「なりたくない大人にだけはならないでおこう」海よりもまだ深く りゃんひささんの映画レビュー(感想・評価)
なりたくない大人にだけはならないでおこう
是枝監督の映画タイトルには、「も」という語感を持つ作品が多い。過去作品『誰も知らない』『花よりもなほ』『歩いても 歩いても』、そして本作『海よりもまだ深く』。
この「も」を辞典で紐解くと、並列・強調・すべてを表す係助詞と、「たとえ~でも」という意味の接続助詞がある。
少々小難しくなったけれど、是枝監督作品の特徴として、「現状を認めて、受け容れた上で、未来は信じる」、そんな通念があるように感じる。
もう少し判り易く言うと、「いまはダメがもしれないけど、ダメはダメなりに、この先、かならず良くなる。だって、人間は、善いものなんだから」ということだ。
通底にこのような思いがあるから、新作が出るたびに観に行くのだろう。
四十を過ぎた篠田良多(阿部寛)は、妻(真木よう子)と別れ、一人息子の真悟(吉澤太陽)は妻が引き取った。
良多は過去に処女作で純文学の島尾敏雄賞を受賞したこともあるが、その後はほとんど執筆できていない。
いまは、小説の取材と称して探偵事務所に雇われて、他人の秘密を探っては、その秘密をネタに依頼人から金をせしめるという阿漕なことをやっている。
そんな彼だが、息子に対しては子煩悩で、「いい父親」を振りを続けている。
というのも、先ごろ他界した父親とは折り合いが悪く、父親のだらしなさが厭で嫌で仕方がなかったからだ。
しかし、都下の集合団地に暮らす母親(樹木希林)や、和菓子屋に勤める姉(小林聡美)からみれば、良多は父親にそっくりだという・・・というハナシ。
最近の是枝作品同様、この映画でも大きな出来事は起こらない。
家族・家庭の些細な出来事の積み重ねが描かれるだけ。
映画の中心となる台詞には、「なりたかった大人になれたか」という台詞がある。
この台詞を、真向から受け止めてはいけない。
真向から受け止めて、この台詞につづく想定問答と作ったとしてら
「なりたかった大人になれたか」
「なれなかった」
「じゃぁ、なりたかった大人にならなきゃ」
となるかもしれない。
でも、それでは、是枝監督の通念とは異なる。
つづく想定問答は、こう。
「なりたかった大人になれたか」
「なれなかった」
「でも、なりたくない大人になったの? なりたくない大人になってなければいいじゃないか。まだまだ、なりたい大人になる余地はあるよ」
良多が「なりたかった大人」は、作家として成功する大人。
「なりたくなかった大人」は、子どものことを理解しない、だらしない父親のような大人。
いま、良多はただただ、だらしない大人になりそうになっている。
「なりたい大人」に、しがみついているから。
そんな良多に対して、母親がいう台詞が心に沁みる。
「しあわせっていうのは、なにかを手放さなきゃ、なれないないものなのよね」と。
良多が「本当に」なりたかった大人は、子どものことをいちばんに考え、子どもの気持ちに沿える大人だった。
映画終盤で、是枝監督の通念、「現状を認めて、受け容れた上で、未来は信じる」が立ち上がってくる。
たしかに「いまはダメがもしれないけど、ダメはダメなりに、この先、かならず良くなる」はずだ。
作家という儚い夢に手放しても、子どもにとって善い大人になろうと決意する良多を後押しするのが、知られざる父親のエピソード。
息子のことなど何一つ構っていなかったかのように思えた父親が、受賞後にとっていた行為・・・
都心の雑踏の中で妻と子どもと別れる良多の背中に、「善く」なろうとする意思がみえ、しみじみと心に沁みました。