美しい星のレビュー・感想・評価
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新たなカルトSF映画の誕生!
ウルトラセブンだ!宇宙人同士が地球について語る・議論する様はまさしく「狙われた街」。原作の東西冷戦を地球温暖化に置き換えたことで事態の深刻さは後退したきらいがあるけど行き過ぎたエコ思想に堕することなくコミカルかつ高らかにこの人間賛歌を歌い上げた吉田大八監督は流石だ
撮影と音楽も素晴らしかったな。やっぱり「美しさ」を語るには作品そのものが美しくないと
「確かに美しい地球の自然を保護するためには人間が滅びることが最善かもしれない。しかし人間の営みもまた美しいものではないか。愛する人がいるからこそこの星は美しいのではないか」というようなメッセージを受け取った。これは俺の大好きな『ウォーリー』にも近いものがある
つまり通底するテーマは『2001年宇宙の旅』のような異星人との出会いによる地球人の精神的進化。覚醒した人間が狂気じみていく様やラストの展開は『未知との遭遇』を想起する。これは新たなカルトSF映画の誕生です!地球人のみなさん『美しい星』は必見です!太陽系連合からのメッセージです!
不思議、分かり難い、でも魅力的
どこにでもいるような普通の家族が、突如としてそれぞれが宇宙人として覚醒していく予告編に惹かれて鑑賞した映画でしたが、これはまた何とも風変わりな・・・私レベルでは話的に分からない部分が多く、まだ見てない人にどんな映画だったかと聞かれても正直どう説明していいのか分からないぐらい、とにかく説明に困る映画でしたが、でも基本面白かったのは面白かったです、話そのものではなくテーマ的なところではある程度分かり易い部分もありましたから、まあ好みはかなり分かれると思いますが、不思議な魅力に溢れた映画ではあったかなと思いましたよ。
吉田大八監督作品じゃなかったらきっとここまでの規模で全国公開されることはなかったであろうマニアックさでしたけど、でも万人向けではないにしてもそこかしこにほんのりと吉田エッセンスが注入された作品ではありましたので、吉田大八作品好きなら一見の価値は有りかと。
しかしまあどことなく作品全体にレトロ感が漂っていましたけど、原作は1962年に発表された三島由紀夫の小説なんだとか、と言っても三島由紀夫の本なんて一冊も読んだことは無いので原作どうこうは何も語れませんが、作品に漂うレトロ感は何となく好きでしたよ。
東日本大震災後を意識した作風に改編したのも、より心に響くものがあって、風変わりな話ではありましたが感情的には入り込み易い部分もあったりして、まあ何かと考えさせられた映画でしたね。
痛みを背負いつつ、守らなくてはいけない存在があると、改めて思わされた次第です。
バラバラだった大杉家(人類の象徴?)が再生していく話としても見応え十分、それぞれが宇宙人として覚醒していく目覚め、行動、顛末と三部構成的に作られた群像劇は、一体どう話が展開していくのか、???となりながらも思いっ切り引き込まれるものがあって、もう目が釘付けでした。
特にオープニングとエンディングの家族の在り方の違いはグッと来た、母親の設定がホント最高でしたね、あの設定だったからこそ妙にグッと来るものがあったのかもしれません、母親の台詞が本当に素晴らしかった、中嶋朋子が演じただけに、ある意味家族はつらいよ番外編的に見えなくもない辺りも若干ツボでしたね。
皆役に説得力があったのも、見入ってしまった要因の一つでした。
特にリリー・フランキーお父さん、娘の橋本愛は、宇宙人らしさが半端じゃなかった、そしてそれ以上だったのは佐々木蔵之介だったか、一体この人は何者だったの?と、何とも難解な余韻を残す役どころでしたよねぇ・・・。
それにしてもリリーポーズ、橋本ポーズ、何故だか物凄くツボに嵌ってしまいました!
まあとにかく分かり難い映画ではありましたけど、今も地球が悲鳴を上げているのは間違いない事実、劇中の曖昧な部分を紐解きながら、地球について考えてみるのもまた一考な作品だったのではないでしょうか。
原作未読で鑑賞
原作未読で鑑賞してきました。
火星人に覚醒した重一郎が色々奮闘して、地球温暖化に立ち向かう姿が笑えて、ポスターに描かれてるポーズは思いのほかジワって笑える!
あと太陽系連合って何!?って思いながら見てました。
何故異星人に覚醒したのかも分からず、佐々木蔵之介が謎を握っているのかと思ったけどそんな描写も無かったです。
最後の円盤に乗って地球を眺めてるのも??
色々謎を残しつつ終わっていきました。
冒頭の家族の距離感がラストでは縮まったのは良かったなと思いました。
普段SFを見ないので不思議な感じでした。
2017-40
思い返そうとすると、リリー・フランキーのあのポーズと、ラブシーンしか出てこない。
ようわからん。
こないだ見た『メッセージ』よりわからない。
じゃあつまらなかったのかと聞かれるとそうではない。
不思議です。
映画館で見なくてもよかった。
前に座ってたおじいちゃん、爆睡してたなぁ。
いびきだけはかかんといてよ。
そのせいで集中力が持たなかったのは大いにあります。
一番すごかったのは佐々木蔵之介さんの演技力です。
この人本当は地球人じゃないんじゃないかと思ってしまう目をしてるんです。
あと音楽がよかった。
気持ちの高ぶりを上手く表現してました。
面白いのかつまらないのか良く解らん
映像表現とか、テンポよく運ぶところとか、面白いんだよね。観てて楽しい。お父さん、息子、娘、お母さんとキャラ起てしてくところは「吉田監督の自家薬籠中のものだな」と思ったし。
それで話は面白いかというと、どうなんだろうね。結局、家族再生の話なんだけど、それだけなら火星人とか持ち出さなくていいよねっていう。
原作はどんなだったかなあと興味は出た。原作も今ひとつなのか、三島作品を吉田監督が消化しきれなかったのか、確かめたいと思ったな。
でも原作関係なく作品としてどうなの?ってところだから、そうすると、やっぱり今ひとつかな。
朝井リョウ原作の《桐島、部活やめるってよ》は、吉田監督と喜安浩平さんの脚本の方が良かった。
角田光代原作の《紙の月》は、まあまあ。
そして三島由紀夫の《美しい星》は今ひとつ。
火星人、金星人、水星人
原作は未読です
クレイジーな設定ということを深く考慮して鑑賞してもらいたい作品
覚醒後のキャラ達の考え、行動には共感は持てないものの、現に地球で起きている環境問題についてを題材にしていることには考え、行動しなければいけないと改めて思いました。
それぞれのキャラが自分は別の星の生き物と伝えるが、宇宙人がいることを信じているか、信じてないかで考え方もかわると思います。
「宇宙人のようなひとだ」という例えが
奇抜な行動をするひとや特殊な思考をもつもの、才気あふれる人物に使われることがあるが、今作の「~星人」はまさにそういうことだったのね。きっかけがあり、各々が~星人へと意識改革(した/された)家族の物語。と思いきや、リリー・フランキー演じる主人公だけは本当に火星人が憑依していたという(ハヤタ隊員とウルトラマンが一体になっていたような)。
ここの他の方のレビューでは意外に冷静で距離を置いたものが多く、「今更これを映画化かよ」というような空気を醸し出しているものまであったが、ぼくはこの映画(物語)に大変感動してしまった。
三島由紀夫は好きな作家でいくつも作品を読んでいるが、「美しい星」は読んだことがなかったので、これを機に原作にもあたりたい。
良作、みて良かったです。
「でも、やっぱり、きれいだな」
6/4に観た時にさっぱり分からなくて、パンフ読んで宇多丸の批評聴いて原作も途中まで読んで、リベンジ鑑賞。
1回目に何が分からなかったのかが分からないぐらいとてもすんなり理解できたし、切なくて泣けてしょうがなかった。
この星にとって、人間は所詮ただのいち生物に過ぎないのか。
それとも、この星を食い散らかす害獣なのか。
どっちにしろ、若い女と不倫したり、その女に自分のポジション奪われたり、わけわからんマルチ商法にハマったり、わけわからん男にハマったり、分不相応な野心を持ったり、そういうしょーもなくてどうしようもない人間たちの営みも、この星の構成要素であるわけで。
「でも、やっぱり、きれいだな」
って思いながらこの星からおさらばできるなら、地球視察としての人生もそう悪くはないのかも、と思わされた。
それにしても(1)、重一郎がカメラの前で唱える地球環境に対する警笛はすべて正論のはずなのに、真っ当なことを言えば言うほど劇場の笑いが大きくなる不思議。地球人たちは滅びるまで事の重大さに気づかないのかもなぁ。
それにしても(2)、あの広告研究会の男ほんと嫌いだわー
ダイコン
乗れなかった。
原作を読んだ時の感動とは程遠いつまらなさだった。映像にするとこんなに陳腐でつまらなくなるのか。
見なければよかったと何度も後悔しながら見ていた。
リリーフランキー氏の文章やラジオの喋りは好きだったが、俳優としては一度もいいとおもったことがない。何でこんなにも多くの作品でキャスティングされ絶賛されるのか理解に苦しむ。今回も、ラストのシーンで、わぁやっぱりダイコンすぎる、なんでみんなあんなに絶賛するの???と思ってしまった。冒頭の氏の裸も、見たくなかった。
原作を読み直して口直ししようと思う。
橋本愛の「正しい美しさ」という圧倒的な強さ
原作未読です。
最終的になぜ覚醒したのか、覚醒した目的や意味は最後まで明らかになる事はないのですが考えるな、感じろ!系で最後まで展開が予測出来ず、混乱しつつも飽きさせませんでした。
他にもバンドマンの男の正体は父親や周囲の人間が語った通りの人間だったとして、
佐々木蔵之介は結局地球人だったのか?何が目的だったのか?等疑問が残りました。
全体的に分かり易い話ではないですが、とにかく全編に渡って橋本愛が過去最高では、というレベルで美しく撮られています。出演シーンで美しくない橋本愛は居ません。それだけでも観る価値はあると思います。
暁子は並外れた美しさのあまり周囲から浮いている(覚醒後は抑え込んでいたものが解き放たれてより異質な存在感を放っています)という設定なので、他の女優さんではこれ程の説得力は生まれなかっただろうと感じました。
まあまあだった
地球環境のためには人類が害であるとか、それを本気で信じて狂っている人の話なのだろうけど、全然面白味を感じることができず、乗れるものにして欲しかった。水の販売も気の毒になるほど情弱としか思えない。ミュージシャンもあそこまでの雰囲気になれたら薬なんかつかわずにやれるだろうし、原作にとらわれ過ぎてアップデートがうまくいってない感じがした。
最初の車に乗っていた時のUFOや橋下愛ちゃんが風を起こすところや、亀梨が未来予知をするところなどは特に説明がなく、本当の超常現象だったのかな。佐々木蔵之介が同僚の秘書を土下座させて足蹴にしていたのは何だったのだろう。
ぼくも宇宙人
原作が三島由紀夫の同名作(昭和37年)。吉田監督が純文学作家の看板を借用して、芸術志向へシフト・チェンジかと疑っていました。ごめんなさい。
三島の諸作品の中でも、『美しい星』はSF的な趣向が目立つ以外、極めて調子が低い作品ではないか?と考えていたもので、あまり期待はしていませんでしたが。
自らが火星人であることに覚醒する大杉重一郎(=リリー・フランキー)、妻・伊余子(=中島朋子)、長男・一雄(=亀梨和也)、長女・暁子(=橋本愛)らの演技が見もの。父親が火星人として振る舞うことをよそに、一雄は水星人、暁子は金星人として目覚めていく様が仕方ないなあ、と自然に感得されます。
伊余子も地球人として“水ビジネス”に勤しみ、一家はよくいる変な人たちです。宇宙人であると自覚したからといって、特に超能力や特殊能力が使える訳ではなさそうなところがポイントです。現実は変わらない。変えられない……だからと言って、今の現実を貴方たちは受け容れられるのか? 重一郎は問いかけます。
原作の発表時、三島が俎上に上げたのは核兵器の問題でした。吉田作品では、「地球温暖化」問題が執拗に取り上げられているのですが、原作の流れや本来の問題提起から行けば、「原発再稼働」などを持ってくるべきかな? 脚本もその方がスムーズに書き換えられ、アップデートも容易だったはずと愚考するのですが、映画産業自体の在り方からして(政治的にナイーヴ過ぎ、スポンサーが皆、下りてしまうだろうと)無理な状況もわかります。
そんな逃げ場の無い閉塞的な状況下、重一郎は吠え、大杉家は奔走します。
おかしな言動を繰り返す人たちを見て、「おかしい」と切り捨てるのは簡単です。ただ、すべての言説が既成の枠組みの中に取り込まれ、呑み込まれてしまう時代、敢えて、奇矯な立ち居振る舞いに至ってしまうことでしか、訴えられないことがあるのではないか? 火星人のけったいなポーズに失笑した後、そのポーズで何を指し示したかったのか、一瞬でも、思いを馳せてあげられればと思いました。
映画は唯の映画(小説だって唯の小説)。単なる作品として、ああだ、こうだと批評は自由。ただ、作り手が相手に対して、本気で何かを伝えたくなった時は、作品の受け取られ方なんかどうだっていい、貴方たちの生き方はそれでいいのか?と絡んでしまうのでは? 商品(サービス)として受け取れ!というのではなく、単に考えるヒントであれば十分だから、一人ひとりに真剣に考えてもらいたいと願ったのではないでしょうか。
映画作品としての質云々もありますが、今回は監督の“志”に打たれたような気がします。正直、観る前から舐めてかかっていたので、泣きそうになっていたぼく自身に驚きました。
ラストの特撮はセンス・オブ・ワンダー。一人の地球人としての自分の生き様に対し、宇宙のどこか遠くの果てから眺めて見た時、ぼくらはそれを肯定できるでしょうか? SFが或る種の科学的前提に基づく思考実験であるように、映画『美しい星』は一宇宙人としての視野に立った上で(地球人だって宇宙人の一種です)、観客の生き方を問い直す127分の実験です。
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