雨の日は会えない、晴れた日は君を想うのレビュー・感想・評価
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愛するパートナーを突然亡くし、心が壊れてしまった男の話
ではありません。彼が悲しみを感じないのは、元々他者には興味がないタイプの人間だからです。ですから病気ではなく単なる性格です。結婚したのも楽したかったからみたいなことを言っていましたし、一緒に生活しているパートナーが浮気、妊娠、堕胎しても全く気付かなかったくらいですから開いた口が塞がりません。もし彼女が重い病気を患っていて突然亡くなったとしても彼は全く気付かなかったかもしれません。悪い人間ではないでしょうが彼女の結婚相手にはふさわしくないでしょう。自分にしか興味がないのはm&m社の顧客係に執拗に自分のことを書いた手紙を送ったり、家まで押しかけたり、電車を止めたりというような常軌を逸した行動からも窺い知ることができます。とにかく自分中心なのです。同様に顧客係のカレンも真夜中に電話したり、パートナーの留守中にデイヴィスを家にあげたり、デイヴィスの妻のお別れ会(?)について行ったりとちょっと理解できない行動をとっています。こう考えると二人は似た者同士で良いカップルかもしれません。心が壊れたわけではないのですから不必要に物を壊す必要はないし、意味もありません。ストレス発散なら運動するほうが余程生産的かと思われます。
大切な人のいない世界で
妻の突然の死でわかりやすく悲しみに暮れるのではなく、
空いた穴があまりにも大きかったために
自分でも自分は何か感じてるのかどうなのかがわからなくなってしまっている。
分解して、周りを壊して、
自分はなんなのか、愛を理解もしていないのか、ともがいて
自分を取り戻すというか生きなおそうとしている。
何も感じなくなったのが不感状態になったのは
結婚後なのか前からなのか。
己を探っていく過程で、
まさに自分の存在というものにいろいろ
問題と疑念や鬱屈をいだいている
少年が、構築しなおす相棒として最適だった。
少年や子供たちが健やかに過ごせる、
それが彼自身の再構築にもつなっがていく。
悲しみがわかりやすくはないけれども、
実際に奥さんを亡くした昭和なおじさんなどは
こんな感じなのではないかとも思う。
仕事にがんばってきてそれが存在事由とまでも感じていたろうが、
後方支援していた妻を失うと急に崩れ、
存在を支えてたとおもっていた仕事や会社社会も
個人を労わることはないし
ましてや定年してたら過去の人で無関係なようなものだ。
喪失感をどう埋めるのだろう。
挫折と再生の物語
ある日突然の事故によって、大切な妻を亡くした。その事により色んな事が傾き始めた。それは何気なく進む時間の中でにあって気づくと違った。
破壊的な衝動や悲しみを感じる作品だった。
妻を亡くして、それから自分というものを新たに向き合うと今まで知らなかった事実がそこにあった。
とても励まされる作品というわけではないけど、辛いと思える時に出会えた人々から多くの事を学び前に進むと歩む姿は、とてもカッコよかったです
新たな自分
妻を亡くしどういう訳か涙がでなかった
どうして…… 自分でも分からない
どこかモヤモヤして
どうでもいい事に興味が沸いて
中がどうなっているか
無性に見たくなった
気になるものを解体したり壊したり
感情のままに生きてみることに
そこで関わった人たちと自分を見つめ直す
幼い頃のしあわせだったことや
自分の得意だったことなど振り返る
仕事以外関わらなかった人生が
人とふれ合うことで色々な感情が生まれてくる
妻の好きだった場所に行ってみる
違った景色が見えてきた
自然と涙がこぼれた
妻を彼女を……愛していた と
心から思えた
彼の壊れている心の描写が
彼の壊す行動によって痛いほど
伝わってくる
彼女を失った哀しみが
壊すパワーに変えている
この作品は失踪感を味わうところが
どこかドライブマイカーと似ている
静と動の違いはありますが
妻が不倫していたのも
なかなか難しく考え深い作品です
突き刺さる
一度でも心が壊れた事がある人には見てほしい映画。仕事に追われて心が壊れていたのにも気づかず、すべてに無関心になっていた。妻が死んでも涙ひとつ出ない悲しくもないそんな自分が妻を愛していなかったんだと思う。だが妻の死をきっかけにこれまで無関心だった日常の些細な事が異常に気になりだす。一度気になったらとことん分解して解体した。そんな気持ちをありのままクレームの手紙として送った。その手紙をみたクレーム係のカレンは手紙をみて泣いた。カレンやカレンの子供との出会いで壊れていた心をすべて分解して解体していくような毎日。愛されていた自分。浮気をする妻じゃなかった。いつもなら無関心だったメモを見た時本当に大切な物を失った事に気づいた。今までの10年が雨の日だったかのように、、自分も妻をたしかに愛していた。素敵な映画でした。
“やもめ”の話。
“やもめ”の話。
義父とのはなしはなるほどと思う。
子を亡くした親の呼び名が無いっていうのは、あっちゃいけないこと。
そうだなぁ、でもそれってどこかでも聞いた気がする。
常套句なのか?
で、泣けないやもめがどう自己再生をしていくか。
似たような話を他でも見たけれど、主人公の感情にどこまで共感するか、もしくはわかるだけに嫌悪しちゃうか。
感じ方は変わる。
わかっちゃうところもあるだけに、俺はそうではないと思いたい。
きちんと愛情が伝わっているものと。
ストレートに愛していたと言える親の方がまだ幸せなのか。
ハマった。
凄く好きな作品だった。何回も見てしまった。とても美しい作品だと思う。
この作品の解釈は人それぞれになってしまうのかな。
ジェイクギレンホール、凄い役者。強烈。グイグイ引き込んでくれる。
壊れ方もダンスも最高。そして繊細な感じも完璧じゃないか。
あくまでも私の解釈だけど・・・自分は妻を愛していなかったのではないか?いやいや、愛していたと思う。
だからこそ、自分をあんなに追求したんでしょ。確かに愛情を彼女には示さなかったけど。
当たり前にいたから、いないって事に適応できなかったんじゃないかな。
フラッシュバックのように何度も入る妻の映像のシーンが、デイヴィスの心を表していると思う。
妻の死後、どんどん子供化していくけど、それによって、子供の時のような殻のない自分を見つけ出したのでは。
ナオミワッツ演じるカレンとの海辺のシーンも好き。
デイヴィスと心を通わせる15歳?のこの時期の危うい感じや中性的なジュダルイスもジェイクに負けないぐらい見事です。
最後のメリーゴーランド、泣いた。
私は、ジュリアはデイヴィスの子を妊娠していたと思う。
また観たい。音楽にもハマった。
タイトルなし
妻を亡くしたが不思議と無感情、次第に心が壊れていく様をジェイク・ギレンホールが巧みに演じ、凄い演技。壊れていく過程で出会うナオミワッツとその子とのふれ合いはひょっとして幻影かと思ったが現実。そのふれ合いを通して、次第に妻の愛に気付かない自分に妻はサインを送っていたんだと気付き、妻の死をようやく悲しむ。説明描写がなく非常に分かりづらい映画。
無理やりオシャレな邦題にしなくても良いのよ?
交通事故により妻を亡くしたことがきっかけで、破壊衝動に駆られるようになった証券会社の社員ディヴィスが、身の回りのものを破壊していくことで心の傷を癒そうとする様子を描いた人間ドラマ。
主人公デイヴィスを演じたのは『デイ・アフター・トゥモロー』『ナイトクローラー』のジェイク・ジレンホール。
デイヴィスと心を通わせる女性カレンを演じたのは『バードマン』『ヴィンセントが教えてくれたこと』のナオミ・ワッツ。
何やらオシャレな邦題がついているが、原題は『Demolition』=破壊。
何の前情報もいれていなかったので、てっきり狂気に駆られた主人公が破壊の限りを尽くすサスペンス映画かと思っていました。
実際、映画の前半では妻を亡くしたことで正気ではなくなった男デイヴィスの奇行が描かれます。
ジェイク・ジレンホールの目つきが最高でしたね。どう見てもイっちゃってる人っていう感じが良く表現されていました。
デイヴィスは家の冷蔵庫をぶっ壊し、通勤電車を緊急停止させ、会社のパソコンやドアをぶっ壊す。
当然周囲は妻を失ったショックで精神のバランスを崩してしまったのだ、と思い込むわけですが、実は問題の根本はもっと深いところにあるということがわかってくる。
彼は周囲の物質や人間関係をぶっ壊すことで問題の根本を探ろうとする。
デイヴィスと同じように問題を抱えているカレンや彼女の息子クリスと交流を深めていくうちに、物語もだんだんと文学的な深さを見せていくようになる。
こういう「愛とは何か」「生きるとはどういうことか」を問いかけるような文学的な作品、個人的に大好き。
ゆったりとした物語進行に加え、BGMの殆どはヘッドホンやカーステレオ等で実際にデイヴィスが聴いている音楽という演出が成されており、デイヴィスがヘッドホンを取るとBGMも止まる。
BGMが流れるシーンは限られているため、全体的にかなり静かな作品。
そのため、100分くらいの上映時間だが、実際にはそれよりも長く感じる。中盤ではちょっと退屈だと感じるところも正直ある。
とはいえ、物語がどのような決着をつけるのか予測できない作品だったので興味の持続力は強く、妻の秘密が明らかになってからエンディングまでは目が離せなかった。
デイヴィスとカレンの距離が近づくまでの展開は、オシャレではあるのだがちょっと無理があるかも、と思ったりもした。
深夜に突然電話してきたり、駐車場にいるのに姿は見えなかったりと、初めの方は「あ、これカレンは実はデイヴィスの作り出した妄想の女性なんだな😏」と思って見てたのは自分だけではないはず。
クリスがボコボコにされるというラストの展開も、脈絡がなくて飲み込みづらい。
デイヴィスが病院で目覚め、親密な存在は…という展開を終わりにも持ってくるという円環構造にしたいというのはわかるがちょっと無理やりだったかな?
いや、しかしクリスを演じたジュダ・ルイス、むっちゃ美少年だったなぁ。
ビジュアルの美しさや物語の静謐さを重視するあまり、映画全体が平坦になってしまっているのは事実。
もっとアクションやサスペンス要素を詰め込んだスリリングな映画にすることも出来た題材だと思うが、結果としてはこの低温な感じで良かったと思う。
デイヴィスほど極端ではないにしろ、誰しも今ある全てを破壊して新たな自己を形成したいと思う時があるのではないか。
そういう感情を少しでも抱いている人には、この映画はオススメ!
夫婦で観るのは…ちょっと気まずいかもね💦
映画の内容とは直接関係ないが、本作の邦題が相応しいかどうかというのは考えるべき問題かも。
個人的に原題を直訳するのではなく、独自の解釈から邦題をつけるという文化は結構好き。
『The Shawshank Redemption』=『ショーシャンクの空に』
『Sister Act』=『天使にラブ・ソングを…』
『The Mummy』=『ハムナプトラ』etc…
とはいえ、「おいおい、そりゃねーだろ…😓」という邦題も勿論ある。
『Guardians of the Galaxy Vol.2』=『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックス』
『Whiplash』=『セッション』
『The Bucket List』=『最高の人生の見つけ方』etc…
本作の邦題は、作中でデイヴィスが見つける妻のメモに書かれた内容が元になっている。
「If it’s rainy, You won’t see me, If it’s sunny, You’ll Think of me」
このように書かれたメモがデイヴィスの車のサンバイザーに貼ってある。
デイヴィスはこのメモのことにずっと気づかなかったのだが、ある出来事の後でこのメモを発見し、涙することになる。
このメモ、作中の描かれ方がものすごくさりげないので、初見の時は「ん、このメモなんでこんなところに丸まって捨てられてたの?」と思ってしまいました…💦
さらに初見時、このメモの意味がよくわからなかった。
というのも、ここの日本語字幕の訳が最悪だった。
「雨の日は会えない
晴れの日は思い出す」
と字幕が出るのだが、これ妻が茶目っ気でデイヴィスのサンバイザーに貼り付けたものなんだから、こんな堅苦しい訳じゃダメでしょう👎素人でもわかるよ。
「もし今日が雨なら、あなたは私を見てくれない…(>_<)
もし今日が晴れなら、私のことを想ってね(๑>◡<๑)」
くらいの軽い感じで訳してくれないと、このメモの意味がわからん。
タイトルをカッコ良くする為にこのメモの訳をキザったらしくしたんだろうけど、その為に作品の意に沿わない訳をするのはどうかと思う。
よって、本作の邦訳はダメ〜🙅♂️
好みではなかった
妻が事故で死んでしまい、涙ひとつ出ず、妻を愛していなかったと気づき、病院の自販機の故障からカスタマーセンターに自分への出来事と共にクレームの手紙を送る。
そこからもはやストーカーかと思う!くらいそこのカスタマーセンターの人の家行っちゃったりとか、え?の時間でした。
分解して治せるみたいな義父の話?から、冷蔵庫を直そうとしたらもう破壊。
そこからどんどんどんどん物を分解、破壊する日々。
そしてカスタマーセンターの息子と仲良くなったり、カスタマーセンターの女が妻と重なったり、最後には妻への愛があったと確認し、あの日は泣かなかったのに、愛に気づいて泣いたり、だけど、なんかなんにも全然感情移入できなく、なんか見なくてよかったなっていう感想でした。
ひとそれぞれですが私には向いてない作品でした。
物を分解したり解体したりすることで自分の心の中(ジュリアとの思い出...
物を分解したり解体したりすることで自分の心の中(ジュリアとの思い出の日々)を探っていくっていうのはなんだか深い。
ラストのジュリアの遺産でメリーゴーランドを直すのは感動的だし心の修復を表しているのかなぁと思う。
ストーリーも演出もなかなかおしゃれ。
ジェイク・ジレンホール良し。
「雨の日は会えない、晴れた日は君を想う 」原文は「If it's rainy, You won't see me, If it's sunny, You'll Think of me. 」意味が少し違うのだろうけど、原題の「Demolition 破壊」ではより分かりづらかったがろうな。
邦題タイトルからするとラブストーリーかなと思ったけど、傷からの破壊、解体、そして再生の映画。いい意味で期待はずれ。良い!
伝わらなければ無いのと一緒
何か自己完結してて、死んでからも肯定されない妻って何なんだろう。
堕胎してまで続けたかった夫婦関係って何だったんだろう。
あまりに主人公の自分語りがウザイので、開始30分でイライラが止まらない。
結局、自分で選択してきた人生にウジウジ文句言って、優しくしてくれる存在に依存してまたウジウジやっての押し問答に「キェ〜!」って発狂したくなる。
感情移入できるキャラが皆無なのが苦痛の原因だった。
自分ではおシャンティな映画を借りてきたつもりだったのに、心の通わないドロっとした人間関係を眺めている2時間だった。
本心の会話をしないとここまで拗れていくんだな。
痛みが再生につながる。
この物語が喪失と再生の物語であるならば、あらゆる機械を分解するシーンは、明らかに彼自身の心の喪失(破壊)のメタファーなのでしょう。
不調の原因を探ろうと思うなら、まず分解し、もう一度組み立てること。
彼は心の異常にとらわれ、分解と破壊という行為に昇華している。しかしそれらを組み立て直すことができない。というか組み立てることを放棄している。
デイヴィスの人生の中で、カレンとクリスの存在はどのように見ることができるだろう。カレンは恋人との関係に不満はないものの、その生活に幸せを見つけられないでいることをデイヴィスに告白している。だからこそ、カレンは夜中の2時にデイヴィスに最初のコンタクトを取るという暴挙に出たりしています。デイヴィスとカレンの関係はかなり曖昧。互いが強く求める存在でもなく、しかしいつの間にかお互いが自分のテリトリーの中に招き入れてしまう。カレンにとってデイヴィスは、恋人が与えてくれない何をあたえてくれる存在であったのか、また彼にとっては。
デイヴィスの視点で見るならば、カレンを追えば追うほど、破壊衝動は強まっているようです。それがそのまま冷蔵庫の雨漏りが増えたことのように、心の状態が悪くなっていくことの比喩であるならば、表面では安らぎを得られる場所であったとしてもそこに完全な癒しを見つけることができないのは、カレンが女性であり、妻の存在と相いれないものだからではないでしょうか。つまり、デイヴィスが確かに妻を愛していた。
クリスは学校になじめない子供。そして自分のセクシャリティに悩む子供です。その描写は突如として描かれていますが、最後のパーティで暴行されたのも、デイヴィスに送った手紙の内容から察するにそれが原因のようです。クリスは学校の決まりごとや他人と同調することに興味が持てない少年ですが、興味のあることについては驚くほどの表現力を見せます。偏った興味を持つクリスは、デイヴィスが自身で認める無関心という性質において、共通点があるのでしょう。
奨学金設立のパーティの夜が、決定的な破壊と喪失を3人に与えます。
デイヴィスにとっては、妻の妊娠と不貞の発覚。カレンはクリスの怪我と恋人との生活の崩壊、クリスは暴行を受けたことによる、自身への強い否定。
しかしデイヴィスはその後にメリーゴーラウンドを立て直すアイデアを義父に告げています。彼は妻の不貞の事実によって、初めて生の実感を得たのではないでしょうか。映画の中では少なくともその不貞を咎めることばは出てこない。確かにそれまで感情に上がってこなかった妻の死が、その事実を知ったことによって涙になるのです。のらりくらりと生きて来た彼の人生の中で、憎しみという感情によって初めて妻と向き合うことになる。
カレンはそれまでの恋人への不義と、息子クリスの存在と向き合います。
薬物中毒であることも息子に知られていたカレンはやはり後ろめたい気持ちがあった。彼氏への不義も息子に知られているし、決して健全な家庭ではない。そのすべての事実が彼女に突きつけられます。
クリスは自身の体を持って、喪失を経験します。セクシャリティの否定はほとんどが自己の存在の否定につながるものでしょう。
つまり、彼らは事実を突きつけられて痛みを知り、傷つく存在です。
彼が唯一、組み立て直したものが、メリーゴーラウンドです。傷ついた彼ですが、しかしその傷こそが再生への端緒となることを象徴的に表しているのだと思います。最後のシーンでは、対岸のビルが次々に爆破解体されるシーンが登場します。爆破に完成を上げる物見遊山の人々。そこにはこの物語で綴られる破壊という行為のポジティブな明るさが表されているのではないでしょうか。
この中で、カレンとクリスが担う役割とはなんなのでしょう。破壊と再生というテーマを強めること以上に、デイヴィスとの関わりの中に意義を問いたいですが、思いつかないのでこれは他の人の意見を見てみたいと思います。
不思議で癖になる
久しぶりに、三度目の鑑賞。
他人に説明しにくいこの沸き起こる情感…何度観てもいいです。
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愛してたとか愛してなかったとか、実は奥さんも浮気をしてたとか大麻とか銃とか、そういうゴタゴタが不思議と汚くも生々しくも見えない。
それでいて、わざとらしく感傷的な浮遊感もない。
狂気や、虚無や、その他色々な名前すらつかないような複雑な感情の動きと、思いがけない人間との交わりが、静かに騒々しく物語を進める。
無機質に狂っていたデイビスが、ある瞬間突然魂(心臓)を取り戻し、彼の人生が再始動する。この大きな心の変化をジェイクは完璧に演じきっている。
時折挟まれる海のシーンが、本当にいい!メリーゴーランドやクリスとの戯れも。
この感覚をまた味わいたくて、二晩連続で観てしまった。
何度でも観られそう。
誰でも亡くせば壊れる
邦題に惹かれたけど、結局妻の言い分は何だったんだろうとそこばかりに気を集中させてしまったな…原題の解体もいいけど日本語だと微妙…でもこの邦題は好き。
ジェイクの演技力は底知れない。トイレで泣くシーンなんて本当に心が痛んだ。
余韻がじんわりとほんのり後から来る。こういう飾らない、気取ってない作品もっと増えたらいいな。
いい映画 ※ネタバレあり
たぶん、映画が好きな方でないと途中で寝てしまうのでは無いでしょうか。
後半に至るまでの描写が抽象的で、わかりにくく描かれています。
でも、「愛していなかった」と気づいたはずなのに、要所要所で思い出のような描写が挟まれる。
彼女がいた時間が、彼にとって気にもとめないような「ごく当たり前の日常」であったかのような描写。
愛していなかったんじゃない。当たり前の日常が一瞬にして無くなって、思考が追いついていなかっただけだったんだと気づいて涙するシーンは、一緒になって泣いてしまいました。
わかりにくい描写があるために、「良さがわからない」「意味がわからない」と言われていることがとても残念です。
もう一度観たいと思います。
素敵な映画をありがとう。
説明されてないことがあるみたい。果たして真実は
前の人のレビューを読んで気づいたこと。
中絶した子供は先天性の障害がある。ダウン症!?
なぜならメリーゴ―ランドに乗っている子供達は皆ダウン症。そうだ!観なおしてみた。
ほんとに不倫相手の子供なのか、主人公の子供だけど障害があるから中絶したのか?それも疑問でした。
「雨の日は会えない、晴れた日は思い出す。」って言葉を作品中で観た時は、それは不倫相手のことかなって私は思いました。
そのショックにやっと主人公の心は崩壊?緩んで彼女を愛していた心にたどり着いた。って感じで。
破壊したい欲求に忠実に行動したくても、理性が止める。
忠実に行動する姿ってどんなか観たくてこの作品を選びました。
主人公と女性の醸す雰囲気が何気とてもエロティックでドキドキしました。
主人公と妻の間に愛があったことが映像から深く感じれたら又この作品がより心を打ったでしょう、それを感じれなかったことは残念です。
全35件中、1~20件目を表示