「陽が昇るまで堪えてくれ」少女(2016) 浮遊きびなごさんの映画レビュー(感想・評価)
陽が昇るまで堪えてくれ
原作未読。
『告白』の湊かなえ原作、というフレーズや予告編を
観る限り、相当にドロドロな作品ではと身構えていたが、
真摯で優しい内容の良作でした。
* * *
とはいえ、褒めるのは後回しにして、まず不満点から。
せっかく2人が親友であることを再認識した場面に
水を差して悪いのだけど、あそこで重傷のタカオさん
を放って行くのはさすがに不自然。おまけに彼が
無事だと分かっているならともかくとして、あんな
タイミングで無邪気に笑い合えるもんかしら?
また、物語全体として、
ネットいじめや終末医療や認知症介護や
教職者の性犯罪や援交や痴漢冤罪やと
現代的なネタをもりもり盛り過ぎてどこに
焦点を合わたいのかハッキリしないのも難。
あと、サスペンス映画でちょくちょく見られるが、
別に『全登場人物が意外な所で繋がっていた』という
展開を無理に持ってこなくても良いと個人的には思う。
せっかく現実に即したテーマを扱っているのに
現実味が薄れてしまう気がするし、物語の世界が
かえってこじんまりしてしまう印象を受けて嫌。
同種の人間を登場させて匂わせるだけでもいいじゃない。
* * *
などなどの不満はあるものの、観て損無しの3.5判定。
厭世(えんせい)的かつ冷笑的に開幕しながら、最後に
ポジティヴなテーマに落とし込む優しさが好き。
責められ、なじられ、罵られ、
もうこの世界に自分の味方はいないと感じると、
自分なんてこの世界には不要なのではと思える。
不要ならば誰にも迷惑を掛けないよう
いっそ消えてしまいたい、そう思うようになる。
『死』が魅惑的な選択肢として浮かぶのはそんな時。
繰り返される、暗く美しい水没のイメージ。
ミレーのオフィーリアを彷彿とさせる、海に浮かぶユキの姿。
人は自分の死にドラマチックなものを期待する。
舞台のごとく美しく儚い幕切れを期待する。
しかしだ、
そのドラマはあくまで自分の中で完結するもの
であって、遺される人間からすればそんなもの、
美しくもなんともない。ただ血生臭く悲しく虚しいだけだ。
ユキは ひと1人が死ぬということを十分に
理解していないままに『死』に憧れている。
だが、死とまともに向き合う子ども達と接する
ことで、彼女は少しずつその認識を改めていく。
大切に想えるものを亡くすまでは、大抵の人間は
死がどんなものか、そしてどんな影響を及ぼすかを
実感できないものだと思う。
(理解した上で自死を望む人もいるが
この映画の主題ではなかろうなので飛ばす)
死にたいくらいの気持ちに追い込まれながらも、
最後の最後に互いを救うことができた親友ふたり。
相手のことを何でも知ってるから親友、って訳じゃない。
相手のことを心の底から心配し、自分だけでも
味方になってあげなくちゃと思えるから、親友。
世界にたったひとりでも味方がいると思えれば、
人は前を向いて生きていけるものなのかも。
* * *
けれど、救われなかった少女もひとり。
「退場!」だなんて笑わないであげてくれ。
暗過ぎて、深過ぎて、彼女には光が届かなかったのか。
そもそも彼女に手を差し伸べてくれる人はいたのだろうか。
世界は広い。自分が思っているよりもずっと広い。
これだけ広いんだ。今は居場所がないと感じても、
まだそれを探せる余地は残っている。
綱渡りだと思っていたが、陽が昇れば
足場は十分に残っていることに気付くはず。
もう少しだけ待っていてくれれば。
陽が昇るまで堪えていてくれれば。
<2016.10.8鑑賞>
.
.
.
.
余談1:
本田翼、最近良いわぁ。
暗いシーンと明るいシーンのコントラストが鮮やか。
彼女が演じるユキの演劇的な台詞回しや“闇”“漆黒”などの
言葉のチョイスは聞いてて何だかこそばゆいのだが、
あれは思春期特有の「自分はユニークな存在であり
世界の真理を知っている」という過剰な自意識から
くる言動……まあいわゆる“中二病”的な印象もあり、
それはそれでリアルに感じた次第。
山本美月も好演。カイザー・ソゼっぽくて良いね。
(↑他に良い誉め言葉は無かったのか)
余談2:
エンディングテーマの『闇に目を凝らせば』が
物凄ーく気に入ってしまい、詠ってるGLIM SPANKY
のCDを鑑賞した日にお店で探してみたのだけど、無い。
「ああ、売り切れてますねえ……。『ONE PIECE』
効果ですかねえ。映画の主題歌で。」と店員さん。
おのれ麦わら海賊団 許すまじ。
(↑言い掛かり)