「マーベルとDCの差が何かをわからせてくれる映画」アクアマン みちすうさんの映画レビュー(感想・評価)
マーベルとDCの差が何かをわからせてくれる映画
MCU(マーベル・シネマティック・ユニバース)の誕生以降、尋常ならざる速度で生み出される続けるヒーロー映画。DCシネマシリーズもその一角を担っているわけだが、何かとマーベルと比較されては低い評価に落ち着くのが常に思える。実は原作アメコミの人気具合で見ればさして大差のないマーベルとDCなのだが、なぜ映画化した途端ここまで大きな差が開いてしまったのかについてはこれまでも多く語られてきた。そしてその答えの全てがこの作品に詰まっていると感じた。
簡潔に言えば「興味がわかない」のだ。MCUの代表作とも言えるアイアンマンやキャプテン・アメリカなどは、不完全な一人の人間が自分の信念を信じてヒーローに成る話だ。周りとの衝突や、利益のために力を利用する悪と対峙しその成長を共に感じられる。主人公に共感し、感情移入し、興味を持ち、応援したく成る。だから面白いと思う。一方DCの映画というのはなんというか始めから強いやつがもうすでにヒーローとして存在しており、それに拮抗するこれまた強い敵と戦うという一辺倒なストーリーが多いのだ。今作アクアマンも残念ながら例外ではない。これは、例えば元々原作のアクアマンの大ファンで、あのキャラクターが大暴れするところが見たい!という人間からすれば楽しめる映画かもしれない。しかし、そもそもアメコミに馴染みのない日本人の私からしたら、良くわからないけど強いやつがいてそいつが敵と戦っているんだなぁという程度の話としてしかみることができないのだ。これは主人公についてのみ言えることではなく戦い一つを取ってもそうだ。同じような理由で同じように何度も攻めてくる敵を同じように叩きのめす。それの繰り返しで、途中からこれはなんで戦っているんだったっけ?と忘れてしまうほどだ。またしてもマーベルを引き合いに出すのは心苦しいが、シビル・ウォーでのアイアンマンVSキャプテン・アメリカの戦いを見ている時の自分の中で揺れ動く感情は今でも忘れられない。どちらも応援したいしどちらの気持ちもわかるのだが、戦わないでほしいと思う強い気持ちがあった。果たして本作の戦闘シーンにそんな葛藤を感じたり、強く誰かを応援したく成るようなシーンがあっただろうか。映像が美しいのは結構、CGやワイヤアクションで素晴らしい演出を魅せてくれるのも結構、だがその戦いになんの中身もないせいでそれら全てが安っぽく見えてしまうのは勿体無いと思う。もとより桁違いの怪力や超能力を持つ人間に共感する方が難しいヒーロー映画だが、だからと言って開き直ってしまっては結局観客との距離が開きすぎてしまい駄作と成り果てるという良い例だった。