「恋愛映画じゃない」雨の日は会えない、晴れた日は君を想う Karinto.84さんの映画レビュー(感想・評価)
恋愛映画じゃない
妻の喪失をキッカケに心身のバランスを崩した主人公が、分解と破壊、同じくパートナーへの無関心や社会的承認に苦しむ母子との関わりを通して、妻への愛や他者との関わりに気付くまでの物語。
ポイントとなるのは主人公の自己の再生。
破壊するのは周囲の物品ではなく、独我論("solipsism")的パースペクティブに基づいた世界観や、それを形成する自我・自己認識。
ひび割れた"見ざる・聞かざる"のJakeの劇場ポスターは、Davidの世界観の崩壊の序曲であり、"隠喩"。
ラストの少年たちと駆け出すシーンは、かけっこが好きだった少年時代の"隠喩"であり、両親からの承認を求めていた少年時代宜しく、他者との関わりの中で生き始めた象徴。
キーワードは"grooming"(身繕い)と"regards"(愛情、関心、思いやり、眼差し; attention, care)。
妻の回想シーンから分かるように、Davidの中には、妻の思いやりが経験的記憶として刻み込まれ、無意識に"愛された記憶"として残されてゆく。
妻の死から、投げかけられる愛情("regards")は失われ、代わりに他者とDavidの隙間は彼の"好奇心"で埋められてゆく。
それは初め純粋な好奇心からの"分解"として発露し、義父への怒りを交えながら"破壊、解体"に転化してゆく。
それは、「国を守りたい」などの幼稚な自我の現れだった。
だが、その幼稚な自我を無軌道な行動によって表面化し、無意識下の自己を"自分自身にやって見せ"ることによって、Davidは、自分の中のJuliaの存在に気付くことができた。
中絶した事実からも分かるように、他者からの気遣いに飢えながらも、妻は最後までDavidからの気遣いが投げ返されることを待ち続けていた。
それを中断した衝突事故は悲劇的。
結局、全遍を通して、観客もギレンホールも、妻の死から立ち直るまでの間、冒頭5分の車内に閉じ込められていたのだと思う。
夫の無関心を咎めるような妻の眼差しは、愛情の裏返しであり、見るたびとても切ない。
妻からの愛情に気付く出来事が、全くの他者だった"ドライバー"によってもたらされるのもユニーク。
自分と妻との関係、あるいは浮気相手の存在に悩むDavidにとって、事故を起こしたドライバーはそれまでの関係性の輪の外側にあって、全くの他者だった。
妻の死を思い、再び自己認識の世界にこもるDavidにとって全くの"surprise"であり、外に向いた関心を契機に、タイトルのメッセージに、ようやく妻の言動の意味、妻からの愛に気付く。
レビューのタイトルにある通り、これはただの恋愛映画ではございません。
誰しもパートナーや友人、周囲の気遣いに気が付かず、後で思い悩むことがあると思います。
これらをすべて飲み込んでエンディングを迎えた時に得られる"赦し"の感覚がたまりません。
"I wait, and I wait, to make a new start.
A new beginning, but it feels like the end."
"I'm trying to see the bright side, ....The more I look up, the more I feel below."
情感たっぷりのintroと共に歌い出されるHalf Moon Runの"Warmest Regards"。
この歌詞の最後でも分かりますが、この物語の中における"赦し"は、与えられるものではなく自分の中に"気付く"ものになっています。
タイトルの"Warmest Regards"、親しい人への手紙の結びによく使われる言葉ですが、何気なく使われるこの言葉の意味が、この映画以降、全く異なる意味合いを帯びてゆきます。
ここで言う"regards"とは、形式的な言葉一つ一つに加えて、そこに載せられる"注意(attention)"、"配慮や気遣い(care)"のこと。
Davidが内なる好奇心に気付き始めた際のの"Probably I saw it, but not paying attention." や、義父との関係を再構築する際の"There was love between me and Julia, but I did not take care of it." のattentionとcareは、 この「他者に向けられる意識」のことを指します。
何気なくされる挨拶や仕草、一つ一つは形式ですが、相手への特段のattentionがあれば、その行為に意味が生まれるし、受け取る相手がそれを汲み取れば、そこに異なる関係性が生まれます。
観客にもDavidと同じく他者理解を追体験させようとしているのか、人物の動機づけの説明や心的描写のシーンがほとんどありません。
それを一々登場人物に説明させずに、"手紙"というまとまった機会に落とし込めたり、さり気なく独り言のように呟かせたりと、とても上品な映画だと思いました。その代わり、観る側にとても強いる映画になっています。
セリフや表現による分かりやすい主人公の動機付けに乏しく、Davidの動機が分かる独白や手紙のシーンは、キーとなる重要なポイントのみに限られています。
それ以外は、Davidの無意識も含めた心境の変化を隠喩的に散りばめたシーンの連続で、動機づけや隠喩、各シーンの意味合いは前後関係から観客自身が探らねばなりません。
("影絵"のシーンなど、両義的な表現もあり、観客同士の対話を促す側面もあります。)
視聴する際、一定のポイントといくつかのキーワードを設けると一通りの解釈を得ることができます。
観るたび元気付けられる映画です。
人に優しくする、というより、"この人は何をしようとしてるのかな"、と他者への関心がよみがえる映画。
現実の"私"の関係性は変わり続けるから、いつ見ても新しい。
この映画を観る時間帯によっても面白さが変わるかもしれません。
普通の社会人なら、週末日曜の夕方最後の時間帯に映画なんて観に行かないと思うんですよ。
翌朝の出勤前に、何を想い、この映画を見に来たのかな、とか。(来週この時間帯に行ってみようかな……。)
少なくとも二回目以降、私にとって、この映画を観る時の劇場は特別な空間でした。