劇場公開日 2017年5月26日

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「ぼくも宇宙人」美しい星 ぽか.さんの映画レビュー(感想・評価)

4.0ぼくも宇宙人

2017年6月1日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

泣ける

笑える

原作が三島由紀夫の同名作(昭和37年)。吉田監督が純文学作家の看板を借用して、芸術志向へシフト・チェンジかと疑っていました。ごめんなさい。
三島の諸作品の中でも、『美しい星』はSF的な趣向が目立つ以外、極めて調子が低い作品ではないか?と考えていたもので、あまり期待はしていませんでしたが。
自らが火星人であることに覚醒する大杉重一郎(=リリー・フランキー)、妻・伊余子(=中島朋子)、長男・一雄(=亀梨和也)、長女・暁子(=橋本愛)らの演技が見もの。父親が火星人として振る舞うことをよそに、一雄は水星人、暁子は金星人として目覚めていく様が仕方ないなあ、と自然に感得されます。
伊余子も地球人として“水ビジネス”に勤しみ、一家はよくいる変な人たちです。宇宙人であると自覚したからといって、特に超能力や特殊能力が使える訳ではなさそうなところがポイントです。現実は変わらない。変えられない……だからと言って、今の現実を貴方たちは受け容れられるのか? 重一郎は問いかけます。
原作の発表時、三島が俎上に上げたのは核兵器の問題でした。吉田作品では、「地球温暖化」問題が執拗に取り上げられているのですが、原作の流れや本来の問題提起から行けば、「原発再稼働」などを持ってくるべきかな? 脚本もその方がスムーズに書き換えられ、アップデートも容易だったはずと愚考するのですが、映画産業自体の在り方からして(政治的にナイーヴ過ぎ、スポンサーが皆、下りてしまうだろうと)無理な状況もわかります。
そんな逃げ場の無い閉塞的な状況下、重一郎は吠え、大杉家は奔走します。
おかしな言動を繰り返す人たちを見て、「おかしい」と切り捨てるのは簡単です。ただ、すべての言説が既成の枠組みの中に取り込まれ、呑み込まれてしまう時代、敢えて、奇矯な立ち居振る舞いに至ってしまうことでしか、訴えられないことがあるのではないか? 火星人のけったいなポーズに失笑した後、そのポーズで何を指し示したかったのか、一瞬でも、思いを馳せてあげられればと思いました。
映画は唯の映画(小説だって唯の小説)。単なる作品として、ああだ、こうだと批評は自由。ただ、作り手が相手に対して、本気で何かを伝えたくなった時は、作品の受け取られ方なんかどうだっていい、貴方たちの生き方はそれでいいのか?と絡んでしまうのでは? 商品(サービス)として受け取れ!というのではなく、単に考えるヒントであれば十分だから、一人ひとりに真剣に考えてもらいたいと願ったのではないでしょうか。
映画作品としての質云々もありますが、今回は監督の“志”に打たれたような気がします。正直、観る前から舐めてかかっていたので、泣きそうになっていたぼく自身に驚きました。
ラストの特撮はセンス・オブ・ワンダー。一人の地球人としての自分の生き様に対し、宇宙のどこか遠くの果てから眺めて見た時、ぼくらはそれを肯定できるでしょうか? SFが或る種の科学的前提に基づく思考実験であるように、映画『美しい星』は一宇宙人としての視野に立った上で(地球人だって宇宙人の一種です)、観客の生き方を問い直す127分の実験です。

ぽか