「危うくて性的である事は美しさのはずだ。」裸足の季節 だいずさんの映画レビュー(感想・評価)
危うくて性的である事は美しさのはずだ。
5人姉妹は、年相応の危うさと欲求がある、普通の女の子に思えた。
子供だから、当然浅薄で、向こう見ず。
自分がどう見えるか、どう消費されるかに気付いていない。
それと同時に、性に目覚めつつもある。
よって、彼女らの一挙手一投足が、危なっかしい。
でも、成長の一過程であって、望ましい変化なのに、
それを淫らだと断罪して抑圧することはだれのためなのか。
全編を通じて、私は怒りを感じていた。
女だけが貞操を強要される世界。
男に許されることが女には許されない世界。
程度に開きはあるが、トルコでも日本でもインドでもアメリカでもどこでも
たぶんそうだ。2016年のいまでも、そうだ。
女は抑圧されている。男の作った基準に。
これからも、そう、では嫌だから、今、女たちは嫌だといおうとしている。
そんな叫びと、少女たちの無垢で野生的な魅力が堪能できる映画だ。
抑圧の中を掻い潜って、サッカー場に行ったり、
こっそり男の子と逢引したり、シーツの海で泳ぐ遊びをしたり、
姉のブラジャーを服の上からつけてみたり。
懲りない自己主張に、もっとやれもっとやれ!と気分が高揚した。
長女は要領よく好きな男に求婚させて、喜びの中で結婚してゆく。
次女は長女にあてがわれるはずだった男にいやいや嫁がされ、
初夜に出血しなかったため、処女性を疑われ医者につれていかれる。
三女は結婚の勧めにおとなしく従うそぶりであったが、承服していなかった。
結婚相手ではない男と交わり、その後あてつけのように自殺した。
四女もついに嫁がされることになるが、
結婚式の当日に五女ラーレの協力の下、おじさんと監獄のようなふるさとから逃げ出した。
五女ラーレが主人公といえよう。
海での騎馬戦を祖母に告げ口した隣人に「クソ色の服を着ているのがそんなにえらいの?」と、
噛み付き、トラック運転手に車の運転を教わり、祖母のへそくりをくすねて、
姉と一緒に逃げた。
この逃避が、希望であり、まぶしく思えた。
訪ねた先の先生(恋人と同棲中の若い女性教師)や、イスタンブールの大人たちが、
少女たちの逃亡を受け止めていたのであって欲しいと思った。
祖母や周りの女性も、抑圧の中で、そうしか生きられずにいた様子が伺える。
息子であっても男の意に従わされる。
女達を苦しめるのはまず女の中にある性差別だ、という話を聞いた事があるが、
祖母や周りの大人の女性の振る舞いは、正にその通りに思えた。
そして、おじさんである。
三女と四女に性的暴行を行っていたとにおわせる描写があった。
祖母に知られても平気な顔。許せない。
こんな男が、祖母のことも姉妹達のことも「所有」しているなんて。
こんな男の一存が、彼女達の全てを規定しているだなんて。
言いようのない怒りがこみ上げた。
上質な映画だと思う。
映像が雄弁だったし、閉塞感の中にもユーモアがあった。
何より、少女達が本当に野生の馬のようで、
手懐けることなど到底適わない、輝きに魅力を感じた。
危なっかしくてまぶしい女の子たちに、うっとりと見とれた。
それを味わうだけでいいのだけれど、
どうしても抑圧への怒りを抑えられない。
私はフェミニストなんだな、それが今の自分の核なんだなということを
つよく実感した。