トランボ ハリウッドに最も嫌われた男のレビュー・感想・評価
全14件を表示
強い信念、愛する家族の支え
名作「 ローマの休日 」の原案者、アメリカの脚本家ダルトン・トランボをブライアン・クランストンが熱演。屈辱の刑務所での生活、執筆の様子、彼を支える妻や家族の思い等、見応えがありました。
美しい妻クレオをダイアン・レインが、長女ニコラをエル・ファニングが演じる。
家族の存在が心の拠り所となり気持ちを奮い立たせるトランボの姿、苦悩する彼に対する家族の思いが沁みた。
ー いつも君たちを思ってる 〜 愛を込めて
ー「 王女と無骨者 」
ー 私達は名前を取り戻したと
NHK-BSを録画にて鑑賞 (字幕)
『ハリウッドに嫌われた』と邦題の副題『アメリカ合州国に嫌われた』だぜ
『ハリウッドに嫌われた』と邦題の副題が示すが『アメリカ合州国に嫌われた』だと思う。どちらでも良いとは思えない。まぁ、どうでも良いが。
さて『アメリカ共産党』は現在でも存在する。では、なぜ誰も立法に立候補しないか?それはアメリカ共産党は非合法だからだ。つまり、結党は出来ても、上院、下院議員にはなれないと言う事だ。勿論、大統領にもなれない。
先ずはそれを知るべきだろう。自由と民主主義の国たが、法的には大きな壁が存在するのである。
『黒い牡牛』『ジョニーは戦場へ行った』が好きで『エドワード・G・ロビンソン』が好きだった我が亡父に見せてあげたい映画だ。
僕の感想は前述の通り、だから、なぜ『赤狩り』があったかを考えるべきで、1950年は朝鮮戦争が始まる年。だから、この映画では、ジョン・ウェインやレーガンやロビンソンがヒール役をやっていているが、そもそもがアメリカの国策なのだ。
従って、反共の波は収まったわけではない。1960年代に入れば、ベトナム戦争が反共を後押しする。そして、1991年にソ連が崩壊しても、アメリカは反共はそのままである。勿論、中華人民共和国がアメリカにとって仮想敵国だからだ。
つまり、アメリカにとって仮想敵国になった国のイデオロギーを排除すると言う国策なのである。
がしかし、ロシアがその虚を付いて謀反を起こした。それがウクライナとロシアの争いになるのだ。
話がそれた。
この映画で一番触れなければ駄目な点。やはり、エリア・カザンとの関係だと思う。
ハリウッド・テンはこの映画の様に名誉回復するが、エリア・カザンはその反動で嫌われ者に現在は位置している。だから、邦題の『ハリウッドに嫌われた』と言う副題に物凄く不満を持つ。
因みに『赤狩り』は日本にも起きて、それは『レッド・パージ』と呼ばれ、アプレゲールと言う中途半端な時代に『下山事件』『松川事件』『三鷹事件』等の事件が起き、労働者が大量解雇される。これが『レッド・パージ』と言う。さて、そう言う事件が1949年に起きていると言う事を『レッド・パージ』と『赤狩り』を区別する必要性があると申し上げておきたい。
『レッド・パージ』の後に『赤狩り』が起こるのだ。
事件は全て闇の中であるが、手塚治虫先生の『奇子』、COMICSを読む事をお勧めする。
赤狩りに翻弄され苦難の創作活動を強いられた脚本家ダルトン・トランボの表現の自由への信念
赤狩りにより全盛期に別名義使用を余儀なくされたハリウッドの実力脚本家ダルトン・トランボの苦闘と復活の伝記映画。原案含め関わった作品には、「素晴らしき哉、人生!」「ローマの休日」「ガンヒルの決斗」「スパルタカス」「栄光への脱出」「いそしぎ」「パピヨン」などがあり、それらを観た時からは想像も及ばないハリウッド映画制作の裏側が赤裸々に描かれていて衝撃的であった。第二次世界大戦後の新たな緊張状態の冷戦の時代、共和党ジョセフ・マッカーシー上院議員の名からマッカーシズムとも言われる赤狩りは、共産党員やその思想を持つと思われる人たちを聴聞会に召還し議会侮辱罪を適用させ、禁固刑の実刑判決で弾圧した。言論の自由を制限してはならないとするアメリカ合衆国憲法を無視した下院非米活動委員会の強硬な姿勢と、その政治的プロパガンダの標的にされてしまったハリウッドの映画人の苦悩と悲劇には、時代も国も違う一映画ファンから見て、只々悲しいとしか言いようがない。第一回聴聞会の1947年から3年後、裁判費用の工面に疲れ果て上訴請求も棄却されて刑務所に収監されるシーンには怒りさえ覚える。
この作品を観る以前は、赤狩りに対する知識を積極的に得ることは無かった。赤狩りに協力した映画人では、エリア・カザンの名が挙がることが多くて知ってはいたが、今回名優エドワード・G・ロビンソンのトランボへの裏切りを知って正直驚くと共に、寝返りをせざるを得ない窮地に追い詰められたことにも心が痛い。この作品がトランボの立場で描かれているからではあるが、対して“アメリカの理想を守るための映画同盟”のメンバーで大スターのジョン・ウェインが悪役として描かれている。配役も軽く、この点は感心しない。映画として興味深かったのは、ヘレン・ミレンが演じた元女優のゴシップ・コラムニスト ヘッダ・ホッパーと言う女性の横柄で威圧的な態度でMGMの強者創始者ルイス・B・メイヤーやスター俳優カーク・ダグラスを脅迫するところ。言論の力で赤狩りを推進する影の立役者の存在感が強烈に描かれている。登場する監督では、オットー・プレミンジャーを演じたドイツ人俳優クリスチャン・ベルケルが出色。「帰らざる河」「栄光への脱出」「バニー・レイクは行方不明」しか観ていなが、経歴を読むとこのベルケルが演じたような傍若無人の堅物監督であったようだ。そんな監督が才能を認め「栄光への脱出」の脚本をトランボ作と公表する展開は気持ちがいい。出所後仕事を選べないトランボが低ギャラ覚悟で頼るB級映画専門の製作会社キング・ブラザーズの社長の描き方もいい。見に来てくれる観客を満足させる面白い映画を如何に創作するかに心血を注ぐ巨漢の熱血漢と、仲間の仕事を斡旋するために家族総動員で対応するトランボ家の人たち。後半の“アメリカの理想を守るための同盟”メンバーの脅迫に屈せず、暴力で対抗し追い払う場面のキング社長のキャラクター表現も面白い。反面、金の為に才能を浪費したくない脚本家仲間のアーレン・ハードの赤狩りに対する怒りを抑えきれず自滅していく悲劇も描かれている。
主演のブライアン・クランストンの堅実な演技は、この伝記映画の説得力を高めており、良妻賢母のクレオのダイアン・レインの美しさと落ち着きある演技は安心感を与える。すでに50歳の中年婦人になっても美しさは衰えず、良い役を得ていることは素直に嬉しい。娘二コラを演じたダコタの妹エル・ファニングも好演。カーク・ダグラス役のディーン・オゴーマンとエドワード・G・ロビンソン役のマイケル・スタールバーグは、どちらも似た雰囲気を醸し出していて良い。当時の映像も最小限に抑えてメリハリの利いた時代再現になっていると思う。1957年の最後のアカデミー原案賞のテレビ放送が流れてデボラ・カーが読み上げる候補作に、レオ・カッチャーの「愛情物語」とジャン=ポール・サルトルの「狂熱の孤独」、そしてチェーザレ・サヴァッティーニの「ウンベルトD」がある。「黒い牡牛」が未見なので断定はできないが、どれが受賞してもおかしくない作品が並んでいる。
赤狩りの裏事情を丁寧に再現して、ダルトン・トランボというハリウッド脚本家を知る上でとても分かり易い伝記映画に仕上がっています。これは、原作者ブルース・クックと脚本のジョン・マクナマラの功績が大きく、演出のジェイ・ローチと撮影のジム・デノールトの個性や技巧の高さを味わうまでの醍醐味は無かった。それでもテレビインタビューで、「黒い牡牛」の脚本家ロバート・リッチとトランボ自ら名乗り上げるシーンのクライマックス、ダグラスやプレミンジャーやホッパーが其々に反応するところは巧い。ハリウッド全盛期の1940年代から50年代に起こった共産主義への理不尽極まりない弾圧を振り返る意味と意義はありますが、実質は言論の自由と表現の自由の重要性を感じ取るべき映画でした。疑問が残るのは彼の畢生の映画「ジョニーは戦場へ行った」に全く触れなかったこと。エンドロールで語られた娘への感謝で、家族思いのトランボの印象で優しく終わっています。
タイトルなし
ローマの休日やスパルタカスの脚本家が赤狩りのために投獄され、出所後も名前を伏せて活動しなければならないこの実話は全く知らなかった。赤狩り自体詳しく知らないが、本人や家族は相当辛かっただろうと想像する。トランボ役の飄々とした演技でテンポ良く進むが、友に裏切られても信念は曲げず、故に仕事は干され、家族を巻き込む。妻役ダイアンレインの温かい演技は心地良いし、ラストのトランボの名が映画クレジットに出た時の安堵感は素晴らしい。こういう一時代があったのだと認識させられる映画。
不屈の人
「マジェスティック」もハリウッドの赤狩りで職を失った作家の映画だったが本作は実話である、「ローマの休日」のゴーストライターは有名なので知っていた、人物に興味があり鑑賞。
映画では不屈の人、寛容のある美談に寄せて描かれているが世間の理不尽さと生活苦から実際は家庭崩壊寸前まで追い込まれていたことが窺えます。
労働者の権利主張が資本家にとって目障りなのは分かるし、軍人には反戦平和主義者が臆病者に映るだろう、どちらの立場であっても都合の悪いことは排除したがる人の本質、力学は残念ながら封印できないのだろう。戦後の新たなソ連との緊張関係から国民感情が愛国反共ムードに流されていた時代背景と重なって生じた映画史の汚点であろう。
捨てる神あれば拾う神ありではないがいくら冤罪で懲役を科しても彼の筆を取り上げることはできなかった。
トランボの凄いところは芸術家と名職人の両方の資質を併せ持っているところだろう、B級からアカデミー賞級まで注文に応じた変幻自在の技量と独創性には驚嘆する。機会があったらキングブラザーズ・プロダクションズ時代の映画も観てみたい。
邦題のサブタイトルに「ハリウッドに最も嫌われた男」とあるが果たしてそうだったのだろうか、性悪ばあさんのヘッダ・ホッパー(ヘレン・ミレン)は別として、保身から関わりたくなかった人はいたかもしれないが、これほどの才能のある仲間想いの人物なら慕う人、惜しく思う人は少なからずいただろう・・。
すごくよかった
トダンボが仕事がなくなり、格安で仕事を引き受ける状況がまさに今のオレと一緒!と思ったのだが、トランボは元々ヒットメーカーで、格安で受けた後も大ヒット作を出すのでそこが今まで売れたことがないオレとは大違い。
家族がよくあるパターンでは、主人公に対してストレスを与える存在になるのだが、この作品では全く逆で、家族があってこそトランボが活躍できる様子が描かれていて素晴らしかった。家族の面々も素晴らしかった。
キューブリックも出して欲しかった。『黒い牡牛』や『スパルタカス』は見ておらず、見たくなった。
B級映画の社長が、協会の恫喝にバットで追い払うところが最高だった。映画コメンテイターみたいなおばちゃんも憎々しくてすごくよかった。
映画とは全く関係ないのだが、オレが売れない理由はサブカルにどっぷりつかりすぎていたせいではないかと、最近ずっとサブカルについて考えていたら、そう思えてきた。要はメジャー作品やヒット作に対して斜に構えてしまうところがあり、そういうのはサブカルの影響だと思う。上手に割り切れる人はそこはうまいことやってヒットに結びつけたりするのだろう。
健全さ
偽名で脚本を書き続ける事で、赤狩りのブラックリストを有名無実化する。
追放から12年。支える家族。その明晰さとユーモアを忘れない姿勢に胸が熱くなった。
辛い状況にあっても。
「名前がどうだろうと主義がどうだろうと、面白いものは売れるんだ、評価されるんだ」という、
ショービズ界の健全さ、経済の健全さ、アメリカの健全さを、誰よりも信じてたのはトランボだったような気がする。
—
赤狩りに立ち向かうテレビマンの実話を描いた『グッドナイト&グッドラック』という映画があった。エド・マーローがテレビで赤狩り批判をしたのが1954年。そこから「赤狩りってやっぱおかしよね」と風向きが徐々に変わりはじめる。
トランボが実名で脚本を発表出来たのは、更にその6年後の1960年。長い年月がかかったなあと思う。
—
この映画の中で印象的だったのは、トランボに嫌がらせをする隣人。
当たり前のことだけど、政治家だけでなく世論…一般の人も、マッカーシズムを支えてたんだなあと思う。
世論に同調する隣人は、60年代になって潮目が変わると、嫌がらせもしなくなる。
我こそが世論と自負してトランボ側をガンガン叩いていたジャーナリスト、ヘッダ・ホッパー。
彼女が完全な潮の変わり目(新しい大統領がトランボ作品を誉める)を目の当たりにするシーンが一番印象深かった。
追:コーエン『ヘイル、シーザー!』にもトランボ&ヘッダ・ホッパーが出てくるけれども、そちらはだいぶ捻っている。本作見てから『へイル〜』見る方が、分かりやすいのではないかと思う。
偏屈にまっすぐに生きた男の話。
5月に公開していた「ヘイル、シーザー!」と時代が重なります。「ヘイル、シーザー!」ではよく分からなかった戦後ハリウッドと赤狩りについて、すこし理解を深める事ができました。また、そういったことを除いても、単純に良作だと思います。
共産党員だったトランボさんは、赤狩りが激化する映画業界で奮闘していましたが、聴聞会に引っ張り出され、証言を拒否したところ、議会侮辱罪で投獄されます。服役後に、再起を図るも、難しい。なりふり構わず、偽名で、B級映画の脚本・手直しを破格で山ほど引き受けて、糊口を凌ぎます。妻・娘たちも仕事の手伝いに借りだし、家族のための仕事が、仕事のために家族を振り回す、見事な本末転倒となり、妻・長女から反発を受け、トランボさんは態度を改めます。その内、黒い牡牛(知らない映画です)とローマの休日にて偽名でアカデミー賞を受賞します。
その後、長女に言われてローマの休日は自分が書いたっていいなよと進言されたり、変わり者のスター俳優、監督から脚本書け書け、本名でのせちゃると後押し(ごり押し?)をうけ、スパルタカスと栄光への脱出を書き、映画界に表立って復帰していったというお話です。
ラストに、1970年ごろだったかに、過去を振り返ったスピーチをする場面があり、そのスピーチがすばらしかったです。裏切らざるを得なかった者も、戦いの中で命を落とした者も、みんなつらかったよね的内容(酷い要約ですみません・・・)でグッと来ました。
劇中ではローマの休日は俺が書いたもんね!とテレビのインタビューでゆってた気がしますが、wiki調べによると、ローマの休日を書いたのがトランボだと分かったのは彼の死後だったようです。
家族の物語としても素敵でした。妻が、正に賢妻って感じで、基本は夫を信じるだけなんだけど、本末転倒の生活で大事なものを見失った夫への抗議は的確でした。そして、エルファニング演じる聡明な長女がまたよい。父の娘ですよね・・・。ちゃんと謝ることのできる男と、そんな男を愛する女でしたよ。家族みんなでアカデミー賞の授賞式みて、やったーパパナイス!ってハイタッチする感じもほのぼのいい感じです。
ヘレンミレンが気取った帽子の反共コラムニストを演じており、いい味出していました。コミュニスト迫害のために、映画会社の偉い人が必死に隠していたユダヤ人であることを持ち出して脅したりしていました。彼らを首にしなければばらすぞというやつです。そういえば、映画産業には多くのユダヤ人が関わってきたと聞いたことがあると思いました。そのかかわりはおおっぴらなものではなく、名前を隠す必要があったのだなと想像しました。
また、裏切ったコミュニスト仲間の俳優が、あんたら(脚本家などの裏方)は名前を変えたら生きる道もあるけど、俳優は顔を隠せない。思想を捨てなければ仕事がもらえない、仕方がなかったと訴えていました。それもそうだと思いました。その選択を、陥れられた方としては許せないけれども、一定の理解はできるという描き方でよかったです。
役者はあまり知らない人ばかりでした。ヘレンミレンとジョングッドマン(バッドで大暴れ最高)とエルファニングぐらいでしょうか。なんせトランボ役の方を全然知りませんでしたから。
水に浸かっての執筆風景やインコをなでなでする感じが変人って感じで好きです。
最も書いた男。
トランボと聞いても今ひとつピンとこないと思うが名作
「ローマの休日」の脚本家(だった、実は)と聞くと分かる
人も多いんじゃないだろうか。何と彼は二回もオスカー
を受賞している(でも偽名で)非常に有名な脚本家なのだ。
彼の才能に対し時代は皮肉なもので、当時は赤狩り旋風
真っ只中、共産主義者の彼はハリウッドから追放される。
有名なハリウッド・テンの一人となるが、監督や俳優にも
被害者は多数いる。チャップリンなども恐れられて追放、
身を守るために同業者を密告する者が多数いたのも事実。
監督のエリア・カザンが名誉賞を受け取った時、皆が拍手
しなかったのは彼が密告者だったからで、今作ではエド
ワード・G・ロビンソンがそれと同じ立場で描かれている。
しかし何よりこの時代を言葉で表現したトランボの最後
の演説は爽快だった。生活のためやむを得ず密告せざる
を得ない立場に追い込まれた者を恨んではいないと丁寧
に語る彼が言葉にも人間力にも優れていた人だと分かる。
家族を愛し大切にした父親像も描かれ、のちに反発する
娘や忠告をする妻も彼が生活の全てを握っていることを
よく認識していた。家族揃ってテレビで授賞式を見る姿
はなんと微笑ましいことか。呼ばれる名前は偽名なのに…
トランボが指名された理由に仕事の速さが挙げられるが、
オリジナルを仕上げた上に手直しまでも請け負っていた。
もの凄い仕事量をかなりの速度で仕上げる力を持った人
だったことが分かる。仕事のできる人ってやっぱり速い。
彼を支えた妻をD・レインが好演。その他J・グッドマン、
H・ミレンなど、共演陣も豪華に怪演していて素晴らしい。
やっぱりハナシが面白くなきゃ映画じゃないでしょ~と
常に思う自分は、かのおバカヒーロー映画が発した真の
ヒーローは脚本家だと評するオープニングに多いに賛同。
トランボの作品はローマ以外にも面白い作品がたくさん
あるので、若い世代も観たら納得がいくんじゃないかな。
(ただ黙々と書き続ける姿に感動。闘うならそこだよね!)
今年大好きな映画の一つになった!
・・・だから、気になったロードショー作品は一本たりとも、劇場で見逃しちゃいかんのだっ!と痛感した一本でした!やはり映画館通いは映画フアンたるもの、絶対必須条項なのです!TV画面で2、300円でレンタルしたDVDソフトをぼーっと観るのとは、集中力も違えば、名作に出会えた瞬間の喜びは、それと代え難い至福の喜び!しかも何も前評判無しで自力でそれに巡り合えた喜び!映画館で感動出来る喜び!この作品で、正にそんな瞬間を味わえました。
この手の「伝記映画」は必ず、後になって「ここは史実と違う」「実際はこんな綺麗事では・・云々」というのが付きまとうのが常だが、個人的に言わせてもらえばそんなのナンセンス極まりない!ドキュメンタリーじゃなけりゃ、「事実」なんてどうだっていいんだから!映画の脚本はその為の物で、演出で感動的に仕上げてあるんだから「事実」とは別の世界がそこには広がっている。・・・別にこの作品に関して、そんな「蛇足」は何も耳にしてないけど・・・。役者でいうと、主人公も良いけど、奥さんのダイアン・レイン!良い女優さんになった!あと安物映画のプロデューサー兄弟の一人、ジョン・グッドマン!決して善人じゃない・・けど悪党でも無く、イデオロギーより、力関係より、兎に角金儲け優先!という味のある曲者を相変わらずの巨体に物言わせて好演してすんごく良かったです。「アルゴ」といい「マチネー」といい、この人ホント、インチキプロデューサーみたいな役ははまり役なんだよなぁ!あとエドワードGロビンソン役の人も良かった!決して友を売った奴だけが悪かった訳じゃない、皆、時代の犠牲者だった、っていう、今から考えると、訳の解らない、アメリカの「狂気の時代」を明確に伝える良い映画でした。ラストのトランボの受賞スピーチからエンドクレジットの映像までのくだりは、涙無くして見られない名シーンです。あ、あと「ヘレン・ミレン」も全く感情移入する隙を与えない極悪非道な悪女ぶりが徹底していて、素晴らしかったです。この映画の趣旨の為に身を投げ打って打ち込んだ演技には頭が下がります。このタイミング、これからのアメリカが、また危ない時代が再来する前触れを告げている様に取れて仕方ありません。今後のアメリカの「良心」に期待を込めて、この映画の成功を祈っています・・・。
映画の神に愛された男
似たような映画に『真実の瞬間』があるが、あれは架空の映画監督だったのに対して、こちらは有罪判決を受けた、いわゆるハリウッド・テンのひとりである実在した脚本家の半生を映画化しているが……
印象としては重苦しいどころか、軽やかでスラスラと観れてしまう。
もちろんシリアスなシーンは沢山ある。裏切り、屈辱、生活苦、家族の崩壊の危機、そして別れ。なのにだ。
これはトランボを演じるクランストン(他出演陣)の力量だけではなく、監督のジェイ・ローチの手腕とがみごとにシンクロした結果としか考えられない。
『オースティ・パワーズ シリーズ』でもそこはかとなく感じていた「映画への愛」が、ここでもちゃんと存在するのだ。
だから「国家の敵」として認められた男が家族の協力と共に自らの力量で名誉を回復してゆく様を一種のさわやかな感動で終われるのは当然だ。
国家は映画の神と戦って負けたのだから。
伝記映画の堅苦しさを、主演男優の軽妙な演技が跳ね飛ばす。
今では「ローマの休日」と「アカ狩り」の関連は、ある程度の映画好きなら知られたエピソードだと思う。ダルトン・トランボは「ローマの休日」の真の脚本家であり、共産党員であるというだけで謂れのない迫害を受けてきた男だ。「ローマの休日」から数えてもう半世紀以上の月日が経つ。もう一度、過去の人間の過ちを見つめ直してもいい頃だ。
オープニングでは一気に高揚感が湧く。ビッグバンドジャズのサウンドに乗せて、小気味良くタイプライターを叩く指先が映し出され、伝記映画の堅苦しさを跳ね飛ばす。幸先のいいオープニングだ。そしてこの、ジャズとタイプライターという組み合わせは、本編に入ってからもトランボの「筆がノッている時」の象徴として度々登場する。これがたまらない。全編に亘ってこのノリがもっと活かされても良かったと思うほどだ。
映画としては大きく分けで二本の柱がある。一本は、俗にいう「アカ狩り」の影響で立場を失い職を失い居場所を失くしていく不条理さ。そしてもう一本が、偽名を使いながらハリウッド映画界をサバイブし、前述の「ローマの休日」のほか「黒い牡牛」や「スパルタカス」などの後世に残る名作の製作裏話のような側面としての楽しみだ。その二本の柱どちらかに偏ることなく、双方がバランスよく描かれており、社会派ドラマとしても、また映画マニアが思わずニヤリとする内幕ものとしても、どちらも最後まで興味を保たせているところがなかなか上手いと思う。「アカ狩り」ばかりが語られ過ぎても主張がうるさくなるし、かといって名作秘話みたいな話ばかりが続いてもつまらなかったはずだ。
しかし何にせよ、主演のブライアン・クランストンの演技がとにかく巧い!オープニングのジャズとタイプライターの小気味良さ以上に、クランストンの演技が軽妙かつユニーク。彼のステップを踏むような粋な演技が、物語が持つ重苦しさを飄々と跳ね返していく。思わず「のらりくらり」なんて言葉を思い出してしまった。実際のトランボの人生を思えば「のらりくらり」だけで乗り切れたはずがないが、クランストンはトランボに軽やかさを見出し、その生き様をジャズのアドリブ演奏のように自由かつ大胆に演じ、見事に決まった。ジャズのアドリブ演奏は大変な技術と知識と感性がなければ成り立たない。一見「のらりくらり」でも、その奥にあるトランボの才能と苦悩と知性と行動力を、クランストンは決して見落とさない。実にニクい。
トランボには、「名前」という看板を外してなお、二度もオスカーを受賞するだけの才能があった。だからこそ逆転のチャンスを勝ち取ったが、実際には、逆転できるほどの才能を持たずに自ら命を絶つほど追い込まれた人も少なからずいた。我々は、つい自分と違うものを排除・攻撃しがちだが、それが本当に正義なのか、きちんと顧みなければならないと、再度自分を戒める。ナチスにせよアカ狩りにせよ、もっと身近な問題でも「己と異なる他者」への攻撃というのは、人間が幾度も繰り返してきた愚かな過ちの一つだと思う。われわれは半世紀前の事実を決して無碍にしてはならないし、そういうメッセージを少しも説教臭くならずに映画として表現できたこの作品が私は大好きだ。
全14件を表示