ジェイソン・ボーン : 映画評論・批評
2016年10月4日更新
2016年10月7日よりTOHOシネマズスカラ座ほかにてロードショー
妥協を許さぬ黄金タッグが、圧倒的な臨場感の中で放つ渾身の一撃
“ボーン”3部作が映画界に遺したものは大きい。このシリーズはアクション映画が単なる絵空事ではなく、描き方次第で現実世界に肉薄できることを教えてくれた。マット・デイモンは続編の可能性について「グリーングラス監督なしには絶対にありえない」と語ってきたが、あれから約10年、彼らはおもむろに持ち場につき、遂に念願のミッションを始動させることとなった。
我々が待ち続けた10年は、世界のどこかに身を潜めるジェイソン・ボーンの10年でもある。「ボーン・アルティメイタム」(07)のラストから今日この日まで、きっとボーンは一瞬の安らぎすら得ることなく生きてきたのだろう。その表情は複雑さを増し、自らの肉体を痛めつけることでギリギリの精神状態を保っているようにも見える。そんな矢先、彼の目の前に一人の女性が現れたことで、運命の歯車が回り始めるのだが————。
端的に言うと本作は、かつて彼がCIAの暗殺者養成プログラム“トレッドストーン”に自ら志願した理由を解き明かす物語だ。そして今回もさすがグリーングラス、すっかり様変わりした世情を織り交ぜ、またも観客を“状況”の只中へと突き落とす。とりわけ序盤に描かれるアテネの抗議デモのシークエンスは「ブラディ・サンデー」(02)を彷彿させる臨場感で、そのままボーンの内面に巻き起こる感情のせめぎ合いを投影しているかのようにも思える。
対するCIA側もスノーデン事件以降の激変ぶりが見て取れ、そこに分析官として登場するアリシア・ヴィキャンデルの存在が新たな価値観、倫理、意志のあり方を突きつける。微塵の笑顔も見せないそのストイックさはボーンに匹敵するほど鮮烈だ。さらにCIA長官を演じるトミー・リー・ジョーンズの一筋縄ではいかない無骨さにも久々にゾクゾクさせられっぱなし。
三者三様のぶつかり合いを描きつつ、すべての点と線はベルリン、ロンドンを経て、眠らない街ラスベガスへと向かう。影の世界にうごめくボーンと煌びやかな街並みというまるで正反対の要素の掛け合わせにも驚かされるが、もっと仰天するのはそこで巻き起こる豪放なアクションだ。シリーズの常識を覆すこのボルテージ、筆者の目にはある意味、ボーンの復活を祝福するボーナス・ステージのように映ったほどである。
かくもあらゆる瞬間にほとばしる濃厚なケミストリーをそのままの熱量で封じ込めた本作。やはり彼らはやってくれた。妥協を許さぬ監督と主演のコンビだからこそ成し得たこの渾身の一撃を、ぜひスクリーンの臨場感に飲み込まれながらリアルに体感してほしい。
(牛津厚信)