「『海よりもまだ深く』(2016)」海よりもまだ深く Takehiroさんの映画レビュー(感想・評価)
『海よりもまだ深く』(2016)
『海よりもまだ深く』(2016)
離婚や不倫など夫婦崩壊から生じるエピソードやお金の問題など、夏目漱石もそういったテーマが用いられていたが、現代でもどぎつくなりながらいつまでも続いていく話である。そういう事をしない人達のほうが多いはずなのだが。主人公(演:阿部寛)は妻子と別居しているが既に離婚しているのだろうか。規定日に慰謝料や息子と面会で会うが、妻(真木よう子)は怒っていて、3人でお茶もせず、恋人を作ってしまい、遠くでその二人を見て、頭に来ている主人公。男は未練があり、女は怒ってしまって離れようとする。同じ是枝映画の『万引き家族』はまだ観ていないが、主人公のお金の足りない境遇で、おそらくそれに似たような息子の靴を買うシーンがある。小説家だが、それでは暮らせず、探偵事務所に勤めているが、仕事もうまくゆするような方法でピンハネのような入った金を競輪やパチンコにつぎ込んで、うまいことに増やしていたりする。主人公の職業は変わっていると言えば変わっている気味だが、エピソードは細かいところまでリアルに思えたりする。
親と姉の樹木希林と小林聡美のコミカルな感じが救っているのもあるが、阿部の雰囲気のコミカルな面も悲劇の辛さを薄めた感じにはしている。息子役の吉沢太陽の抑制された演技が、夫婦仲の壊れた子供のガラスのような感じが出ている。恋人もいるような妻なのだが、姑や嫂のいる家に少しだけ入ってきて食事をしたりするシーンもあったが。こういう状態でどう修復というのはなっていくものなのか。修復を視点にするのも大事な気がするが、実際は難しいのだろうか。どうしてそうなってしまうのだろう。不安定に陥った家族とは。吉沢と樹木の祖母と孫の会話は泣かせるシーンだ。修復したい男と、怒り続ける女。子供や親は付随しているが、もともとは二人の男女の問題である。これをどう見つめていくかが大事だし、こうした状況を映画で提起するのは意味ある問題提起の方法だと思う。樹木希林が、夫婦仲の壊れた二人に対して、布団を並べて用意するシーンも
深いシーンだ。是枝の色と、山田洋二の色ではまた違う色があるようで、山田映画も思い出してしまったりする。是枝のほうがドライな性格群を用いるようでもある。二人きり部屋に遭遇することになり、阿部が真木に、新しい恋人の事を問いかけるシーンも複雑なものであるが、ここで婚外交渉をする女という空気感の時代性(私は批判するが)が出されている。シングルマザーが異父兄弟をつくるかも知れないという場合についての、未練のある男側の気持ちが出ているが、まるで女のほうは男に対して冷めきってしまっている。だが男女とも子供に対しては愛情があるのだ。ただ、男は自分の家の金のようなものではあるが、母親や姉が管理している実家の金を夜分にこっそり探して利用しようとするあたりが悲しい。そういう面も妻が離れてしまった要因の一つなんだろうか。しかしそれに失敗すると仏壇に線香をあげたりする。樹木と阿部の親子の会話も味がある。しかし、許せないこともあったかも知れないが、女のほうが二夫にまみえずという教育が強ければ、別の分岐点があっただろうにとも思わせる。自由平等の時代にしていったらこういうケースが増えた。この映画では、真木と樹木の嫁姑の阿部の息子との話になりそうになるが、樹木のほうが回避した。そして樹木にしては孫、真木にしては子供のへその緒を、保管していた樹木が真木に渡すシーンになるが、樹木が「なんでこんなことになっちゃったのかねえ」と詠嘆する。真木も不憫な顔をする。
そんなときに、なぜか父と息子は暴風雨の中を公園のトンネルの中に夜を抜け出していて、一緒に煎餅を頬ばり、死んだ父、そして祖父の話をする。息子に父が言う、「まだなれていないけれど、
なるならないではなくて、なろうとして生きているところが大事なんだ」と諭す。元妻が迎えに来る。暴風雨。その中で元夫婦がトンネルの中で会話するシーンは妙なシーンだ。元妻の言い分では、
修復は不可能で新たな恋人(小澤征悦)の元に向かう。ドリンクを買って戻ってきた息子も含まれ、元親子三人の暴風雨の中のトンネルの中の会話。宝くじが風で飛んだらしく、豪雨の中を元夫婦と子供が一緒に探すシーンはなんらかの含蓄であり皮肉なのか。翌朝、天気になって男は女とその子を送るが、別れられるほうが優しいのか、夫も応じ、姑も複雑ながら静かに微笑んで別れる。
月に一度ずつこうして面会交流している様子だ。離婚問題を直視している映画だと思う。せっかくの夫婦が親子が家族が、40代、50代、それ以降となるとさらに辛くなる。どうすればこうならないで済むのかと考えていかねばならない。探偵事務所の後輩の池松壮亮が同じような親が離婚したケースで阿部との会話、「本当に好きならどんな状況でも子供は会いに来る」として、20歳ころにそうしたという話や、阿部と池松の会話が伏線となって、阿部と吉澤の会話に還っていくところも職人の手作りのような感じを受ける。