リメンバー・ミーのレビュー・感想・評価
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ちょっと飽きる(笑)
後半にかけグダグダで眠かったです(笑)
ミゲルくんの歌声が凄くキレイで聞き入っちゃいました
でもヘクター役の藤木直人 お前はだめだ(笑)
なんか軽くて気持ちが入ってなくて私の方がうまくできるんじゃないかと思うくらい下手に感じました....
老いに染みる感動
音楽禁止の家系に育った音楽を愛する12歳の少年ミゲルが死者の国にさまよい込み、そこで出会ったお調子者の骸骨ヘクターと共に自身の先祖で偉大な音楽家エルネストデラクルスに出会う冒険へ旅立つ姿を描いた作品。
グレイテストショーマン旋風吹き荒れる2018年の第90回アカデミー賞においてあの「This Is Me」を抑え、見事歌曲賞と長編アニメ映画賞に輝いた作品。
極彩色の風景描写で死者の国をポップでファニーな世界観で表現し、ミゲルとヘクターや家族の真の関係、音楽禁止となってしまったリヴェラ家の切ない過去などの伏線をテンポよく回収する展開でかなりの良作な印象。
終始ポンコツ扱いだったダンテが終盤大活躍だったのに涙腺が崩壊しました。
ただ家族が多すぎて全く覚えられなかった笑。
気持ち穏やかになる映画
現世と死後がシステム化されていて面白い
<死者の日>
・日本の「お盆」の様な、「死者の日」に先祖が現世に帰る日があり、それが舞台となっている。
・「死者の日」には仏壇へのお供えや、花びらを敷いて先祖が帰る道しるべを作る。(これもお盆に似ている)
<死後の世界でのシステム>
・死者の日には死後の世界と現世を繋ぐ「花びらの橋」ができる。
・現世に戻るには、現世のどこかの祭壇に生前の写真が飾られている必要がある。
・死後の世界にも更に「死」がある。死後の世界で生きるには、現世の誰かの記憶にその人の生前の記憶が残されている必要があり、誰の記憶からも無くなった瞬間に、死後の世界からも消え去ってしまう。
ホネホネロック
ご先祖さんが「死者の日」に家に帰ってこれるよう、写真を飾り、花道を作り。死者への考え方って、宗教によって違うけど。これって、日本のお盆と共通する!。だからかすんなりストーリに入っていきました。
お盆行事の最中に、ミゲルがアクシデントで黄泉の国に迷い込み。
歌い手だった「ひいひいじいちゃん」を探す過程での、ご先祖さんを巻き込んでの上へ下への大騒ぎ。
昭和世代には「あ、ホネホネロック!」とつぶやくこと間違いなし。
それがみんなキュートに描かれているのが、とてもいい。ホネホネなのに(笑)。色彩も実に豊かで見惚れます。
写真もなく殻られることなく、人々の記憶からも忘れられた死者は。黄泉の国からも消えてしまう。切ないなあ。
ストーリー展開も、予測を思いっきり飛び越えて。
気付いたらホロリ涙してました。ソウキタノネ。
音楽はいつの時代にも、人々の心の中にあり。それを聞くことでその時を思い出す。
オスカー受賞も納得の1作でした。
そして今度のお盆には。
なすときゅうりの「精霊馬」を作り、写真を飾って。亡き母を迎え入れたいです。
映像美
死者の国の綺麗な事!✨死後の世界がすご〜く楽しそうに描かれていて特に出入国のシステムが面白い。ただ生者の国で忘れられた本当の死は切ないけど、思った以上に良作でした。ボーダーラインの様なメキシコの麻薬カルテルのイメージを覆す作品でした。
家族と自分の関係を見つめ直す旅
夢があっても家族のしがらみから抜け出せずに人生を送ってきた人にこそ観て欲しい作品。
特にミゲルが死者の国で出会うヘクターという一風変わった人物とのやり取りはなんとも温かい気持ちになり、音楽の素晴らしさを余す所なく表現していた。
特に字幕で観た方が、歌詞が分かりやすいためオススメ。
ラストシーンは感涙間違いない。
納得のアカデミー作品!
🇲🇽メキシコの"💀死者の日"がストーリーの要で、これまでは、単なる楽しいお祭りだと思っていたが、🇯🇵お盆と同じように亡くなった先祖を偲ぶ行事が国が変わるとこうも違うのだと感じつつ、先祖に対して哀しみ偲ぶのではなく、あくまで明るく祝うという逆の考え方に感心しつつ感動してしまいました。
そして、🎬では、"💀死後の世界"が存在していて、生きている人たちの中に故人の思い出が残っていれば存在し続けるという設定にも感動し、思わずこれまでに亡くなった人たちを思い出して😢涙しました。
家族や故人を大切にしている人は😭号泣必至。
そうでない人は、きっかけになる🎬ですよ。
ヒッチコッキー
世界のトップを走るアニメーションのディズニーは映画という業界でもトップを走っている。
アニメーション映画というのは、技術的にいうと映画の要素を全てコントロールできる。撮影に然り、演出に然り、美術に然り、コンピューターの中で全てを作り出すことができる。現在の技術では数億個のパラメーターを調整し、3D世界を作ることができてしまうので、時間と労力はかかるにしても、監督が頭に描いたものを100%近く表現することが可能になっている。
それゆえ、今作品で気付いたのは、映画言語として歴史が作り上げてきた技術をアニメーション映画だとしても映画として使われているということ。
ヒッチコック①
映画界最大の偉人、ヒッチコックが築き上げた、カメラを通して映画を取るという技術がディズニー・ピクサー映画には使われている。映画を見進めていく上で、「あー、あのときのあれか!」って思うことがディズニー・ピクサー映画には多くある気がしませんか?
例えば本作でいうと、ミゲルが映画の音楽に合わせて歌うところだとか、小さなところでいうと、花火の音で扉を開けるところとか、靴のサイズでミゲルを見つけるところとか。気付きにくいところでも、ヘクターの歯の色とギターの模様だったり。ほとんどのすとーりーを前進させる要素がこのように前後でつながっています。それを頭で考えることは、それほど難しくありませんが、それを映像を通して、さらには音を通して視聴者に伝えるということ。しかも、それをただ、だだっ広げにするのではなく、頭の隅に残る程度の情報量を与えるということがヒッチコックの技術。色々な要素をコントロールできるという利点を使って、それらを成し遂げているところはさすが。映画に大切な謎解きの要素。
ヒッチコック②
ヒッチコックが天才と評されるのには、もっと深い理由があります。視聴者全員が意識の中に気づけなくても無意識的にその情報やトーンを吸収させるレベルで、テーマやアイロニーを隠すという手法。芸術っぽさですね。
今作のわかりやすいところでいうと、「チョリソー」。ある老人からギターを借りるときにチョリソーを飲むシーンがありますが、そのシーンは、飲み干され逆に置かれたグラスと、飲まずに残されたチョリソーが2秒ほど映されて終わります。そこで何人かの人は「あれ?」ってなりませんでしたか?前との繋がりでは、ヘクターがチョリソーで窒息死したと馬鹿にされるところと繋がり、後にはミゲルのターニングポイントと大きく繋がります。しかし、飲み干されたチョリソーと飲まれていないチョリソー、空でひっくり返されたグラスと飲まずに残っているグラスからは、もう少し感じ取ることができます。
大きく言って、生と死だったり、人間と骸骨(スケルトン)だったり。そこからさらに、ヘクターが抱える秘密を隠すかのような、逆向きのグラス。メキシコの文化を象徴するような儀式。自分が毒死したチョリソーを躊躇なく飲むヘクターのキャラクター。などなど、読み取れることはたくさんあります。さらには読み取るだけの時間もしっかりと与えてくれます。それだけ細かいところにこだわることができるのが、ディズニー・ピクサー。大人になって観ても大きな何かを感じ取ることができます。
観終わって思ったのですが、”千と千尋の神隠し”に似ていませんか?でも、どう観ても、文学的にも、アニメーションとしても、映画としても、ジブリの方が優れているように感じるのは私だけでしょうか?
さて、次の作品は、どうなるんでしょうか。楽しみです!
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