劇場公開日 2017年9月9日

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「ノーランの闇の深さ」ダンケルク abokado0329さんの映画レビュー(感想・評価)

4.0ノーランの闇の深さ

2024年4月19日
PCから投稿
鑑賞方法:その他

人物に内臓が存在しないことが、ノーラン作品のひとつの特徴だと本作をみて強く思った。

兵士は凄惨な大撤退の最中にあり、いつ殺されてもおかしくない状況にいる。空から敵の戦闘機がやってきて撃たれるかもしれない。陸からナチス兵が港を襲うかもしれない。海から乗っている船が襲撃されて沈没するかもしれない。現にそれらの襲撃は起こっていて、多くの同士が死んでいる。あまりにも悲惨な光景。

しかし皆が綺麗に死んでいる。彼らは最低限の流血で死んでいく。腹を撃たれて腸が飛び出るわけでもなければ、爆破で手足が欠損することもない。港が血の海と化さず、綺麗な浜辺を維持していることが逆説的に本作のグロテクスさを語っている。

もちろんその描き方はノーランのスタイルであって、事実の真偽の問題ではない。しかし私は批判的に捉えたいと思う。所詮はノーランも時制を崩したり、SFに傾倒する単なる技術屋だったと。そこに兵士の実存に迫る語りはないし、大撤退を称揚するだけで国家への批判的な視座はないのかと。

かろうじて内臓があると思わせるのは、苺ジャムの食パンによってだ。ボトルに入った水を飲んだり、紅茶が出てきたりと飲む行為はいくつか確認できるが、食べる行為はジャムパンのみではないだろうか。それぐらい食べることに焦点が当てられない。

思えば『TENET』において主人公が武器商人にはじめて会う場面は会食の場ではあるが、彼は席に座り食事をする前に会食の場から出て行ってしまうし、『インターステラー』は宇宙の話だから(!)もちろん食べることは登場しない。このようにノーラン作品では「人物は食べないこと」で一貫されている。ノーランもきっと食に興味がないんだと思う。

だから本作の演出部で消え物担当になった人はかわいそうだと思う。あのノーラン作品の制作に携わり、消え物を担当する一役を買われたのに準備したのは「ジャムパン」のみ。きっと脚本を読み込んで、当時兵士が何を食べていたか調べ、リストを作成していたと思う。そしていざ演出部の会議でリストをみせたらノーランにジャムパンだけでいいと言われてしまうという…

上述のことはもちろん妄想よりのフィクションではある。それでも、もし本作にジャムパンがなければ、彼らがイメージではなく、内臓を持ち合わせたひとりの人間であることは想像/創造されない。それはかなり誇張表現ではあるが、重要なディティールであることは間違いない。

本作はノーラン作品において、史実を扱い戦争/歴史を描く作品だから、『オッペンハイマー』における歴史的側面に着目する上で重要な作品である。私は本作をみて正直、ノーランに政治的な態度は期待できないと思ってしまった。だが『オッペンハイマー』をみて思った。『オッペンハイマー』は『ダンケルク』から確実に進歩しているし、ノーランの政治的な態度はそんなに単純ではないと。そして闇が深いし、生生しい。

まぬままおま