「わたしの、エロスに、火をつけて」だれかの木琴 りゃんひささんの映画レビュー(感想・評価)
わたしの、エロスに、火をつけて
小夜子(常盤貴子)は、警備会社に勤務する夫・光太郎(勝村政信)と中学生のかんな(木村美言)と三人暮らし。
最近、東京郊外の一戸建てに越してきた。
ある日、偶然訪れる美容室の若い美容師・海斗(池松壮亮)に髪を切ってもらったその日、昼間たまたま自宅に立ち寄った夫から新しいヘアスタイルとシャンプーの匂いを褒められ、欲情した夫と行為をしてしまう・・・
というところから始まるハナシで、何が夫の心に火をつけ、何が自分の心に火をつけたのかわからないまま、小夜子は心の導火線を追い求めていく。
この導火線の象徴が美容師・海斗であり、はじめは些細なメールのやり取りだったのだが、小夜子は徐々にストーカーまがいの行為に発展してしまう。
この映画の興味深いところは、小夜子が追い求めているのは夫・光太郎でありながら、海斗に執着してしまうところにある。
いわば、生まれたばかりの雛鳥が、初めて目にした動くモノを親だと認識してしまうのに似ている。
そういえば、終盤、光太郎と小夜子の無言の会話の中に「雛鳥」の語も登場するし、そもそも光太郎と小夜子の間のコミュニケーションは微妙に断絶している。
そして、もうひとつ興味深いのは、ストーキングされる海斗の心情・態度である。
現在、25歳の彼は、22歳の頃に、母親を悪し様に罵倒した相手に対してブチ切れて、重傷を負わせた経験があり、些細なことで、心に火が着いたり、心が壊れることを理解している。
なので、小夜子からのストーキングまがいの行為に対して、適度に距離を置いている。
ここが興味深い。
そして、そんな彼の薄情ともいえる行動に対して、恋人・唯(佐津川愛美)は不満を覚え、小夜子を詰(なじ)らない海斗に愛想をつかしてしまう。
彼女の行動がいちばん常識的で理解しやすいのだが。
海斗も、光太郎も(彼は彼で、行きずりの女と簡単にベッドを共にしてしまう)、すこし常識的でなく、すぐさまバランスを崩しそうだ。
小夜子も含めて、そこいらあたりは妙にリアルで、それを抑えたタッチで展開させる東監督の演出は、すこぶる映画的。
ただの「ストーカー映画」「サスペンス映画」ではないので、注意が必要。
オマケも込みで、この評価としておきます。