「無駄に長いシリーズ随一の駄作」スター・ウォーズ 最後のジェダイ 曽羅密さんの映画レビュー(感想・評価)
無駄に長いシリーズ随一の駄作
筆者は小学生の時に『スター・ウォーズ ジェダイの復讐』を映画館で観ている。
(邦題はその後ビデオ化などの際に、正しい邦訳の「ジェダイの帰還」に変更され現在はこちらに統一されているが、筆者が観た当時は「ジェダイの復讐」であった)
スター・ウォーズの世界観は好きだが、正直な話小学生ながらに子ども騙しの映画だと思った。
当時は戦いでバタバタ死んでいく人の良さそうなイォークを可哀想に思ったものである。
(本作にも知性のないイォーク劣化版みたいなポーグという鳥?が登場している)
その後21世紀間近の1999年からエピソード1が始まり、筆者はむしろこの新シリーズにスター・ウォーズの奥深さを見出した。
さて2015年からエピソード7に当たる「フォースの覚醒」が始まったわけだが、新シリーズのあの人間ドラマはどこへやらといった浅いSFドラマが展開されるのにビックリした。
日本では黒澤明作品の『隠し砦の三悪人』のキャラクターがC3POやR2-D2の元になったとか、ジェダイは時代劇の「時代」から来ているとか、そこばかりが取り上げらる。
たしかにチューバッカの名称も大馬鹿よりましの「中馬鹿」から来ているし、オビ=ワン・ケノービも「帯ONE、黒帯」らしいが、日本由来はコスチュームなどのデザインやキャラクターに関してだけである。
むしろその世界観に影響を与えているのはジョーゼフ・キャンベルという神話学者の唱えた理論である。
筆者も彼の著作になる『千の顔を持つ英雄』や『神話の力』『生きるよすがとしての神話』を読んだが、古今東西の神話の共通点や構造が分かり易くひも解かれていて大変面白い。
これら著作を読んだ上で改めて「スター・ウォーズ」シリーズを見直すと、なるほどいかに影響を受けたか、神話性を織り込んでいるのかがわかる。
少年が旅立ち、新しい経験を積んでそれを持ち帰って一族に栄光や恩恵をもたらすこと、また父の存在を超えるために父殺しをすること、この大きな2つのテーマが様々な神話に共通しているらしい。
師弟や父子の葛藤はこの作品の大きなテーマであり、旧シリーズのルークが修行をしてジェダイ=英雄となって帰還するのはまさにこのテーマを踏襲している。
ただしルークはアナキンことダース・ベイダーに止めを刺さなかったので、キャンベルは「完全な神話でなくなったのが惜しい」と残念がったようだ。
エピソード1〜3の新シリーズはアナキンが闇落ちしてダース・ベイターになるまでを描いているので神話の2大要素から遠ざかるかと思えば、実は2つの要素を上手く消化できないことで闇落ちしたと取れなくもない。
オビ=ワンをはじめヨーダやメイス・ウィドウなどの歴戦のジェダイ・マスターたちがごろごろいるジェダイ評議会では、いくらアナキンが手柄を立てて帰還してもさっぱり褒められないし、元々実父のいないアナキンには父殺しは無理であり、母の酷死を機に闇落ちが始まってしまう。
アナキンはダース・ベイダーとなる一歩手前で父と仰ぐオビ=ワンを殺そうとするが、当のオビ=ワンからは息子ではなく弟と思われていたショックからか敗れてしまう始末である。
エピソード1〜3は神話性のアンチテーゼとも取れるし、エピソード1〜6までを通して見れば壮大な神話が完結するので問題ないとも言える。
ルーカスの構想ではスター・ウォーズはそもそもスカイウォーカーの物語らしいから、「フォースの覚醒」が封切られる前はエピソード7〜9がどのように展開していくのかとても興味があった。
実際カイロ・レンはレイア姫とハン・ソロの息子であるベン・ソロであり、スカイウォーカーの血を継いでいる。
おまけに形だけはハン・ソロを殺すことで父殺しまで果たしている。
問題は主役のレイで、ルークの子どもである選択肢はないとは思ったものの、アナキンの生まれ変わりなどどのようにスカイウォーカーと結びついてくるのか興味があったが、今のところ本作で明かされた真実は金のために両親に売られた単なる一般人らしい。
おいおい!
もちろん次のエピソード9でなんらかの血筋であることが明かされる可能性はあるが、本作の展開から全くその予感はしない。
またエピソード10以降も制作していくことが決定したらしいが、これ以降スカイウォーカーの血筋の物語にするには闇から帰還したベンとレイが結婚して子どもができるとか何らかの形でベンの子孫を残さないと苦しい。
それに既にベン自体がハン・ソロの息子なので、スカイウォーカー家の男系男子ではない。
子孫を残さずにベンが死んだ時点でスカイウォーカーの血は途絶える。
また血にこだわらないなら現在姓のないレイが「スカイウォーカー」の姓を名乗ることも考えられる。
いずれにしても「フォースの覚醒」と本作を観て大分神話性が薄れた印象しかない。
今のままエピソードを重ねてもただダラダラ展開するだけでつまらない単なるSFシリーズになっていくのは必定である。
新シリーズの展開に全く関与していないルーカスが「フォースの覚醒」を一時期つまらないと言っていたが、本作でその流れはさらに加速したのかもしれない。
神話には人種平等とか男女平等とか現代的なテーマは全くそぐわない。
むしろそれらを取り入れると神話は崩れる。
またファースト・オーダーはあれだけの大艦隊を用意しているにもかかわらず、ローラ・ダーン扮するホルドの捨て身ワープ攻撃の前に全滅するとかどれだけ間抜けなのかと突っ込みを入れたくなる。
あまりにもレジスタンスに都合良く戦局が展開しすぎる。
とにかく兵法を一切無視した戦術を取り続けて超が付くくらいの寡兵に敗れるファースト・オーダーは本当に銀河帝国を受け継ぐ覇者なのかと疑うくらいのポンコツ集団であった。
また宇宙に飛び出て生還するレイアにさすがはスカイウォーカーの血筋だ!と感心している場合ではない。
なぜあれほど他はバリアーで防いでいるのにバリアーが艦橋に効かないのか?
接近されたから?もっともらしい理由だが、レジスタンスも負けず劣らずの無能の集まりである。
ベンに殺されるスノークも首領のくせに相当な小物であったことが判明する。
せめてベンとレイの共闘に殺されるとか、何かなかったのだろうか?
最後のルークとベンとの闘いも今までの師殺しを意識しすぎたせいかホログラム化したルークが闘っている。しかも気力を使い果たしたのかルークが突然千の風になって死んでしまうなど理解に苦しむ。
どうせヨーダよろしく幽霊になってレイを訓練するなど次作も登場するのは目に見えているし、ベンに言った「また会おう」は幽霊になってなのだろう。
前作「フォースの覚醒」は今までの焼き直しと揶揄されたものだが、本作は見せ場を作るためにご都合主義が横行し、逆にシリーズの予定調和を壊そうとし過ぎて返って物語を壊してしまったとしか思えない。
このような酷い内容で無駄に長い150分は単なる拷問である。
3DCGが当たり前になってしまった現在、映像の綺麗さとか視覚的に真新しい要素は全くゼロに等しい。
むしろスノークにCG然としたカクカクと微妙な動きを感じる時すらあった。
一部IMAX上映劇場ではIMAX撮影箇所で上下に画面に広がるらしいが、だからどうした!映画は中味だろう!
とにかくあまりに酷い駄作っぷりにあくびの出る映画であった。
これだけグチャグチャにぶっ壊れた展開をいかに決着させるのか違う意味で次作のエピソード9が楽しみである。