ダンケルクのレビュー・感想・評価
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当時の戦わなければならない過酷な時代
感想を書くのが難しいです。。
他の人を見捨てず守りながら国に帰ることをただひたすら願う者。
戦って取り残されている兵士達を迎えに行くために船でひたすら危険な地ダンケルクへ向かう者。
戦闘機で守るために攻防しながら打ち落としひたすら最後まで戦う者。
どの立場の者も必死で決して諦めない姿は胸が締め付けられます。
たくさんの故国の船を見たときは歓喜で涙し、列車で戻った時も国民の反応に涙しました。
でも、「降伏しない、戦い続ける」と言う言葉には、賛成できませんでした。
日本は白旗を掲げ、敗けを認めたところから平和になったことを考えると、違うかな、と思いました。(恥ずかしながら、戦争のことはほぼ知識がないに等しいです)
過去の事なので、その当時の思いで描かれている言葉であるのはもちろん理解していますが…犠牲になった人がたくさんいて、「こんな辛いことは嫌だ、もうやめよう」とはその時点で思わなかったのだろうか…と感じたので・・(簡単でないことは承知で発言してます)。
うーん、、やっぱり感想難しいですね!
言葉が乏しくて上手く伝えられません。。
すみません。。
うーん、IMAXですか。
IMAXのデモンストレーション映画?
戦況や、英仏の関係についての説明どころか、登場人物の背景説明はほとんどなく、IMAXの画面効果によって、砂浜、海、空で一人ひとりが感じたこと(特に閉塞状況の恐怖)を表現しようとしたものと思われる。
私はIMAXではなくごくごく普通の画面で見たためその映像効果について云々することはできない。
だが、機上の人と船内に閉じ込められた人との間で時間の感覚が違うとはいえ、同じ地理的なエリアを描いた映画の中で流れる時間があまりにも食い違っていると、頭が混乱しついていけなくなる。
特にひどいと感じたのは編集。連続した場面なのに快晴下の輝く海面と曇天下の荒れた海面のカットが頻繁に切り替わる。
天候の変化が、大規模な撮影に味方しなかったのか。なぜこのちぐはぐなのが平気なのか、理解に苦しむ。
題材をダイナモ作戦から借りてきた、IMAXのデモンストレーション映画ではないかと感じた。
視点の違いが「時間」を生む
2020年8月2日追記
★現在形の視点が目撃した客体が、別の視点の主体であるという気づきが発生することで、「時間」の考え方がうまれる。それは「同時性」や「事象の前後関係(発生順序)」だ。
すべてを現在形として語りながら、視点の違いに気づかせることで、回想という形式を用いずに時間の前後関係を整理させようとした。
出来るだけ人間の原(現)体験をそのまま映像にしながら、時間の経過を観客の中に生み出そうとした
オモテ(表面的なこと=映像)
裏(私たちの中で起こること)
オモテの楽しみ方→アクション、現在起こっている危機に対処すること
裏の楽しみ方→現在形で提示された映像を整序すること
★他人事(と自分ごと)
過去のことを回想としてではなく現在形で語る
視点の違いに登場する時、「過去」という着想が生まれる
現在形で提示された事ごとのあいだに前後関係を見出し、過去と現在の関係を正しく見出すこと
・・・
ダンケルクという映画を構成するのは、「陸」「海」「空」の3つの主観だ。
「陸」「海」「空」それぞれの視点の持ち主である主人公どうしは、基本的にはそれぞれ異なる場所にいるけれども、しばし同じ場所・時間を共有し、助けたり、助けられたりという相互作用(この「相互作用」が命のやり取りに限定されている点が、「単に生存すること」をテーマに、余分なものを切り詰めて『ダンケルク』が作られたことを分からせてくれる。)を及ぼしあう。
ここで大事なのは、命の相互作用をし合う人々は、赤の他人どうしのまま映画が終わるということ。そして、「主人公たちが同じ時間・同じ場所を共有している」という我々の判断は、あくまで主人公たちの主観を通して行われるのであり、俯瞰的な映像を通してではない、ということだ。
娯楽映画に対して観客が期待するのは、様々にすぐれた能力を持った人間が、知り合い、仲間意識を持って共闘することだ。顔を合わせ、言葉を交わし、自己紹介をし会った登場人物たちは、共闘を深めるにつれて互いを知り合い、話題はしばしば彼らの過去に及ぶ。
そこには登場人物の過去という設定があり、設定に従って、登場人物たちの行動が帰結する。これは過去のノーラン作品の全てのストーリー作りのやり方である。
特に『インセプション』『インターステラー』において、「帰りたい」「我が子に会いたい」という動機からシンプルに「だからミッションを達成する」という登場人物の動機を単純に帰結するというやり方が明確になった。
『ダンケルク』にはそれがない。誰もが生存したいと願う。生存したいと願えば、みなやることは同じだ。だから登場人物には、過去の設定の必要がない。みな無個性に捨象されている。ダンケルクは、『プライベート・ライアン』のような、能力と過去によって兵士たちがキャラ付けされた部隊のロードムービーではない。
わずかに「ムーンストーン号」の船長には、「戦争で息子を亡くした」「だから若者を助けるんだ」という動機があると示唆される程度だ。
「過去を設定するかどうか」を変えることで、登場人物の知り合い・共闘の有無が変わる。これはノーランが『インセプション』で我々に見せたのとは異なる。3つのミッションがありそれぞれに主人公がいる点は共通している。それぞれ平等に上映時間が割り当てられているけれど、「実際」の時間の長さは異なるという点も、共通している。けれど3つのミッションがより大きな1つの目的の達成のもとで統合されるかどうかは異なっている。ダンケルクにおいては、3つのミッションを統合するより大きな目的はなく、それぞれがそれぞれの目的に向かい、個人で動いている。
この「統合の不在」が、観客の期待にそぐうものではないという場合もありえる。特に映画に娯楽を、派手さ、豪快さを求める観客にとっては。しかし戦争というのはそういうものだ。現実の経験というのはそういうものだ。人々は互いの過去を深く知り合うことがないし、少人数の戦闘力で反撃に出て大逆転が起こることもない。『イングロリアス・バスターズ』のような少数精鋭部隊による戦局の大転換は存在しない。サッカーの試合のテレビ中継の視界を、芝生に立つ当のプレイヤーたちが持つことはない。
我々は「陸」「海」「空」の各主人公が、どのような順序でイベントを経験し、どのイベントにおいて他の主人公と同じ場所・時間を共有したか,1つのt-xグラフに表すことができる。しかしそのような俯瞰的な図は、映画の中で示されるものではない。
映画の中で示されるのは、あくまで主観のみである。 劇中で主観が提示される順序は、そのような主観が実際に体験されたであろう順序-ニュートン力学的絶対時間における順序-とは異なる。したがって観客は、このような俯瞰図を作成するにあたって、まず異なる複数の主観による複数の報告が実は共通の同じ事象についての報告であると確認する「同定」作業を行わなければいけないし、また実際とは異なる順序で提示される複数の事象を、発生順に並べ替える「整序」作業を行わなければならない。
これまでのノーラン作品の中でも特に『プレステージ』は、整序作業が観客に要求される映画だった。『バットマン・ビギンズ』も、前半部は過去と現在を交互に行き来する作品だった。だが同定作業は要求されなかったように思う。新たに同定作業(同定作業にかんしては、ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の得意であるように思う。『灼熱の魂』に始まり、『プリズナーズ』『複製された男』『メッセージ』『ブレードランナー2049』のいずれもが、同定に関する映画であった。)を要求した点が、『ダンケルク』の持つ新規性ではないか。
これらの主観は、いわばある事件の目撃証言である。観客はいわば事件を捜査する刑事であり、刑事の仕事は、複数の目撃証言から、事件を、1つの無矛盾な物語として語ることだ。この点において、ダンケルクは戦争映画でありながらじゅうぶんにミステリ映画でもある。
普通のミステリであれば、この作業を行うのは劇中の登場人物である刑事、探偵、教授、医者であったりするのだが、ノーランはこの作業を観客に行わせる。この映画は物語というよりも、物語を作る素材なのだ。
このような同定-整序作業を、巻き戻しの効かない映画館の上映中にやらせるというのは観客は認知能力を試されるし、観客をテストするような作品の製作-上映の承諾を映画会社から取り付けてくるところにはノーラン監督の持つ知名度、宣伝効果が見込まれているのだろう。
俯瞰的映像を減らし、視界の狭い主観的映像を多用したのには別の効果もある。それは閉塞感の表現であり、また戦争において兵士が大局観を得ることのできないことの強調だ。
前者を利用した映画としてはネメシュ・ラースロー監督『サウルの息子』を挙げたい。
クリストファーノーランはおもしろいなあ。 戦争モノはカッコ良くする...
タイトルなし
団結はすごいね
人間礼賛
緊張と解放のコントラストによる、ラスト20分のカタルシス...何度見ても溜息が出るほど素晴らしい。
冒頭から、爆音で響き渡る銃声、爆発音、悲鳴...
キャラクターの視覚、聴覚をシンクロさせることにより臨場感を演出し、途轍もない緊張感を持たせている。
随所で心臓の鼓動がバックグラウンドで響いているのも、我々にストレスを与えている。
同一状況における、時間的スケールの違う3場面を、1つに結びあげる構成も新しい。我々は、その精神的持ち様に従って体感時間は変化する。ある者はそれが1週間の出来事であり、ある者は1日、ある者は1時間の物語であるのだ。それは彼らがダンケルクにおいてどれほどの恐怖とプレッシャーの下で戦っていたのかを我々に示す。生死が隣り合う状況においては、1週間は100分程度に感じるのかもしれない。
そして大いに話題になった『ウィンストン・チャーチル』がかの有名な演説で国民を纏め上げ、実現した奇跡の救出劇「ダイナモ作戦」。
時計の針が止まり、緊張の糸が途切れ、解放へと向かう。
守るはずの国民が救ってくれ、そして讃えてくれる。
チャーチルの全員で戦い助け合い讃え合うことが、勝利なのだ。
生きているだけで充分だ。
これは戦争礼賛ではなく、人間礼賛の映画である。
シンプルにコンパクトに!?
映画館で観たかった
映画館で見るべき
クリストファーノーラン監督作品。
過去にはインターステラーのみ見たことがありました。
日本版予告がなかなか酷かったので見に行くか迷ってはいましたが、私の好きな戦争物の洋画だと言うこともあり鑑賞しました。
結論としてこの映画は映画館で見るべきです。
とにかく緊張感が良かった。一瞬も目を離せない感じ。CGをあまり使わず、本物の爆発などでリアリティを出そうとしたそう。ほかの戦争映画より戦争の泥臭い感じが伝わったように思います。
また、この映画は飛行機の操縦士や、取り残された兵士、民間人であったり……さまざまな人物の視点から物語が展開されて行きます。
そのためこの人が主人公!!みたいなのはほぼありません。でもそれが戦場を色々な視点で見れて面白い描き方だと思った。さすが…………。
また、鑑賞中にふと思ったのは映画の最中でほとんど時計のカチッカチッと言う音が鳴っています。この音のおかげでタイムリミットが迫っていることを示し、更に緊張感を出しています。
日本人の私には海外の戦いには疎いのでそれまでダンケルクの戦いを知らなかったが、これは歴史に残る救出劇だなあと感動した。
やはりさすがのクリストファーノーランだと思った
う〜〜〜ん。
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