裸足の季節のレビュー・感想・評価
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【自由恋愛を認めない旧弊的な思想が蔓延る土地、親族から自由への脱出を図る幼き少女達の姿を描いた作品。彼女達の明るい未来を感じさせるラストが救いだと、勝手に思った作品でもある。】
ー トルコは、もっと女性の人権が尊重されている国だと思っていた。けれども、今作を見る限りではそれは首都イスタンブールに限られた事であり、田舎ではそうではないようである・・。-
◆感想
1.物語は、美しき5姉妹のヤンチャな末っ子ラーレが、担任の女性教師ディレッキがイスタンブールへ移る別れのシーンから始まる。
2.その後、5姉妹は男の子たちと地中海の海辺で戯れるシーンが映される。普通の青春映画のようである。
3.だが、その姿をみていた年配の女性ペテーキが彼女達を育てている祖母(両親は居ない。)に告げ口した時から、
・クソ服と彼女達が呼んでいる、茶色い服を着させられるわ
・処女検査!をさせられる、ソナイ、セルマ、エジェという5姉妹のお姉さんたち。
- オイオイ、女性の人権をどう考えているんだよ!年頃の娘さんに処女検査って・・。-
4.ソナイ、セルマは時折、夜密かに脱出するが、鉄格子を窓に嵌められ、外に出れない。学校にも行けない・・。
5.イスタンブールで行われるサッカーの国際試合を見たい、ラーレ。姉たちとバスに乗って出かけようとするが・・。
- ここで、彼女達をトラックに乗せる若者セシンが、この後、重要な役割を果たす。そして、イスタンブールのサッカー場では女性達が応援している中で、5人姉妹の姿がTVに映し出され、祖母が行った事・・。-
6.悲劇は突然起きる。自由恋愛を禁止られたエジェの自死。ソナイ、セルマは叔父が決めた結婚に同意するが・・。
<ヌルとラーレは、幼きゆえに、旧弊的な男尊女卑思想が耐えられなかったのであろう。セシンに連れられ、イスタンブールへの脱出を図る。
彼女達の勇気ある、自由を求めての行動には、心打たれる。
そして、ラーレが大好きだった元担任の女性教師ディレッキの家を探し出し、深く抱き合うのである。
資料を見ると、今作の公開は2015年である。
トルコでは、未だ唾棄すべき男尊女卑思想が蔓延しているのであろうか・・。
暗澹たる気持ちになるよ・・。>
抑圧から生まれる性的好奇心と反抗心
トルコの田舎町で暮らす5人姉妹の物語。
古い慣習のせいで、自由のない彼女たち。
男子と水遊びしただけで、外出禁止。
厳格な叔父は、監獄のように家を塀や柵で囲い、家の中では良妻養成が始まる。
結婚には純粋でなくてはならないために、処女検査まで行わされ。
肩車が淫らな行為?ふざけんなって言いたくなる。
とにかく、彼女たちの抑圧された姿は見ていて苦しい。
そして、1人、また1人とお嫁に貰われていき…
伝統や慣習の線引きって難しいですね。
これが昔からのこの地域での作法だと、守ることもできるけれど、時代に合わせておかしいところは修正、というか、統一というかを、していかなければならない。
基本的に男装女卑なんですが、婿側にも決定権ないように思いました。
「息子に代わって婚礼」ってなんだよ。
結婚しても見られながらの初夜って…
出血ないから処女じゃない?
必ず出血あるわけじゃないでしょ。
🍒の自分でさえわかるわ。
ただし、これは末っ子ラーレの勇気の物語。
みんなで行ったサッカー観戦(ここのエミネ叔母さんはナイス!)、嫌々ながらよくしてくれたヒーロー・ヤシン、そして、最後のハラハラ脱走計画。
もう、5人で集まることはできないけれど、彼女たちのちょっとちょっとの反抗が、大きな力になることに、こちらが勇気をもらいました。
ハッピーエンドで本当良かった。(次に胸糞映画観る予定というのもありますが、)バッドエンドなら、軽く病んでました笑
人は清くあり続けることはできない。そもそも清いとは?
抑圧されれば、なおさらのこと。
自分の話で申し訳ないが、自分も気づけば性に目覚めていた。誰に言われるでもなく。
これは決してトルコの田舎町だけの話でなく、とても身近な話なんだと感じました。
男尊女卑
ソナイ、セルマ、エジェ、ヌル、ラーレの5人姉妹。男子たちと海で騎馬戦などやっていたことを近所のおばさんが密告したため軟禁状態となった。主に料理ばかりだったが、退屈な毎日。末っ子のラーレ(推定13歳)はサッカー好きなため、女性子供デーとなった試合を観に行きたくてしょうがない。他の姉妹もつまらない日常から抜け出したくて5人そろって家を抜け出し観に行ったのだ。それがきっかけで軟禁状態も厳しくなり、さっさと結婚させちゃえ!ということになった。
2人は決まり嫁に出たが、残された3人のうちエジェにも話が持ち上がり、ひょっとしたことからエジェは銃で自殺。そして、ラーレは1000キロ離れたイスタンブールまで逃げることを計画する。運転を覚え、脱走。そしてバスに乗って逃げおおせたのだった・・・
トルコの古い習慣、封建的な思想と男尊女卑の村。閉塞感ただよう中で殻を打ち破りたい衝動はよく伝わってくる。処女性については余談のような気もした。
人間の尊厳のために☔︎パンフ購入
夏をすごい感じる映画
最初の雰囲気とは一転する後半の事件の連続
末っ子を主観にする事で、大人の駄目さが際立つ
5人乗ってたクルマが三人だけになると
本当に切なくなるんだよなあ
なんとなくマッドマックスのあの女達思い出した
トラック男は本当にいい奴だったなあ
そこからバスからの眺め
それを見る顔
思い出す姉たち
姉にも見せたかった景色
味合わせたかった
あのシーンは本当にカタルシスだった
さいご、先生はかわいいラーレと言ったけれど本当はすべての大人がそう思わなきゃいけないし、すべての子供がそれを感じるべき
素晴らしい映画だった。
危うくて性的である事は美しさのはずだ。
5人姉妹は、年相応の危うさと欲求がある、普通の女の子に思えた。
子供だから、当然浅薄で、向こう見ず。
自分がどう見えるか、どう消費されるかに気付いていない。
それと同時に、性に目覚めつつもある。
よって、彼女らの一挙手一投足が、危なっかしい。
でも、成長の一過程であって、望ましい変化なのに、
それを淫らだと断罪して抑圧することはだれのためなのか。
全編を通じて、私は怒りを感じていた。
女だけが貞操を強要される世界。
男に許されることが女には許されない世界。
程度に開きはあるが、トルコでも日本でもインドでもアメリカでもどこでも
たぶんそうだ。2016年のいまでも、そうだ。
女は抑圧されている。男の作った基準に。
これからも、そう、では嫌だから、今、女たちは嫌だといおうとしている。
そんな叫びと、少女たちの無垢で野生的な魅力が堪能できる映画だ。
抑圧の中を掻い潜って、サッカー場に行ったり、
こっそり男の子と逢引したり、シーツの海で泳ぐ遊びをしたり、
姉のブラジャーを服の上からつけてみたり。
懲りない自己主張に、もっとやれもっとやれ!と気分が高揚した。
長女は要領よく好きな男に求婚させて、喜びの中で結婚してゆく。
次女は長女にあてがわれるはずだった男にいやいや嫁がされ、
初夜に出血しなかったため、処女性を疑われ医者につれていかれる。
三女は結婚の勧めにおとなしく従うそぶりであったが、承服していなかった。
結婚相手ではない男と交わり、その後あてつけのように自殺した。
四女もついに嫁がされることになるが、
結婚式の当日に五女ラーレの協力の下、おじさんと監獄のようなふるさとから逃げ出した。
五女ラーレが主人公といえよう。
海での騎馬戦を祖母に告げ口した隣人に「クソ色の服を着ているのがそんなにえらいの?」と、
噛み付き、トラック運転手に車の運転を教わり、祖母のへそくりをくすねて、
姉と一緒に逃げた。
この逃避が、希望であり、まぶしく思えた。
訪ねた先の先生(恋人と同棲中の若い女性教師)や、イスタンブールの大人たちが、
少女たちの逃亡を受け止めていたのであって欲しいと思った。
祖母や周りの女性も、抑圧の中で、そうしか生きられずにいた様子が伺える。
息子であっても男の意に従わされる。
女達を苦しめるのはまず女の中にある性差別だ、という話を聞いた事があるが、
祖母や周りの大人の女性の振る舞いは、正にその通りに思えた。
そして、おじさんである。
三女と四女に性的暴行を行っていたとにおわせる描写があった。
祖母に知られても平気な顔。許せない。
こんな男が、祖母のことも姉妹達のことも「所有」しているなんて。
こんな男の一存が、彼女達の全てを規定しているだなんて。
言いようのない怒りがこみ上げた。
上質な映画だと思う。
映像が雄弁だったし、閉塞感の中にもユーモアがあった。
何より、少女達が本当に野生の馬のようで、
手懐けることなど到底適わない、輝きに魅力を感じた。
危なっかしくてまぶしい女の子たちに、うっとりと見とれた。
それを味わうだけでいいのだけれど、
どうしても抑圧への怒りを抑えられない。
私はフェミニストなんだな、それが今の自分の核なんだなということを
つよく実感した。
男性社会
トルコが特別なわけではなく、イスラム教が特異なわけでもなく、世界の国のほとんどは男性社会です。
何故「レディファースト」や「女性活躍推進法」があるのでしょうか。それは、男性を中心として社会が動いているからに他なりません。
ラーレを始めとする姉妹と村の慣習は、世界中の女性達と男性社会の関係を象徴しているかのようでした。女性は、男性社会を守るために存在している。
しかし、ラーレ姉妹は勇敢にも村の慣習を拒絶し、村を離れて生きていこうとしています。追い詰められたラーレが頼ったのは、慣習通りに生きている人ではありませんでした。
人生は、自らの行動力でしか変えていくしかないようです。
このことは、何も女性だけに限ったことではなく、慣習に息苦しさを感じている全ての男性にも当てはまるのではないでしょうか。
ラーレはLady Mustang
一見、トルコの田舎という遠い世界の話のようですが、我々の世界とも地続きな物語だと感じました。
個人を尊重しない価値観によって自宅が牢獄化し、親の意志で結婚を決められてしまう。この映画だと本当に強制されるのですが、ここ日本でも無言の圧力で子どもの意志が去勢されてしまうケースはたくさんあるはず。三女エジェの自殺は悲しすぎるけど身近な感じがしました。
5人の姉妹も気の毒だけど、あの抑圧的な価値観に縛られている村人たちも悲しい。祖母やクソ叔父も含めて。女性は言わずもがな、男性も幸せじゃないよね。
異常に横暴で、深夜に姉妹の寝室に出没する気持ち悪すぎる叔父からは、まったく満たされていない超不幸せなバイブスがビンビンに伝わってきました(同時期に上映している『葛城事件』の清とよく似てます)。誰も幸福にならない村ですね。
ラーレたちがついに逃げ出すシーンで「行かせてやれ!」という声があったけど、あれはグッときました。あの言葉を言った人は、自分が本当になりたかった姿をラーレに重ねたのでしょう。
ラーレの勇気、実行力は最高です!
車も自分で運転しようとしていたし、自分の力で地獄から抜け出してやる!という意志の強さがカッコよかった。
まさにMustang!
トラックの運ちゃん・ヤシンもナイスガイでしたね〜。そしてイスタンブールの先生。「かわいいラーレ」って言葉、素敵でした。あの村でかわいいって言葉、絶対にかけてもらえないですから。
あれじゃぁ逃げ出したくもなります・・・
5人姉妹、美しいです!
ロリコンが観たら、ヤバイんじゃないかっていう映像満載です。
それにしても処女じゃないとあんなに大問題になってしまうなんて驚きです。
あれじゃぁ逃げ出したくもなりますよね。
サッカーを観に行った時の末っ子の表情が本当に楽しそうでイキイキしててステキでした!
あんな毎日を送れたら良かったのに。
少女たちの眩しさが、古い慣習に縛られた社会に打ち勝つ。
冒頭から、眩しいようなシーンが続く。舞台は北トルコの田舎町。突き抜けるような水色の空、ターコイズブルーの海と白い浜。柔らかなオレンジ色の輪郭をした光が差し、濃緑の草や葉がそれを跳ね返す。まるで自然という名の万華鏡を回すように色彩豊かで煌びやかだ。更にその中に駆け込む少年少女の若々しさ。服も脱がずに海に飛び込み、しぶきをあげて燥ぐ少女たち。あまりの瑞々しさに目が眩む。しかし、その眩しさこそが、少女たちの運命を変えてしまう。
つまりは、海辺で男の子に肩車されて無邪気に遊んでいたのを、周囲の人々が勝手に性的なイメージと結びつけて「穢らわしい」と非難しはじめるのだ。田舎町の小さな世界の中では、そんな風評が広がっては嫁の貰い手がなくなると、少女たちは家の中に閉じ込められ、窮屈な日々を送る羽目に合う。そして本人の意志とは関係なしに縁談を勝手に取り決められてしまうのだ。それにしても「下半身を男の子の首に擦り付けていた」だなんて、なんて下品な解釈だろう。ただの微笑ましい肩車だったのに。
ここで取り上げるべきは、少女たちが自分たちなりの方法でそんな古い慣わしと閉鎖性に反抗する点だろう。泣いて嘆いて悲劇に浸る者はないのが心強い。それでも最後に望まない結婚に従うしかできないところに、空しさと切なさが残る。少女たちも、慣例に刃向かいながら、一方で従うことを受容している。これはこの映画だけの話ではないし、トルコだけの話ではない。もっと身近な身の回りの世界に通じることだ。日本でも、女性を性のレンズ越しにしか見ない風潮はまだ色濃いし、それに迎合することで得しようとする女の存在もある。自立したキャラクターで売れていた女性タレントが結婚し子どもを産んだ途端に家庭的アピールを始めるなどは、まさしく「慣例に反発しながら最後には慣例を受容してしまう」典型ではないか。
だからこそ、最後に末娘のラーレが見せる反逆と脱獄に一気に熱がこもる。女性を縛ることしかできない古い慣習にラーレは堂々と蹴りを入れて駆け出す。その小さな少女の姿に、大きな勇気をもらう。
この映画に出てくる少女たちは、本当にキラキラと輝いて目映い。ポップコーンのように飛び跳ね、鈴の音のように笑い、姉妹がじゃれ合う姿はまるでジェリービーンズが転げているかのよう。正真正銘「少女の輝き」に溢れている。そんな姿を見ていると、強い風に吹かれ気ままになびく長い髪のように、少女は自由であるべきだと強く思う。
保守的な叔父から「恋愛の自由」を奪われた5人姉妹の悲劇
現在のトルコの結婚事情は、映画のようなものなのか?
裸足の季節(=青春を謳歌できる世代)に、恋愛を大人に束縛されるのはキツイ。長女・三女の姉妹の結婚のさせ方はあまりにかわいそうでならない。三女⇒自殺。叔父があまりに保守的な人間として描かれているが、強引なお見合い結婚はどうであろうか。男尊女卑のなにものでもない。日本も、昔は興信所で相手の素行調査をして
から結婚をしていたらしい。(小津安二郎作品『麦秋』より)
最後、イスタンブールへ五女ラーレは自分の家から逃げられた場面はハラハラさせられた。車のキーの在りかの見つけ方がイマイチ。だが、イスタンブールは、現在は非常に「ISIL」により治安が物凄く悪い。危険な道をえらんだなと思った。最後、ラーレの
夢に三女エジェが出てきたところは、グッと来た。
ところで、ヤシンという男が、なんか正義の人間に見えた。
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