「箍(たが)の外れた仮想現実」レディ・プレイヤー1 ピラルクさんの映画レビュー(感想・評価)
箍(たが)の外れた仮想現実
仮想現実はなんでもありの世界だ。過去作品で何度もみてきた。しかし、これまでの仮想現実というのは、現実界に対置された仮想現実であって、両の世界には主題が君臨していた。ストーリーの法により仮想界は思いのほか自由を奪われていたのではなかろうか。
主題をなきに等しいほど稀薄にし、ストーリーの法を無力化させたらどうなるか。仮想現実は自由奔放の野放しになり製作陣のやりたい放題に。仮想現実の仮想現実っぷり炸裂、である。
『レディ・プレイヤーワン』はこの極みを狙った作品だといえる。主題とストーリーを犠牲にして仮想現実の箍を外した。さらにはゲームゆずりのダイナミックな仮想界を描いてパンチを利かせて。
ということで、思いのままにできる映像造りの観賞である。世界の巨匠が真白なキャンバスに何を描くか。
で、アベンジャーズの比ではないチャンポン世界で、パロディ・オマージュの百裂拳を浴びるのだが、正直いうと後半はちょっと食傷気味であった。トレードオフだから仕方ないと弁えつつも、主題やストーリーの軽さについていけなくなった。ただこれは私の年齢によるものだろう。映像の冴えより主題と共鳴する感動を求めてしまう老人の域に入ってしまったようだ。
多分に上っ面(映像)のみを楽しむ作品だったと思うが、観賞を終えて総合的なところで、ひとつの深い思索にとらわれた。
そもそも映画を観ることは、ひとつの仮想現実にジャンプインしている。そのなかで仮想現実が描かれて、さらに映画の『シャイニング』が出てきた。それはリアルの記憶と結びつきつつも仮想に撓んだ異常な『シャイニング』となった。合わせ鏡の中に拡がった無限の仮想現実に、私の現実までもが混入し、地に足着かなくなった感があった(前の席を蹴ったのではない)。
映画が仮想現実を主題として扱ったなら、空恐ろしい表現の可能性があるなと思った。その点でエポックメイキングな作品だ。