だれかの木琴のレビュー・感想・評価
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夫と第三者との間の遊戯
家にベッドが届く。そこに横になると、幻想として旦那が妻に手を伸ばす。さらに池松壮亮も妻に手を伸ばす。この映画全体が常盤貴子という中年ながらに少女のような心を持った女の遊戯であるということを雄弁に語るのがこのカットだ。
彼女はどこの家かも分からない家に響く子供の木琴を自分の心に重ね合わせ、「私は音楽を探している。音楽になろうとしている」と語る。
夫への気持ちにも池松への気持ちにも言葉や名前を与えられない。だが、夫を愛していないわけでもなく、池松と寝たいとかそんなわけでもないのだろう。きっとすべては子供の遊戯でしかない。
そんな子供のような女の行動にとばっちりを受ける娘と池松の恋人はたまったもんじゃないのだが笑
池松が本当のところ常盤貴子の事をどう思っていたのかはもう少し見たい気がした。それで女と別れて復縁しようともしないという事は彼は常盤貴子に気持ちが移りそうな所があったのではないかとも推察されるが、この辺の葛藤は画面にあってもいい気がした。
それにしても。やれ欲求不満だの、やれ夫とのストレスだのと、画面の一体どこでそんな事が語られているんだよって話。常盤貴子よりもその一面的なものの捉え方がよっぽど怖い。
わたしのいつもすきな池松くんの役柄ではなかったけど、演技はやっぱり...
わたしのいつもすきな池松くんの役柄ではなかったけど、演技はやっぱり好きー。
色んなところにおかしな人が出て来るけど、猟奇的に狂いすぎた感じでもない。そこがリアル。
そして池松壮亮が意外とずっとしっかりしてる。
常盤貴子とか、元カノとか、なんかまた次が始まりそうな予感があるよね。
80歳超えの監督作とは思えない斬新さ
薄い失楽園程度に思ってたらゾクゾクする画作り。意外性、思わせぶり、色気、
ロケーションの謎っぽさ(メインは流山市)といい若い黒沢清監督すきな人が作ったのかと思ったら化身の監督とは。
勝村さんがおいしい役どころ。
原作があると思わなかったので読んでみたい。
エンディングテーマの選曲と差し込む画はやり過ぎ感。
千葉県流山市でロケ
全てが異様
唯一まともなのは海斗の彼女。その他全て異様。夫婦の会話や関係や、夫の部下のやりとりとか、謎なことも多い。登場人物の人となりを知ろうと思うと、見入る。狂ってるようで何故あんなに冷静でいられるのか、全ては夫を信じ、愛するためなのか。いるだけで傷付ける人間‥それはさよこのことなのか。確信犯なのか、天然なのか。
女主人公が寂しがり屋⁇?
人間関係にある空虚が分かる映画。
特に女主人公のストーカーみたいな行為にびっくりしたし、怖かった。
怖かったけど、山田海斗のホワイトドレスを見たあとの驚く様子を見たらまた笑いたくなる。
何なんだろうと思ってー
確かに今の時代、一人の主婦としての寂しさを描いたようだが、家族関係から見たらまたそんなに強くもないはずなんだなあーと思う。
何にしても夫と娘とのやりとりが少なすぎる。
役者の演技にもかかわらず三人のいる食卓周囲の雰囲気は家族の感じじゃないと初めから思う。
だから最初に女主人公はおかしいし、どういう家族にも違和感ある。
また他の人物の間にも不明瞭な関係だ。曖昧なところが多い、主旨から離れる無意味のようなシーンが多い。人物の感情は漂っているように見える。
もっとはっきりした内容と強い感情が欲しいー
確かにこのふうに映画もありうるが、この映画だと変だなあとしか思わない。最後どうなるだろうと思いつつ見たが、最後まで淡々とした印象で何だか嫌だー
小説の方どうなってるか気になる。
演技の話じゃない方のキャスティング間違いもあるかもー
だんだん止まらなくなっていく
ある主婦が、美容店に行き、そこの男性にストーカーのようなことをしていき、主婦の家族が崩壊しかかっていきますが、なんとか再生していく内容でした。
専業主婦の人って、どこかさびしいのかなと思いました。
家族に恵まれていて、何自由ない生活なのに、心が満足していないそんな印象受けました。家という籠の中しかいないからかもしてません。
家族が崩壊していくかと思いましたが、夫が頑張ったと思いました。
しかし、最後のほうで、次のターゲットが出てきたのかなと思いました。
所詮、人間は、満足していくことに快感を覚えていく生き物なんだと思いました。今の生活に満足したら、次の高みを目指すそうして、欲がどんどん止まらなくなっていくのだと思います。
190本目‼︎ 恵まれた主婦の ワガママ⁉︎だよねっ 悪気がないの...
190本目‼︎
恵まれた主婦の
ワガママ⁉︎だよねっ
悪気がないのがタチ悪い⁇
寝室の写メなんかは
世間知らずと言うか
下心は無かったと思うし
後半は自覚があったのかな⁇
気ずかないうちに
一線越えちゃうものなのかなぁ?
やっぱ
怖いっ‼︎
音楽の選曲も秀逸
人妻
美容師
ストーカー
というキーワードの映画だったが、
官能さはあるがイヤラシくはなく
(濡れ場を期待してた殿方は期待ハズレ!)
親子で観賞しても気まずくないかな。
役者さん達の演技が清々としているので、
重苦しい雰囲気がないのは良かったです。
挿入歌も秀逸!
心の隙間
ストーカー行為を繰り返すうちに解放感や充足感が表情や振る舞いに表れてくる主婦役の常盤貴子がなんとも美しくてもう釘付け。
それとは対照的な美容師役の池松壮亮をはじめ、演者さん全員が登場人物にハマっててみんなそれぞれ紙一重ギリギリな感じが良かったです。
誰かに違う音色を奏でてほしい
人間は問題を抱え続ける生き物だ。まず衣食住が不足していれば、自分の生まれや不運を嘆く、または絶望する。そして衣食住が足りると、さらなる不足を感じ、欲求不満が心に渦巻く。〝衣食足りて礼節を知る〟というのは表面的で、内心では決して礼節を知っている訳ではない。
仏教では、こういったことを煩悩と呼ぶ。煩悩は人をこの世のありとあらゆる欲望に執着させるものであり、欲望から自由にならなければ悟りの境地に達することはできず、涅槃に至ることもない。そもそも衣食住の不足を不満に思うことさえ煩悩であり、衣食住の束縛から解放されなければ、精神的な解放もないのだ。
東陽一監督が仏教を意識していたかどうかはともかく、この映画は現代の煩悩のありようをストレートに描いた作品だ。
郊外の一軒家に移り住んだ不自由のない専業主婦が、変わり映えのしない毎日に倦み、他人との関わりに充足を求めようとする。ストーカー行為は悪意から生まれるのではなく、自分への不満が動機なのだ。
人には能動的な人と受動的な人、積極的な人と消極的な人がいる。社会的な価値観について言えば、たいていの人が受動的であり、消極的である。自分の価値観だけで生きていくのは非常に困難で、社会の価値観に認められる必要がある。自己の価値観を確立して実行するよりも、社会的な価値観に従順に生きるのが楽なのだ。
そのような従順な生き方が、誰かに演奏されない限り音を発することがない木琴に例えられている。子供が無作為に演奏すると、乱雑な音を出すが、洗練された演奏者に叩かれると、美しい音色を奏でる。
そして木琴のような女性を、美しい常盤貴子が静かに、静かに演じている。自分には、現在の夫には奏でられない音色があるかもしれない。誰かに違う音色を出してほしいのだ。その静かな演技が底知れぬ狂気の膨張を感じさせ、女というものはこういう生き物なのか?と思わせる。
相手役の池松壮亮は、どこまでも普通の常識人である若い美容師を自然に演じていた。この俳優さんは随分うまくなった。
悪人は誰も出てこないのに、何故かいろいろなことが悪い方向に進んでしまう。19世紀のフランス文学に似ている印象のある映画で、「谷間の百合」のバルザックに倣って、「C'est la vie」(「これが人生なのです」)と言い切ってしまいたくなる。
静かではあるが人生の深みを覗き込ませるようないい作品である。
池松壮亮の役どころがいい
予告編を見た時には面白そうだと思いながらも、単なるストーカー映画に終わっているのではないかと不安で、鑑賞が上映終了間近な本日となってしまいました。
それでも観に行った理由は、池松壮亮が美容師役として主演しているから。
観終わった今思うこと。
前半は単なるストーカー映画に終わると思っていたが、そうではなかったこと。
池松壮亮が難しい役どころを上手く演じていたこと。
家族の再生を描いていること。
そして…
孤独を抱え生きている中、池松壮亮のような存在にこれまで出会ったことを思い出し、懐かしいような、嬉しいような、そんな気持ちになるのは私だけではないだろうと思いました。
エンディングの井上陽水「最後のニュース」が映画を引き立てていました。
癖になる不気味さ
☆3.3
正常と異常の表裏一体を見せられたような気がした。
ストーカーの不気味さ怖さの中に見える純粋さ。
崩れているようで成立している家族の不確かさ。
終始、気味の悪い感じが漂っていたけど常盤貴子の美しさが作品として妙なバランスを保っていたように思える。
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