孤独のススメのレビュー・感想・評価
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孤独からの脱却のススメ
孤独の「ススメ」では、断じてない。
(「孤独のグルメ」に便乗しようとしてこの邦題つけた?)
むしろ、孤独からの「脱却のススメ」
あるいは、
小さな田舎町の、そしてカルヴァン派の、さらには性格による、
厳格なしきたりに縛られた、もしくは自分で自分を縛る暮らしの、見直しのススメ。
痩せててひげ面で、言葉も知能もあやしく、
でもヤギとか小さな子供とかとすぐに仲よくなる男テオ(ロネ・ファント・ホフ)の登場が、そのきっかけ。
――このテオが、ナザレのイエス(キリスト)に見えてしょうがなかった。
いろいろあった人たちが、
ええ~っ! そうくる?!
という形で救われる清々しい物語。
上手い。
舞台となったオランダの田園風景が美しく、
(原題の)マッターホルンも絶景。
ザワッっと最後持ってかれる
タイトルの意味がわかった。
一人になるって大事なこと。否が応でも自分自身と向き合わなくちゃならない。過去の自分、今の自分、これからの自分。アドラーじゃないけどこれは勇気の問題かと。フレッドはテオのおかげで息子に対する偏見、信仰、愛、他者との関係性など一つずつ見つめ直していきます。決して歯を食いしばって、ではなくテオとの不思議な生活から自然と気づきが訪れるのがいい。やっぱり人って独りじゃ気づけないんよねー。でもひとりぼっちがあったから二人でいることの有難みもわかるんよね。いやー秀作、良かったです。
【”これが、私の人生。”今作は、妻と子を失い、単調な生活を送っていた孤独な男が、事故により記憶を失い徘徊する男と出会った事で、周囲の目を気にせずに、生きる意味を思い出していく物語である。】
■オランダの田舎町。
妻トゥールディを車の事故で亡くし、息子ヨハンとは音信不通のフレッド(トン・カス)。
何の変化も面白みのない彼の生活に、全く話さない奇妙な男がやって来てフレッドは彼を自宅に住まわせる。
◆感想<Caution!>
・不思議な映画であるが、独特な魅了に溢れている。
・フレッドの所にふらりとやって来た、何も話さない男。フレッドは、男と暮らすうちにそれまで飲まなかった酒を飲んだり、二人で頼まれて子供の誕生日パーティで、余興を行いチップを貰う。
それまでの、無表情なフレッドの表情が少し嬉しそうである。
・男の身元が分かるシーン。彼の名はテオ・ハウスマン(ルネ・ファント・ホフ)と言い、奥さんも居る。
奥さんと話すと、彼は車の事故に遭い、徘徊するようになってしまったとの事。そして、どの施設に入れても居なくなってしまう事も。
・だが、テオはフレッドの家に戻って来る。
そんなテオを見て、フレッドはテオの奥さんと、音信不通の息子ヨハンが歌手として歌うバーに行き、息子の歌声を聞くのである。
8歳の時にバッハの曲をボーイソプラノで歌っていた声と、変わらない声で”これが、私の人生。”と謳いあげる姿。
<そして、フレッドはテオと共に、亡き妻にプロポーズをしたマッターホルンに出掛けるのである。
そして、二人は周りの目を気にすることなく結婚し、一緒に暮らし始めるのである。
今作は、孤独だった男が、事故により記憶を亡くした男と暮らし始めた事で、周りの目を気にせずに、生きたいように生きる喜びを、再び見つける物語なのである。>
傷付いた者だけが癒やす
ふと何かを感じたのだろう。
あるいは嫌味なあのメガネの教会役員への、当てつけや意地もあって、大した理由もなく、勢いで、無謀な行動に出てしまったのかも知れない。
フレッドは、図らずも、壊れた男=「ホームレスのテオ」を迎え入れ
奇妙な同居を始めてしまうのです。
原題は「Matterhorn」というらしい。
でも堅苦しい教会を中心としている狭くて古いコミュニティ。彼らの毎日はいつまでたっても「Matterhorn」どころではない。
衆人環視のムラ社会。
曇り空。
レンガ造りの暗いリビング・・
成り行きで同居し、まさかの「余興の芸人」になる二人のお話でした。
フレッドは、恥辱と緊張の中での「見世物役者とそのマネージャー」を演じているうちに、その堅物のフレッドがどういう人間だったのかが、だんだんと見えてくるところがたいへん楽しい。
つまり
言葉も声も (テオ同様に) 失って、隣人への挨拶さえ忘れていた孤老のフレッドだけれど、
じつは本当に意外なのだが、彼はこんなにもたくさんの童謡や子守歌が歌える人だったのだ。
そして居候のテオも同様に失語症。
そして挙動不審。
なんの返事も出来ないし、感謝どころか反論も、ましてや宿主のフレッドに対しての、愛想やアドバイスなどもやらない存在だった。
だからこそ、
自身孤独で喋らなかった男やもめのフレッド氏も
仕方なく テオに対して声を掛けてやったり、童謡を歌ってやったりすることで、フレッド自身も固まっていた喉が開かれいく。表情もほどけてゆく。走ったり、ボール蹴りもやれるようになる。
そして
黙って話を聞いてくれるテオがずっとそばに居てくれたからこそ、フレッドは胸の内を“独り言のように"語り出すことができるようになったようだ。
― いなくなった息子の部屋のドアを開けるフレッド。
― 死んでしまった亡き妻のクローゼットを開けてみるフレッド。
― 旅行会社を訪ねてドアを開き、スイス行きのバスに乗ってみるフレッド。
息子への後悔と思慕。そして
諦めなければならないと自分に言い聞かせて、密閉していた「妻に会いたい」という想い・・
これらを、フレッドは来訪者テオにならば
閉ざしていた口を開いて、言葉にして吐露ができたという訳だ。
息子や妻にしてやりたかった事を、フレッドはひとつずつ試していく。
―パンにバターを塗ってやり、
―料理や洗濯をし、
―旅行に伴い、
―語りかけ、
―子守歌を歌い、
―ボールを共に蹴り、
―髪をくしけずり、
―結婚式を再現し、
―「メ〜」も言えた!(笑)
そして
いじめっ子には猛然と立ちかかって、テオを我が息子のように助ける。
「ヨハン!!!」。
ヨハンが出ているクラブの、重たい扉を、とうとう父は開ける。
テオのせいで、フレッドが守ってきた「規則正しい生活の歯車」は めちゃめちゃに狂ってしまったけれど、
喪失の日々を償わせてくれるきっかけをくれた「客人」 (まれびと) が、まさしくこの浮浪者テオだったようだ。
彼テオは、孤独なフレッドを救い、
あの意地悪な教会役員の友となり、
テオの妻に愛と勇気と賢明さを与えた。
テオは、小さな村に佳きさざ波を立ててくれた「神の使い」だったのかも知れないね。
みんなに、「心のリハビリ」が起こったのです。
フレッドがやっと、ついに、自分の声を取り戻して、あんなにも大きな声で、父親は失っていた息子ヨハンの名を呼べたのですから。
キリスト教の言葉
「救いは外から来る」、
「傷付いた者だけが癒やす」とは本当だった。
清々しくて、空が青くて、名峰Matterhorn が本当に綺麗だった。
なんか、思いがけず良い映画に出会えて嬉しかったです。
馴染みのなかったオランダの映画でしたが、この映画の舞台となったオランダの、広い干拓地の畑の光景。堪能しました。
そこには病身だったゴッホと、兄に生涯寄り添ったその弟《テオ》の物語を、ふと思い出させるものがありました。
で、
教会の変なオヤジと浮浪者テオが、その後どうなったかって?
そりゃあ、観てのおたのしみ!
・ ・
・ ・
[おまけ]
カルバン派の教会は、いくらか知性重視で、お硬いことで有名なのだが、
あの礼拝の光景で朗読されていた聖書の聖句
「マタイによる福音書25:35〜」(=ぜひ検索を) が、
皮肉なことに、教会の外において、「スポイルされていた者たちの間で」、救済の業として成就されていく。
このストーリーは
あたまでっかちのキリスト教界への批判であることは確かだろうね。
そういえば、
僕も、一晩だけでしたけれど、ホームレスのおじさんを家に泊めたことがありましたねー
思い出しましたよ。
劇中、始終、テオは缶に入ったビスケットを食べたがっていたけれど、うちに来たホームレスはイチゴジャムを僕の目の前で一瓶ペロリと食べてしまったおじさんでした。
はいはい、そうそう!名前も思い出したわ(笑)
人が救われていくとき
そこにはクスクス笑いが発生する。
そういう映画でしたよね。
妻に先立たれ、息子も失ったた男性のところに、ふいに来たよその男性が...
本当の孤独と異質なものへの理解
この作品は、とても台詞が少ない。全く説明がないまま、淡々とした日常が描かれる。その中に、主人公の寂しさや悲しみが自然な形で滲み出ている感じがした。
妻を失って初めて、1人の人間として本当の孤独を知り、信仰の内側にある男女の繋がりを超越した出会いを果たすことで、異質なものとして排除してきた息子のことを心から理解することができたのだろう。
マッターホルンの光景と息子への思いが溢れるシーンがリンクするところは、胸が締め付けられる気がした。
最近見た中でも、特に素晴らしい作品だと思う。
バッハに救われた
私自身、群れるのが嫌いで独りが好きなので、この映画をみたが、題が良すぎた。笑
へんてこりんな映画。
だけど、欧米に根付いているキリスト教を皮肉っている感じがした。
皮肉っていながら、音楽はバッハ。
この作品の監督は、キリスト教を厭いつつ、キリスト教にひかれている、そんな気がした。
話は変わるが先日、「手のひらの勇気」を見た。
こちらは、レズビアンが権利を主張するアメリカ映画。
いけないのだろうが、やはりレズビアンが気色悪く、好きになれなかった。😅
それに対してこちらはゲイ。
たしかに気持ちのいいものではないが、
同性愛を認めないキリスト教への
批判がしっかり込められているなど、
こちらが骨太な感じがした。
また、筋とは関係しないが、
オランダの田園地帯の清らかさ、
町並みのしずかなたたずまいに
惹かれた。
また話は飛ぶが、オランダ映画、さいきん見た「すてきなサプライズ」。
すごくよかったが、
やはり町が美しく、緑が美しかった。
オランダという国をもっと知りたくなりました。
変な映画
なくなったから
己を縛るものは、己だけが信じる思想だったりする。
何の説明もなく物語は進む。偶然出会った詐欺師を家に招き入れたことから、なぜかその男の世話を始めてしまい、いつしか不可欠な存在のような気がしてしまう。これが、孤独なおじいさんが身寄りのない小さな少年を家に招くような物語だったら、ただのハートウォーミング・ムービーで終わっていただろうが、この映画がなんともユニークなのは、どちらもオジサンであるところだ。オジサンがオジサンと出会い、オジサンがオジサンにサッカーを教え、テーブルマナーを教え、共同生活を送るのだ。その姿は、確かにちょっと滑稽なのだけれど、滑稽であると同時に、どこか切なくて愛らしい部分がある。今はもういないはずの妻と子供と3人で撮った写真をいつまでも壁に飾っている男のやるせなさと孤独感が、そう感じさせるのかも。
映画の根底には、もちろん宗教観というものの存在感が脈々と流れている。日曜には欠かさず教会へ通うほどの信仰心熱い主人公。信仰心というのは素晴らしいもので、美しいことではあるのだけれど、しかし、ともすると盲信にすり替わってしまうこともある。夕食が18時でなくてもいい。朝食は7時半でなくてもいい。しかし主人公は毎日それを守っていた。日曜は教会へ通わなければならない。同性愛は考えられない。主人公はなぜかそう信じ込んでいた。つまりは「こうあるべき」と勝手に決めつけた「思い込み」からの解放がこの映画の主題であり、それが、名も知らぬ男に対し愛着を感じ始めていることに象徴されているのだと思った。根拠のない思い込みや決めつけから自己を解放し、同時に他者を赦すことの崇高さを一番に訴えるいい映画だった。家から追い出した息子が「This is My Life」を熱唱するシーンは、ストーレート過ぎて気恥ずかしくもあったけれど、やっぱり胸が熱くなった。
このテーマを、こんな風にコミカルでユニークで可笑しみのあるストーリーで描いたオランダ映画のユーモアが、とても好きだ。
解き放たれる、ということ。
変わらない毎日をひとり淡々と生きる主人公のもとへ、ある日、言葉も喋らず謎めいた男がやって来て居ついてしまうことから物語は始まる。見知らぬ男との同居生活は、良くも悪くも今までの単調な生活にアクセントをつけ、主人公の過去が俄かに色づき始める。
訳あって閉ざされた、或いは自ら閉ざした世界が「異質なもの」によって解放に向かうという話自体は今までにもあったが、この映画の登場人物の設定には興味が湧く工夫があり、淡々と、それでいてグッと引き込んでゆく脚本と演出が良かった。
オランダ映画であり、まったく初めて観るキャストと製作陣。そういった部分でも、個人的にはかなり鮮度があった。邦題を含め、日本語の配給コミニュケーションには騙された感もあるが、それはそれでまた「意外性」だったかもしれない。
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