「いまいち」だれかの木琴 教育会館さんの映画レビュー(感想・評価)
いまいち
まず、池松壮亮、常磐貴子、佐津川愛美の演技の迫力が凄かったです。特に、仕事も趣味もない主婦・小夜子の、虚ろ、にも関わらず鬼気迫る表情には深い闇を感じました。また、夫と和解したのかな?というメールのシーンの後の、小夜子と夫の部下のやりとりから感じられる夫婦間のディスコミュニケーション感...。それから封筒の中の鍵を指でなぞることで、「別れ」を示唆する演出は好きです。ちょっとお洒落過ぎる気もしますが。
それだけに、娘と夫の説明的な演出(「うちの冷蔵庫に苺ない」とか、車内での会話)にはがっかりさせられました。得体の知れない狂気が、「安全」なはずの家庭の中から、孤独を糧に成長していく、というテーマは諸々の言葉による解説がなくても伝わります。更に言うならば、本作のタイトルである「だれかの木琴」に関する説明(幼少期の孤独)さえもとって付けた感があります。わざわざ「木琴」に関する説明がなくてもテーマは伝わります。むしろこの「木琴」に関する説明からは「単に小夜子が特殊な家庭環境だっただけなのか?」という解釈も生まれ得ると思いますし、それはかえってこの作品の「誰にでも宿り得る普遍的な狂気」というテーマを見えにくくしないでしょうか?原作小説と同じタイトルにしたことがこの問題の原因のかと思います。
それからこれは個人の好みの問題かもしれませんが、放火犯の描き方があまりにも軽薄ではないでしょうか。明らかにヤバそうな「3mm」野郎が登場したかと思えば、最終的にその人が犯人。私はマスターが犯人だったら面白いのにな(そして3mm野郎が犯人だったら心底がっかりだな)と思いながら見ていたので、この予定調和にはかなりイラっとさせられました。もう一つ好みの問題ですが、一番最後の常磐貴子のショットが可愛いのですが、これに何の意図があるのかよく分からずもやっとしました。
役者の演技は(勝村政信を除き)素晴らしいのに、正直なところ演出が台無しにしているような印象を持ちました。有楽町のスバル座で鑑賞しましたが、映画の後半に差し掛かるあたりで席を立つ方がちらほら。実際そのレベルの作品だと思います。