言われた息子。
エレベーターでのシーン。
あれは結局、議員を救ったのか?
ただの妄想だったのか?
蹴られた男が銃を落とす、
とかがあれば本当なんだって思うし、
「お前何するんだ!」って取り押さえられれば
妄想なんだって思うんだけど、どっちも無い。
父はUFOが呼べるのが火星人の証拠
と言っていたけど、結局、呼べなかった。
これは、火星人ではないって証拠?
でもラストシーンは?
映画紹介なんかでは「覚醒した」
って書かれてたけど、
単に他人から言われているだけなんですよね。
それを鵜呑みにしてるだけ。
「気付かされた」ってことで
これを覚醒したととらえるのだろうか?
『全員ただの普通の地球人です』
と言われても、納得できる気もする。
全て妄想で騒ぎ立ててただけ、とすれば。
ラストシーンは、
死んで天国に行く場面と思えば。
結局、どこまでが本当だったのだろうか?
リリーからのメッセージ。
原作は未読。三島由紀夫の異色SF小説らしいのだが、だいぶ
脚色はなされている模様。しかしあのリリーのポーズが未だに
脳裏に浮かんでしまう(^^;何なんだ~アレは。何度も出てくる
うちに、スタジオシーンで「あ、今くるぞ、やるぞ!」なんて
待ちかねてしまったじゃないか。金星人の橋本愛が繰りなす技
も奇妙なのだが、如何せん本人達は大真面目でやっているので
笑うのが阻まれる。何だろうな…この感覚。映画を観ていると
いうよりこちらも何かに洗脳されていくような…蔵之介の顔も
奇怪で怖い。ある意味これも日本版メッセージだったのかしら。
(しかしこんなお天気キャスターがいたら絶対見ちゃいますね)
「ポスト・トゥルース(脱真実)」時代のカルト映画
吉田大八監督『美しい星』、変なバランスの映画で最高だった。
(レイトショー一人きりで鑑賞。完全貸切でリリーフランキーのメッセージ兼放送事故の有様のポーズに合わせたカメラワークわカットの切り替えに声出して笑ったり、UFOに出会ったような変な空間におちいったような気分になれたりして、没入出来てなかなか良かった。)
以下、若干ネタバレ(というのだろうか、ストーリーラインに触れる感じ)になります。
家族がオカルトやマルチ商法にハマったら、普通は不幸やいさかいの元になりそうなものなのに、おかしな行動は特に咎められることはない。
それどこか、最終的にはそれによりクライマックスに向けて家族が美しくまとまっていったりする。
劇中、ある一つの真実を解き明かすような見方をする人には、訳がわからないだろう。「◯星人」ってなんで?「ボタン」の効果は?全ては曖昧なままだ。
何星人視点でのリアルかがグラグラしたりする。地球人でもあり、太陽系の別の星の人でもある3人は、個人の中でさえ、視点がせめぎあっているかもしれない。
最も冷静そうな「地球人」であり続ける母でさえ、すぐにわかるようなマルチに、あっさりと入り込んでいく。
信じるものによって「リアル」が変わる世界。
僕らは皆、それぞれに、生きる意味(使命)に出会ったと感じたい。
そして、出会ったものたちはそれが「地球人」の世界ではフェイクだという情報を明かされても、その使命に準じていく。
"フェイクニュース"、"ポスト・トゥルース"の時代らしい展開。
"彼ら"の真実は、"彼ら"にとっては真実で、反証しても無駄(場合によっては我らの真実でもある)。
本当のことよりも、本当と思いたいこと。真実の先には脱・真実の世界が広がっていて、真実を脱した者(異星人)同士は分かり合える。
とても現代的な語り口の作品だ。
橋本愛のUFOを呼ぶシーンや美しさが覚醒するとこなどは映像として楽しめた。橋本愛の超越的な美しさそのものもすごいのだけど。
そして人や街を綺麗に撮るぞと決めたらバッチリ綺麗に撮れるライティング含めた撮影技術も圧巻。これまたすごい。
あと、全体的に音楽や音響も素晴らしかった。
『桐島〜』ほどわかりやすく共感できる作品ではないけれど、吉田大八監督作品にハズレはなさそうと改めて思わされる映画だった。
ライムスター宇多丸さんの映画評いう通り、「スイッチ」の前後のくだりだけ、なんかボヤッとするなぁって感じだったけど、現代劇とするのには仕方ないのかな…。やむを得ないバランスなのかもしれない。
そして、今日、6/15は、共謀罪法案が可決された日でもある。
僕らは、もはや「地球人」的な正しさやそのロジックの持つ欺瞞にうんざりしていて、それが無差別のテロやトランプ政権などに繋がっているのかもしれない。
イギリスやアメリカやイスラム国だけでなく、日本においても同じで、建て前的な正しさに飽き飽きして下品な剥き出しの利己的プライドにすがろうとしている。新しい仕組みのネオナチみたいなものだ。新聞やテレビなどにも空気によるゲッペルス化を強いている。
でもさすがに下品すぎて、再びうんざりしている。
うんざりしても、よりうんざりするような新しいルールが決まってしまう。
そんなときに、例えば見目麗しい存在から説得力のある語り口で、少しの超常現象(たまたまの符合でも可)と共にもたらされるメッセージをいいタイミングで受けてしまったら、乗っかってしまう気持ちも分からなくもない。
「地球人に告ぐ、お前たちは○○○だ!」
みたいな言葉は、意外と爽快だし、甘美に響くだろう。そういう点では、とっても僕らの精神は合理的だ。
「あの人(達)は、なんであんなことをしたのだろう?」みたいな事を考えさせられる、2017年らしいカルト映画になりうる強烈な怪作でした。
最高に楽しみました!
もう一度ストーリーを理解したうえで、改めて観かえしたいなぁと思います。
原作未読で鑑賞
原作未読で鑑賞してきました。
火星人に覚醒した重一郎が色々奮闘して、地球温暖化に立ち向かう姿が笑えて、ポスターに描かれてるポーズは思いのほかジワって笑える!
あと太陽系連合って何!?って思いながら見てました。
何故異星人に覚醒したのかも分からず、佐々木蔵之介が謎を握っているのかと思ったけどそんな描写も無かったです。
最後の円盤に乗って地球を眺めてるのも??
色々謎を残しつつ終わっていきました。
冒頭の家族の距離感がラストでは縮まったのは良かったなと思いました。
普段SFを見ないので不思議な感じでした。
面白いのかつまらないのか良く解らん
映像表現とか、テンポよく運ぶところとか、面白いんだよね。観てて楽しい。お父さん、息子、娘、お母さんとキャラ起てしてくところは「吉田監督の自家薬籠中のものだな」と思ったし。
それで話は面白いかというと、どうなんだろうね。結局、家族再生の話なんだけど、それだけなら火星人とか持ち出さなくていいよねっていう。
原作はどんなだったかなあと興味は出た。原作も今ひとつなのか、三島作品を吉田監督が消化しきれなかったのか、確かめたいと思ったな。
でも原作関係なく作品としてどうなの?ってところだから、そうすると、やっぱり今ひとつかな。
朝井リョウ原作の《桐島、部活やめるってよ》は、吉田監督と喜安浩平さんの脚本の方が良かった。
角田光代原作の《紙の月》は、まあまあ。
そして三島由紀夫の《美しい星》は今ひとつ。
「宇宙人のようなひとだ」という例えが
奇抜な行動をするひとや特殊な思考をもつもの、才気あふれる人物に使われることがあるが、今作の「~星人」はまさにそういうことだったのね。きっかけがあり、各々が~星人へと意識改革(した/された)家族の物語。と思いきや、リリー・フランキー演じる主人公だけは本当に火星人が憑依していたという(ハヤタ隊員とウルトラマンが一体になっていたような)。
ここの他の方のレビューでは意外に冷静で距離を置いたものが多く、「今更これを映画化かよ」というような空気を醸し出しているものまであったが、ぼくはこの映画(物語)に大変感動してしまった。
三島由紀夫は好きな作家でいくつも作品を読んでいるが、「美しい星」は読んだことがなかったので、これを機に原作にもあたりたい。
良作、みて良かったです。
「でも、やっぱり、きれいだな」
6/4に観た時にさっぱり分からなくて、パンフ読んで宇多丸の批評聴いて原作も途中まで読んで、リベンジ鑑賞。
1回目に何が分からなかったのかが分からないぐらいとてもすんなり理解できたし、切なくて泣けてしょうがなかった。
この星にとって、人間は所詮ただのいち生物に過ぎないのか。
それとも、この星を食い散らかす害獣なのか。
どっちにしろ、若い女と不倫したり、その女に自分のポジション奪われたり、わけわからんマルチ商法にハマったり、わけわからん男にハマったり、分不相応な野心を持ったり、そういうしょーもなくてどうしようもない人間たちの営みも、この星の構成要素であるわけで。
「でも、やっぱり、きれいだな」
って思いながらこの星からおさらばできるなら、地球視察としての人生もそう悪くはないのかも、と思わされた。
それにしても(1)、重一郎がカメラの前で唱える地球環境に対する警笛はすべて正論のはずなのに、真っ当なことを言えば言うほど劇場の笑いが大きくなる不思議。地球人たちは滅びるまで事の重大さに気づかないのかもなぁ。
それにしても(2)、あの広告研究会の男ほんと嫌いだわー
まあまあだった
地球環境のためには人類が害であるとか、それを本気で信じて狂っている人の話なのだろうけど、全然面白味を感じることができず、乗れるものにして欲しかった。水の販売も気の毒になるほど情弱としか思えない。ミュージシャンもあそこまでの雰囲気になれたら薬なんかつかわずにやれるだろうし、原作にとらわれ過ぎてアップデートがうまくいってない感じがした。
最初の車に乗っていた時のUFOや橋下愛ちゃんが風を起こすところや、亀梨が未来予知をするところなどは特に説明がなく、本当の超常現象だったのかな。佐々木蔵之介が同僚の秘書を土下座させて足蹴にしていたのは何だったのだろう。
やはりこれも
震災によって変化(覚醒)したはずの日本人のリアリティについての映画でした。
(震災の要素はラストだけでなく、その前から出てますね)
冒頭で描かれた家族と、ラストシーンの家族の様相の違い、ここに注目すれば、そんなに難解な映画ではありません。
三島の美意識と宇宙観
それぞれの宇宙の魂が地球人として使命を果たそうとするSFファンタジー。
小説チックに描くと、このようなスローテンポな映画に仕上がるのだろうか。オカルト的な怪しさに笑えるシーンもあるが、全体の輪郭がぼやけ、2時間がやや退屈に感じる。
温暖化による地球壊滅を訴える火星人
人間の浅はかな知能を蔑む水星人
地球の美意識に物申す金星人
虚像の水に騙され続ける地球人
水星人はルソーの自然に帰れ的思想で、人間を滅ぼそうとするが、火星人は地球人に危機感を持たせ、現状を変えようと奔走する。金星人は美のメッセンジャーとして地球人に神聖な美の概念を植え込み、地球にそれぞれが影響を与えている構図になっている。
地球外生命体から見ても、地球に存在する自然(人間は含まない)は美しいものであり、「美しい星」であるがゆえに、救う価値があるのだろう。
宇宙人たちもそれぞれの「美の概念」に則って地球存亡を考えるという、不思議な共通点を持っているようだ。「美」には破壊を押しとどめる抑止力があるのだと感じさせられる作品になっている。やはり人間は自然に帰るべきか。
これは観た後に、物思いにふけったり、妄想を膨らませたりするのが楽しくなるストーリーだ。退屈で、よく分からずに終わってしまうように見えて、深いメッセージが隠されているような映画。
蛍は地球人、サン・ラは土星人
あの三島由紀夫原作のSF作品ということなのだが、それよりもヒューマンドラマの、啓発要素が強いイメージを持った。
確かに主人公家族のそれぞれはまるで何かに取憑かれた様にアイデンティティに目覚め、その目的に邁進していく。その内容は傍からは迷惑かもしれないし、犯罪に加担しているかもしれない。ましてや奇行が目立てばパージされていくのが世の常。それでも強烈な超常現象(啓示と自分で信じて疑わない)に遭遇すれば、人は生きる疑問にはっきりと解答を得られ、そのカタルシスに狂酔するのかもしれない、ある意味羨ましい内容だ。観客側からの視点でも、本当はわざと演じている、又は自覚しているのかはっきり分からない中でのストーリー展開は、結局ラストシーン迄、劇中音楽のEDMの疾走感と、シンクロする細かいカット割りの中で、引っ張られ、引きずり込まれる。
今作品のクライマックスは、議員秘書の佐々木蔵之介と主人公、リリーフランキーの激論を闘わすシーンであることは間違いない。なのだが、その迫力と、お互いを論破せんが為のあらゆる言葉に、人間の哲学への飽くなき知的欲求を垣間見ることができると思うのだが、大した頭脳もない自分には、記憶するには余りにも速すぎる台詞回しで、憶えられなかった・・・どこかで聴いたような問答集なのだろうけど・・・
唯、そんな中での疑問点は、果たして今作品の配役はこれで良かったのだろうかという点である。リリーフランキーと中嶋朋子の夫婦役もしっくりいかなければ、子供も、橋本愛とジャニーズ亀梨。どうもしっくり来ないのは、やはりそれぞれが個性が強すぎてバックボーンが透けて見えてしまうせいなのか、余計な情報がチラチラしてしまうのが、“玉に傷“である。
ただ、橋本愛の不思議ちゃん演技、リリーフランキーの決めポーズは、何度観ても思わず笑ってしまうブレイクシーンである。
非常に不思議で、色々なテーマを内包した今作品、しかしラストはきっちりSFというジャンルを語ることは間違っていないのだということを思い知らされた。佐々木蔵之介のまばたき無しの演技の異様さも、付け加えておこう。
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