ダゲレオタイプの女のレビュー・感想・評価
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静謐な中、不意に出現する歪さ
映像の世界に国境など存在しない。わかりきったはずのその言葉を改めてぐっと噛み締めた。とりわけ黒沢印ともいうべき窓辺のほのかな明かり、揺らぐカーテンの彼岸性はどうだ。あの映像を受けて全身の体毛が逆立ち背筋がぞぞっとくるような感触を、フランス人も同じく抱くものであってほしいと願うばかりだ。
本作の真価など、ダゲレオタイプの写真のごとく歴史が証明すればそれで良い。もちろん初の海外進出ゆえに課題も残ったはず。展開は回りくどく、役者陣の演技はもどかしい。転がる薬瓶。唐突な転落———。だが一方で、黒沢の残した確かな爪痕もたくさん見受けられた。何よりも時空と生死の境を貫く不可思議な映画装置を出現させることに成功しているし、あれほど歪な空気、暗闇に浮かぶ蒼を創出できる人は、世界中探してもそうそういない。異国の地で黒沢清パビリオンを体感したような感覚。ヒリヒリする幻をまるで白昼夢のごとく楽しんだ。
黒沢清監督の円熟を感じさせる
黒沢清監督にとって初の海外作品ながら、意外なほど地に足が着いている。「日本人がフランスで映画を撮る!」という気負いがないように感じられるし、予備知識なしで観たら外国人の監督が作った外国映画だと思うだろう。
テーマは監督得意の幽霊ものだが、フランス郊外の古い屋敷が雰囲気ぴったり。音楽も情感があってしっくりとなじむ。
俳優たちの演技は基本的に抑制が効いている。折に触れ強い感情が表出するが、人物の熱量が上がったようには見えない。まるで死者に体温を奪われたかのように。
愛と芸術の「分かちがたさ」と「相いれなさ」という矛盾を抱えた関係は切なく、映画づくりにも通じる。
黒沢監督の円熟を感じさせる一本だ。
黒沢清が誘なう愛が行き着く先の物悲しい原野
愛する者を長時間拘束し続けるサディスティックな撮影方法に固執するカメラマン、そして、それに関わった人々が、生死の狭間すらあやふやな空間を形作っている。その間、映画は日常と非日常が織りなす、時に突発的な恐怖を観客に与えつつ、やがて、愛が行き着く先にある、あまりにも物悲しい原野へと突き進んでいく。日常の中に潜む恐怖の本質を丹念に掘り起こす生真面目さ、そして、恐怖を異次元へ転化させる洗練された感性は、どちらも紛れもない日本人気質。だからこれは、資本や配役や言語に関係なく、黒沢清の個性と立ち位置が際立つ文字通りの"黒沢映画"なのだ。
☆☆☆★★★ ※ 簡単なメモで 正直、前半1時間余りは少々たるい。...
☆☆☆★★★
※ 簡単なメモで
正直、前半1時間余りは少々たるい。だがそこを乗り越えた後半はワクワク感が止まらない。
まさに黒沢清節が炸裂する。
但し、大きな問題点として。高尚過ぎるのがまた何とももどかしい。
出来れば、『叫』等で垣間見せたいい加減さも期待していたんですけどね〜(^_^;)
2016年11月11日 シネマカリテ/シアター2
傑作ホラー
黒沢監督らしいホラー。ホラーの演出が地味ながら非常に濃厚でいい味が出てると思う。おそらく階段で落ちて病院に移動中に川でステファンが自殺してそれ以降は幻影だろうけど、あんまり特に怖い印象ではなく、地味にとても良かった。
等身大銀板写真に取り憑く女
フランス映画で黒沢清ホラー
さすがにちぃと長いのとステファンの演技力に難
マリーの華奢な身体と左右に細かく震える眼球はハマり役
筋弛緩剤がでてきてははんと。
教会で下手な約束しなければ、というオチ
フランスでの「怪談」
現時点での黒沢清の最高傑作ではないだろうか。
この人の映画は、いくつになっても学生映画のような映画が多く、妙な幼さを感じていたのだが、「トウキョウソナタ」あたりから、少し吹っ切れたようなキレを感じられるようになったと思う。
本作は、紛れもなく純粋にホラーであり、それもフランスの背景を持った「怪談」である。ヨーロッパの風景に落とされた「累が淵」であり、「牡丹灯篭」である。
特に黒沢の真骨頂である、「鏡」、「階段」、「後ろ」といった、美しくも恐怖のアングルの切り取りが冴えわたっている。
また、サスペンスも重厚で、芸術家のエゴ、野心を持った若者のエゴ・・といったリアルなところに、美しい怨霊が被さるのは、観ていてゾクゾクした。
正直退屈してしまったなぁ。
生者と死者のハザマを描いたいつものテーマで、死者と普通に暮らすのは岸辺の旅と似てる。
黒澤監督の世界観とか雰囲気ってフランスというか海外の映画とあってるんだろうなぁという気はする。
哲学的なセリフやくさいセリフも日本人が言うより違和感なく。
ダゲレオタイプへの執着と幽霊の家への執着がリンクしてるのかな?
難しかったです。
女が階段から堕ちる時
映画史上、女優さんを一番美しく撮ったのは溝口健二監督だろうか。私が好きなのは『祇園囃子』。木暮実千代の着物からチラっと見えるうなじと足首。妖艶で、それいでいて冒しがたい聖域にいる。
黒沢清氏が溝口健二に並ぶとは言わない(そりゃ誉めすぎだろう)。だが『ダゲレオタイプの女』には、まるで古い邦画から抜け出てきたような、しとやかな美しさがある。主演女優コンスタンス・ルソーはフランス人だが、どこか日本的な秘められた美しさがある。彼女の青いドレスからのぞく首筋、拘束器に囚われるときのため息。妖艶なのに聖域にいる。
コンスタンス・ルソー、大学では映画を学び卒論は黒沢清監督についてだったそうだ。監督の意図を忠実に汲める女優さんだったのではなかろうか。『ダゲレオタイプの女』は古い邦画の雰囲気があり、日本の怪談のようでもあり。それを再現したのが若いフランス人だったことが興味深い。時代や場所をワープする、それが映画なのかもしれない。
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女は階段から落ちて幽霊になった。異界の者となった。
天から落ちた異界の者。日本にはそんな昔噺が沢山残っている。「羽衣伝説」や「かぐや姫」など。異界の女を手に入れようと、地上の男はやっきになるが、果たしてそれは幸せか。だって、異界だよ、恐くないのか気味悪くないのか?手に余ると思うけどなあ、子どもの頃ずっとそう思ってた。
この映画には幽霊に囚われる男が二人でてくるが。聖域にいるはずの女が堕ちてきたら、男たちはどうなるのか。喜ぶのか、愛するのか、恐れるのか、狂うのか、逃げるのか、ただ受け入れるのか。
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主演のタハール・ラヒム(『預言者』『パリ、ただよう花』など)の大ファンなんで観に行った。割と荒々しい役が多い人だと思う。本作はなんつうか、お坊ちゃんみたいな役でタハール・ラヒムらしくないなあと、もっと情熱的に撮ってくれと中盤まで思っていたが、ラストシーン良かった。幽霊なことに気づいているのかいないのか、図太いのか鈍感なだけなのか狂ってるだけなのか。
それらすべてひっくるめて「愛あればこそ」みたいなところに昇華させてるような気もする。それでこそのタハール・ラヒム。
黒沢監督の『岸辺の旅』『クリーピー』そして本作、ホラーというよりもラブストーリーに重心が置かれているようにも思える。
相手が死んでいようが、自分が死んでいようが、相手も自分もクリーピーだろうが、それでも、男を愛する女というのは、崇高でもあり、どこかしら怖い存在でもあり、やっぱりホラーだなあとも思う。
黒沢監督の次作『散歩する侵略者』もLOVE重視なのかなあ。原作の前川知大さん好きなんだよなあ。楽しみだなあ。
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追記:
「相手が生きているのか判らない怪奇な設定」を受け入れられるかと監督に問われたタハール・ラヒムは、『聖闘士星矢』にも似たような設定があったから大丈夫と答えたそうな。溝口の『雨月物語』とかではなく漫画アニメで答えるあたりがイマドキだなあとも思う。
此処と彼岸の境界
主人公ジャンは世界最古の写真撮影法ダゲレオタイプの写真家ステファンの助手になり、彼の娘でモデルのマリーと恋仲になる。長時間モデルの身体を拘束する撮影から、ジャンはマリーを救おうとするが……。
黒澤清監督の、観る者を不安にするカメラワーク、此処と彼岸の境界を暗示する構図やショットなど、黒澤清監督の映像世界が存分に発揮された作品だった。どこからが現実でどこからが幻か、永遠と一瞬、生と死、主観と現実の曖昧さに、ずっと不安になりながら観た。
最後が分かりやすすぎたのがちと残念…。
この前観た黒澤清監督の『クリーピー 偽りの隣人』も、ダゲレオタイプの女も、どちらも主題は好きなのだが、最後が明快すぎて、監督の持ち味の後味の悪さが足りなかったのが、個人的には不満だった。
マリーの眼球の揺れが 気になったな... ここ最近の 岸辺の旅 ク...
マリーの眼球の揺れが
気になったな...
ここ最近の
岸辺の旅
クリーピーみたいに
お題は面白そうだし
期待して見ていくと
前半はなかなか良いんだけど
やっぱ
後半にかけてつまんなくなって
イマイチ感が否めない〜
映像は嫌いじゃないんだけど...
ダゲレオタイプってのも
後半関係なくなってるし(笑)
ダゲレオタイプ、ワキ役。
ダゲレオタイプばかりが宣伝されているから昔のお話かと思いきや…現代の話でした。ダゲレオタイプ、ほぼ活躍してないし。オープニングの電車のシーンから、あれ?って思ったけど全編こんな感じ。
まあ、内容は分からなくもないが結局は欲と自己愛の成れの果て…よく聞く話の様な…。
正直、眠気に負けるかと思った。
ダゲレオタイプ
ダゲレオタイプの写真に尽きる!!
が、それ程出てこないのが残念。
何故、モデルが妻からマリーに移った経緯が知りたい。
ダゲレオタイプでのモデルの苦しみの表現が不十分ではと
後半は謎解きがあるのかと思いきや・・・
思い込みばかりで今一つでした。
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